ミッキー安川の「勝負」シリーズ(ミッキーやすかわのしょうぶシリーズ)は、アール・エフ・ラジオ日本で放送されていた一連のミッキー安川がホストを務めた番組群のことである。2009年12月下旬以降はミッキー安川の長男のマット安川が代役を務めていたが、2010年1月18日にミッキー安川が死去したためシリーズは完全終了。2月7日から現在に至るまで全番組をマットが引き継いでいる。タレント、評論家、歌手と多面性を持つミッキー安川が、その日、その週に起こった出来事や国際問題について、政治家や評論家といったゲストとの対談などを展開する「ミッキー流ニュースショー」。深夜帯の生放送番組では、自身の思い出話や歌声を披露することもあった。リスナーからの意見を多く紹介し、2004年にミッキーの個人事務所がサプリメントの取り扱いを始めてからは、意見の募集と並行してサプリメントの注文も受け付けていた。末期のネット局はコミュニティ放送局が中心で、ラジオ日本との関わりが深いぎふチャンやラジオ関西はネットしていなかった。ミッキー安川の逝去に伴い、2010年2月5日をもって、すべてのシリーズが終了となった。後の2月7日に放送された『雑オロジー』および同年2月8日に放送された『オレンジマンデー』にて、同年2月8日以降、全番組をマット安川が引き継ぐことが発表され、番組名も『マット安川の - 』となった。また、ラテ欄では番組名を『M安川の - 』と表記することになった。これは「ミッキー安川」、「マット安川」のどちらとも解釈できるようにとのことである。原点は1981年スタートの『ミッキー安川の毎日が勝負』。ラジオ日本を代表する長寿番組でもあり同局の看板番組の一つである。放送内容は雑誌『月刊日本』に抜粋され収録されている。この番組は当初、ナイターオフ用の企画番組として毎週土曜日19:00-22:00で立ち上がった。当時は現在ネットしていないAM岐阜ラジオやラジオ関西にもネットしていた。通年で放送されるようになってからは、ネット局が減ったこともあった。2006年3月までは、KBS京都でも毎週金曜日12:30-14:00に放送していた。『朝まで勝負』の後継番組として、2007年11月2日に放送が開始された。基本的なスタイルは、次の通り(ゲストがいる場合)。政治や時事問題、健康に関する話題、ミッキーの体験談などさまざまなことを取り上げた。また、番組内でオフィス安川が販売する健康補助食品の紹介があり、『スーパーフライデー』と同様に毎回午前0時ごろに君が代を流した。番組開始当初は放送時間が24:00-25:30だった。最近のゴルフの話題やミッキー安川自身のゴルフ体験・思い出、さらにゴルフをやる人間の行動心理などについても言及した。他番組と異なり政治や時事問題についての話題は少なかった。ゴルフをするオフィスヤスカワのスタッフが一緒に出演することもあり、またハワイの宿泊先からの録音放送もあった。おもにオフィスヤスカワヘルシー事業部が販売する健康補助食品の紹介と横浜中華街にある薬蜜本舗のハチミツの紹介である。録音放送のためリスナーからのFAX、メールなどの紹介はない。冒頭の数分間、時事問題に触れることがあった。毎週金曜日24:00-29:00の5時間の生放送。番組前半約1時間はミッキー安川とゲストのトーク。残り時間は数名の演歌歌手が交代で歌声を披露した。リスナーから生歌のリクエストも受け付けていた。ときにはリスナーとミッキー、ゲスト歌手 (歌手以外のゲスト出演者や、女性アシスタントが生電話に出てリスナーと会話をする事もあり、中にはリスナーから指名されて生電話に出るケースもあった) との「生電話」が展開されることもあった。コンセプトは『スーパーフライデー』に引き継がれている。末期の『ずばり勝負』では加藤知華(途中「豊田」から改姓)がアシスタントを務めた。深夜の番組のアシスタントはオフィスヤスカワのスタッフが担当した。基本的に、自身のラジオ番組のゲスト出演の交渉はすべてミッキー安川本人が行っていた。かつてミッキーは「そうじゃないと、誠意が伝わらないんだよ。それにオレの番組は、前日に『出てくれないか』って依頼することがあるから、オレが頼まないと出てくれないんだよ」と言ったことがある。『ずばり勝負』と『朝まで勝負』に積極的に出演していた常連のゲストは以下の通り。2007年7月6日の『ずばり勝負』には、自民党総裁(当時)の安倍晋三と同政務調査会長の中川昭一がゲスト出演した。
出典:wikipedia
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