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インテック

株式会社インテック ("INTEC INC.") は、TISインテックグループの大手システムインテグレーター(独立系)。ITコンサルティング、システムインテグレーション、アウトソーシング、ソフトウェア開発、ネットワークサービスを提供する、総合ITベンダーである。社名のINTECは、INformation TEChnologyが由来の一つである。大型汎用機が高価だった時代に、共同利用する構想で1964年(昭和39年)に「株式会社富山計算センター」(資本金1,000万円)として創立され、1970年(昭和45年)に商号を「株式会社インテック」に変更している。地方の情報処理会社から、積極的な全国展開を行い日本を代表する独立系システムインテグレーターへと成長していった。企業向けのビジネスを展開しているため、一般消費者には馴染みが薄いが、過去に「Tri-P(トライピー)」というパソコン通信向けVANサービスを展開していた。電話料金が高く、全国にアクセスポイントが無い時代に、距離に関係なく一律料金でホスト局に接続できたため、重宝したユーザーも多かった(2005年(平成17年)1月31日サービス終了)。また、1989年から1990年代前半にかけて家庭用ゲーム機・PCエンジン用ソフトの開発・販売も行っていた。研究開発にも取り組み、インテックシステム研究所(インテック・ウェブ・アンド・ゲノム・インフォマティクスと改名後、再びインテックシステム研究所と社名を戻した)を設立し「ネットワークのインテック」の基礎を築く。その後、IPv6の基盤研究を目的としたインテックネットコアを設立している。研究開発により、通信事業者としては初のISDNサービスの実施や、通信カラオケシステムの構築を実施するなど、独自の技術開発力と通信へのノウハウをソフトウェア開発と結びつけたビジネス展開を得意とする。1994年(平成6年)に本社ビルとなる23階建て超高層ビル・タワー111を建設した。2005年(平成17年)に通信事業を行っていた、インテックコミュニケーションズを吸収合併。機器販売のアイ・ユー・ケイとソフトウェア開発のインテックソリューションパワーの株式を100%取得し完全子会社化。本体のユースウェア事業をアイユーケイに移管する、などのグループ会社再編を実施した。また、宮地専務取締役が代表取締役執行役員社長に昇格し、中尾哲雄社長が代表権のある会長に就任する人事を発表した。また、インテック(東証1部)とインテック・ウェブ・アンド・ゲノム・インフォマティクス(東証マザーズ)は、2006年(平成18年)10月2日に株式移転による共同持株会社「株式会社インテックホールディングス」を設立した。純粋持株会社へ移行することにより、経営効率化と収益力向上を目指すとしていた。これによりインテック株及びインテック・ウェブ・アンド・ゲノム・インフォマティクス株は上場廃止となり、それぞれの株主はインテックホールディングスの株主となった。さらにTIS(初代)との共同持株会社による経営統合を決定、2008年(平成20年)4月、インテックホールディングスとTIS(初代)が純粋持株会社ITホールディングス株式会社を設立。2009年(平成21年)10月1日にはインテックがインテックホールディングスを吸収合併した。2016年(平成28年)7月にはITホールディングスがTIS(初代)を吸収合併しTIS(2代)に商号変更したため、TIS(2代)の子会社となった。なお、ワールドインテックとは無関係である。現在は、ゲーム開発は行っていない。2006年(平成18年)4月に開業した富山ライトレール富山港線は、タワー111北側の都市計画道路に併用軌道が敷設され、停留場がタワー111前に設置された。富山ライトレールが販売した命名権をインテックが1,500万円で買い取り、「インテック本社前駅」となった。2003年(平成15年)に相次いで、中国二箇所にソフトウェア開発の拠点を設置し、オフショア開発を積極的に進める一方、本社のある富山市に人員リソースを集中させ、中国拠点を組み合わせた低コストなソフトウェア開発を目指す「ソフトウェア工場」構想を掲げ、推進している。2006年(平成18年)6月28日、本社ビルの北側にソフトウェア開発集約の拠点として、新しいオフィスビルが竣工、愛称は「ポートラムスクエア」となった。ポートラムは富山ライトレール富山港線とその車両の愛称である。(有価証券報告書調べ)

出典:wikipedia

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