Il-62(イリューシン62;ロシア語:)は、ソ連のイリューシン設計局で開発されたソ連初の本格的な長距離用ジェット旅客機である。エンジン4基をまとめて後部に装備する独特な形態だが、これはソ連のスパイが入手した、イギリスのヴィッカース社が先に設計を進めていた大型ジェット旅客機VC-10の設計図に範を取ったことによる。またナローボディ機であるため、機内は中央の通路のみで、客席は3-3の横6列配置となっている。総生産数は210機以上で、アメリカ製ジェット旅客機との競争の末に短命に終わったVC-10を遙かに上回る数が製造された。開発は1962年に始まり、初飛行は1963年1月に行われた。しかし、ソ連にとって初の大型ジェット旅客機であることもあり、量産移行までは手間取り、量産機の初飛行は1964年であった。初の旅客運航は1967年3月10日、モスクワ~ハバロフスク、モスクワ~ノヴォシビルスク間で開始された。当初はアエロフロートのみが使用していたが、1968年にはチェコ航空が運航を開始し、その後アンゴラや中華人民共和国、キューバや北朝鮮など他の共産圏の航空会社も相次いで導入した。しかし初期のIl-62は燃費が悪く、そのため新型エンジンを装備した機体が開発されることとなり、Il-62Mが1970年に登場した。より経済性の高いエンジン(D-30KUターボファンエンジン)に換装したことで燃費が改善され、西側の旅客機に劣らぬ競争力を手に入れた。また機内の各装備も更新されている。1978年にはアビオニクスなどを改良したIl-62MKが開発されているが、西側諸国の機材のようなエンターテインメント設備や、騒音規制に適合したエンジンは手に入れることはできなかった。製造は基本設計が古いにも関わらず1993年まで続けられた。原因として、1980年に後継機種として就航したIl-86用のバイパス比の高いエンジンの開発ができないために航続距離が伸びず、結果として中短距離路線にしか就航できずに終わったことから、後継機のIl-96が1990年代に運用開始となるまで、仕方なく設計の古いIl-62を長距離用機材として使用し続けたことが挙げられる。その結果ナローボディで、西側のボーイング707などと開発年代が同じIl-62が現代まで生き残るという現象が生じている。現在では初期型のIl-62はほぼ全機引退し、活躍しているのはIl-62Mやそれを改良し西側機のコンセプトが取り入れられたIl-62MKなどである。しかし一時期共産圏の長距離旅客機といえばこれを指すほどよく使われ、共産圏の要人輸送機としても使われた。現在Il-62を使用しているのはロシアやウズベキスタンなど独立国家共同体諸国の各航空会社、朝鮮民主主義人民共和国の高麗航空、キューバのクバーナ航空やイランの航空会社などであるが、徐々に数を減らしてきている。クズネツォーフ設計局製 NK-8ターボファンエンジンの開発が間に合わなかったことから、Su-7やSu-9のような軍用機に使用されていたサトゥールン科学製造合同製のターボジェットエンジンAL-7(推力:7,500 kg) 4 基が装備されていた。最大離陸重量、巡航速度、航続距離は不明。他のデータはIl-62に同じ。その他のデータはIl-62に同じ。また貨物搭載装置、自動操縦装置などが近代化・アップグレードされている。翼構造、着陸装置を強化したタイプ。内装も変更され、西側機のコンセプトが取り入れられている。また航行機器もアップグレードされ、慣性航法装置が導入された。
出典:wikipedia
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