大天井岳(おてんしょうだけ)は、飛騨山脈(北アルプス)にある標高2,922 mの山。長野県の大町市・安曇野市・松本市にまたがる常念山脈の最高峰。大糸線有明駅の西15.9 kmに位置し、中房温泉から合戦尾根を経て槍ヶ岳へ登る表銀座縦走コースと常念山脈との分岐点の山である。ただし、登山道は山頂を通らず巻道となっている。中部山岳国立公園内にあり、日本二百名山に選定されている。山体は中生代の花崗岩からなり、山頂部には中生代の輝緑岩が混じる。山頂部は森林限界を越える高山帯で、砂礫地にはハイマツが分布し特別天然記念物のライチョウの生息地となっている。山腹では、イワヒゲ、コマクサ、クモマスミレなどの高山植物が自生している。山頂には、点名が「天章山」の三等三角点が設置されている。麓の安曇野から眺めるとピラミッド形状の常念岳や安曇富士ともよばれる有明山と比べると、奥まった位置にあるため目立たない存在となっている。山名は「だいてんじょうだけ」、「おおてんじょうだけ」とも呼ばれる。山小屋は大天荘(だいてんそう)、大天井ヒュッテ(おてんしょう)と呼ばれている。江戸時代の絵図では「神明岳」と書かれていた。かつて麓では「てんしょう」、「おてんしょう」、「二ノ俣のてんしょう」と呼ばれていた。山名は「御天上」・「御天所」からきている。これには、「二ノ俣谷を詰めた最高所」という意味がある。松本城の天守閣に似ることから「おてんしゅかく」が「おてんしょう」に転訛したのではという説もある。中房温泉からの表銀座縦走コース及び常念山脈縦走時に登られることが多い。最寄りの登山口は中房温泉で、常念岳の登山口が次に近い登山口である。小林喜作が1920年に喜作新道を開設する以前は、槍ヶ岳への登路は以下の2つのルートが利用されていたが、現在は廃道となっている。かつて槍沢の一ノ俣谷出合には一ノ俣小屋があり、そこから一ノ俣に沿って常念乗越に至る上級者向けの谷コースがあったが、現在は廃道化している。大天井岳の北側の切通岩には地元の彫刻家の小川大系が製作した小林喜作のレリーフが岩に埋め込まれている。大天井ヒュッテの南西約0.8 kmの標高点2,549 m付近の鞍部は貧乏沢の最上部であり、1922年の日本登山史の黎明期に学習院大学のパーティーが貧乏沢を下降して北鎌尾根から槍ヶ岳に登頂した。代表的な大天井岳への登山経路を以下に示す。要所には山小屋やキャンプ指定地がある。残雪期や積雪期には、北側の尾根を直登する冬期ルートが用いられている 。山頂直下の南東0.2 kmには1956年に建設された安曇野市の大天荘がある。1975年に二階建の新館が建設された。運営と管理は燕山荘のグループに委託されている。営業期間外は無人となり閉鎖されるが、緊急避難用の冬期避難小屋が開放されている。山頂と牛首岳との鞍部の西南西0.5 kmには、1957年に開業した大天井ヒュッテがある。飛騨山脈の南東にある常念山脈がほぼ南北に延び、南東1.8 kmには東天井岳がある。山頂からは南南西の赤岩岳へと表銀座の尾根が延び、東鎌尾根を経て槍ヶ岳で飛騨山脈の主稜線と合流する。山頂の1.4 km西には牛首山(標高2,553 m)があり、山頂は展望地となっている。大天井岳が源流となる以下の信濃川水系の河川は日本海へ流れる。遮るものがない山頂の岩場からは360度の展望が得られ、西南西に槍ヶ岳が望める。
出典:wikipedia
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