勇払郡(ゆうふつぐん)は、北海道(胆振国)胆振総合振興局・上川総合振興局の郡。以下の3町1村を含む。胆振管内上川管内1879年(明治12年)に行政区画として発足していた当時の郡域は、上記3町1村に苫小牧市を加えた区域にあたる。『日本書紀』には斉明天皇5年(659年)3月に阿倍比羅夫が胆振鉏(いぶりさえ)の蝦夷(えみし)を饗応したとあり、後に新井白石は胆振鉏は勇払郡域(ユウフツ場所)に当たるとの説を唱えている。江戸時代の勇払郡域は東蝦夷地に属し、松前藩によってユウフツ場所が開かれ苫小牧には北前船が寄航することもあった。陸上交通は、渡島国の箱館を基点とし道東や千島国方面に至る陸路(苫小牧以西は札幌本道や国道36号、苫小牧以東は国道235号の前身)が東西に、また文化年間には勇払から北の千歳に至る千歳越が通じていた。江戸時代後期、国防のため寛政11年(1799年)勇払郡域は天領とされ、翌12年には八王子千人同心・原胤敦の弟・新助の一行が移住し、苫小牧市の基礎を築いた。文政4年(1821年)には一旦松前藩領に復した。また、恵比須神社の前身の蛭子神社は嘉永3年(1850年)よりも前の創建である。安政2年(1855年)勇払郡域は再び天領となり仙台藩が警固をおこなった。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年8月15日、大宝律令の国郡里制を踏襲して勇払郡が置かれた。
出典:wikipedia
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