村上 信夫(むらかみ のぶお、1921年5月27日 - 2005年8月2日)は、日本のフランス料理のシェフ、元帝国ホテル顧問。愛称は「ムッシュ村上」。日本でフランス料理を広めた功労者。帝国ホテルの料理長を26年間務め、『きょうの料理』の名物講師として家庭へプロの味を広めた。バイキング方式を日本で初めて行った。陸軍入隊時には、帝國ホテルの先輩の餞別のフライパンと包丁を持参した。本来は軍隊に私物の持ちこみは一切許されないが、野戦調理に有用と認められ特別に所持が許可された。従軍時代には経歴から何度か調理任務への異動勧誘があったが、本人が前線勤務を希望し、また歩兵砲の砲手として有能だったため上官が拒否していた。非公式に炊事係も兼任し、敵陣への総攻撃前夜に兵士たちに出す特別料理を作るよう命令されて餞別のフライパンでカレーを作ったところ、漂う匂いに気づいた中国軍の指揮官が翌日の大攻勢を予測して夜中に撤退したり、シベリア抑留中に瀕死の戦友の希望でリンゴをパイナップル味に真似たデザートを作ったりしたエピソードが残る。1957年、帝国ホテルの伝統に従い、フランス料理の頂点でイギリス王室の料理人さえイモの皮むきからやらされる名門中の名門、パリのホテル・リッツで修行。研修中、帝国ホテル支配人の犬丸徹三から北欧の「スモーガスボード」という食べ放題料理スタイルを研究するよう指示され、そこから「バイキング」を考案する。1964年の東京オリンピックでは「女子選手村」の総料理長として300人以上のコックのリーダーを務め、各国の選手のために腕をふるった。男子選手村兼選手村総料理長はサリー・ワイルの弟子で日活国際ホテルの馬場久で、これはホテル料理人の人脈であるホテルニューグランド系(馬場)と帝国ホテル系(村上)に二分されたという意味合いも強い。ある時、自身の後継者として帝国ホテル料理長となった田中健一郎に、“一番おいしい料理とは何か”と問い、田中が答えに窮していると、“他のどんな料理よりも気持ちが篭っている、お母さんの料理だ”という模範解答を示したという。村上の料理に対する姿勢が窺えるエピソードである。『きょうの料理』内では「これでよろしいですね」「全然むずかしくありませんね」「ベリーグッドです」という3つの口癖が多用された。当時料理は先輩の料理を見様見真似で覚え、更には技を盗むのが普通だったため、食材の量は目分量だった。しかし、一度しか放送しない番組ではそうはいかないため、食材をグラム単位で紹介するなどわかり易く紹介することに努めた。なお、NHKアナウンサーの村上信夫とは同姓同名の別人である。かつてNHKニュースおはよう日本で同姓同名同士によるインタビューが放送されたことがある。包丁にこだわり、愛用の包丁はアタッシェケース型の木製ケースに収めて、外部の依頼があった際にはどこにでも持参し、これは妻にさえ触らせなかった。趣味は日本刀の蒐集。包丁類を買い集めているうちに手が出るようになったという。
出典:wikipedia
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