五榜の掲示(ごぼうのけいじ)は、慶応4年3月15日(1868年4月7日)に、太政官が立てた五つの高札である。太政官(明治政府)が民衆に対して出した最初の禁止令である。五榜の掲示が発出された前日には、五箇条の御誓文が発出されている。五箇条の御誓文は、天皇が神明に誓う形式で表明した施政方針であり、公卿や大名に示され、都市で発売されていた太政官日誌に布告されるのみであったのに対して、五榜の掲示は、全ての国民を対象に、全国各地の高札場で掲示され、周知徹底された。五榜の掲示は民衆への新政府の姿勢が端的に表明されている。第一札から第三札は「永世の法」であり、第四札から第五札は、万国公法の履行と外人殺傷の禁並びに脱籍浮浪化を戒めた。五榜の掲示の内容は、君主や家長に対する忠義の遵守、集団で謀議を計ること(徒党・強訴・逃散)の禁止、キリスト教・邪宗門の信仰の禁止など、江戸幕府の政策を継承するものとなっている。その一方で、同時に旧幕府時代の高札の廃棄も命じているところから、新政府の権威とその支配圏を象徴するものであった。そのため、新政府に敵対していた奥羽越列藩同盟に加盟する藩では、五榜の掲示は立てられず、あるいは新政府との開戦と同時に破棄されている。また、その他の佐幕派の大名・旗本領でも掲示されていない。五榜の掲示のうち、第三札(切支丹邪宗門の禁制)は、慶應4年/明治元年閏4月4日(1868年5月25日)に、「切支丹宗門」と「邪宗門」を別条で禁じ、密告褒賞を削除するよう改められた。また、明治4年10月4日(1871年11月16日)には、第五札が除却された。さらに、1873年(明治6年)2月24日には、高札制度が廃止されると同時に第一札から第四札も除却され、五榜の掲示に示された各条は事実上廃止された。
出典:wikipedia
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