南東北(みなみとうほく)とは、東北地方南部の、宮城県・山形県・福島県の3県の総称である。方角と区別する意味で、「東北」を平仮名書きした「南とうほく」という記載がなされる場合がある。令制国名を用いた南奥羽(みなみおうう)という雅称もある。対義語は北東北(きたとうほく)。「東北地方」という語が、現在の東北6県を指す言葉として一般に使われ始めた時期は、戊辰戦争以後である。明治政府による中央集権体制の下で、仙台市に置かれた政府の出先機関が管轄する地域として、政治的・行政的に定義された。一方、「北東北」「南東北」という分類は、そのような国家機関の管轄範囲による定義ではない。1990年代以降の東北地方における陸上交通の再編によって生じた、経済圏の形成や各県の政治の流れによって、政治や経済の枠組みとして多用されるようになってきた地域区分である。それまでの東北地方は、奥羽山脈によって東西に分断され、冬は雪の影響で各所で通行止めとなるため、首都・東京との関係から、南北の幹線を整備して一年を通じた安定交通路の形成や高速化を主眼に開発がされてきた(常磐線・東北本線・奥羽本線・羽越本線・東北自動車道・東北新幹線など)。1990年代に入ると、東北地方内の東西の連絡高速道路(秋田自動車道・山形自動車道・磐越自動車道)や山形新幹線・秋田新幹線などが建設・供用開始され、東西交通の高速化をもたらして東西関係が密接になるようになった(東西高速道路は、冬でも安定した交通路)。特に、岩手県と秋田県は政治的に、宮城県と山形県は経済的に繋がりを深める事態になった。この流れに巻き込まれる形で、北東北3県(青森・岩手・秋田)、南東北3県(宮城・山形・福島)という枠組みが作られていった。「南東北」においては、1990年代後半から高速道路の発達や高速バス路線の発達による陸上交通の再編が起き、仙台都市圏の小売商圏である「仙台経済圏」が膨張していった。その過程において、仙台経済圏が山形市・福島市という隣県の県庁所在地を包含していったため、「仙台経済圏」という代わりに「南東北」というようになった。そのため、「南東北」という語は、経済用語としての意味合いが強い。ただ、「同じ東北地方でも、殊更に『南側』として分類上で差別化し主張したい。」というモチベーションを、メンタリティ面から論ずるならば、各種インフラ整備の発展だけでは到底説明不足である。即ち、戊辰戦争以来続いている「負のイメージとしての『東北地方』からの脱却」「より首都圏に近しい地方」という意識であり、これを端的に象徴する語が「脱東北」である。このメンタリティは、実際に関東地方(=事実上「首都圏」と同一視される地域)と地理的に隣接する、福島県磐越東線沿線(中通り中南部、浜通り夜ノ森以南)において特に強い。1990年代から2000年代前半にかけて、当時の佐藤栄佐久・福島県知事が、福島空港の活用を主柱とした開発案を栃木県と茨城県に持ち掛けて「FIT構想」を打ち出し、共同で開発計画を策定、これを東京政府に対して積極提案した結果、いわゆる首都機能移転の最終候補地への指定に成功した事例が、その最たる証左であろう。「FIT構想」に関連する動きで、「東京時代」という語を生み出した川勝平太も、「那須・阿武隈地域に新首都を」と提唱している。政治的には、(1)佐藤栄佐久・前福島県知事が道州制反対論者であり、「どこかの市にバキュームのように吸い寄せられる国土づくりを止めるべきだ」などと発言していたことや、(2)浅野史郎・前宮城県知事が、山形県知事選で高橋和雄前知事の対立候補の応援演説をしたことなどから、南東北では県同士の政治連合は形成されなかった。ただし、仙台経済圏の中枢部において「南とうほくSUNプラン」という名称の市町村同士の政治連合があり、また、仙台・山形の都市圏連合、三県都の共同プロジェクトなど、県単位以下での枠組みはある。「南東北」は経済的な枠組みの意味合いが強いため、政経両面で仙台市の影響力が強くなっている。2011年3月11日に発生した、女川沖と鹿嶋沖を震源とする東日本大震災によって、宮城県と福島県の沿岸地域が壊滅的な被害を受けた他、南東北の経済やインフラに多大な損害を与えた。特に、浜通りの大熊に立地する東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故(略称:福島原発事故)による放射性物質の漏れの拡大に対する懸念から、福島第一原発周辺の地域が放射能警戒区域に指定されるなどして住民は退去を強制され、浜通りと隣接する太平洋沿岸の宮城県と茨城県を筆頭に、中通り、会津地方、下越地方、山形県、埼玉県、東京都などの各地域が、警戒区域の住民を受け入れた。しかし、浜通りは元々は「"磐前県"」という独立した県であり、中通り(1876年以前の福島県)との間に阿武隈山地が立ちはだかっている為に、中通りとの交流は浅く、同じ太平洋沿岸同士の宮城県南部(亘理、仙台など)や茨城県北部(日立、水戸など)との交流が深い地域である。2011年7月6日現在の警察庁発表資料によると、東日本大震災での死者数(行方不明者数)は、宮城県で9295人(4613人)、福島県で1600人(302人)、山形県で2人(0人)となっており、南東北でも太平洋に面していない山形県や、福島県でも日本海側水系・日本海側気候の会津地方では被害は小さかったといえる。大震災で甚大な被害を受けた宮城県、福島県、岩手県の3県では、様々な面で復興に向けた協力体制が取られると予想され、北東北3県、南東北3県といった枠組みや連携に変化が出てくることも考えられる。対義的に分類すると:"この項目での数値"南東北3県は、北海道やデンマークとほぼ同規模の経済力・人口を擁する。南東北3県の面積は、北海道の36%程度、デンマークの70%程度であり、それらと比べてさほど大きくはない。南東北3県は、中国地方に対して総面積で95%程度(可住地面積で122%)と、総面積ではほぼ同規模であり、人口は74%程度、県内総生産の合計は71%程度と、3/4をやや下回る程度の経済規模である。北関東に対しては、総面積で161%、可住地面積は111%と、可住地面積ではほぼ同規模である。北関東に対して人口は81%程度、県内総生産の合計は75%程度と、3/4程度の経済規模である。南東北3県にはいくつかの地域圏が存在する。現在ほど交通が発達していなかった1990年代以前は、地域圏ごとに企業の支店が置かれる傾向があった。現在の南東北は、仙台経済圏(南東北中枢広域都市圏の範囲に限ると300万人規模)と郡山経済圏(100万人規模)の二大経済圏、これらに二大経済圏との関係が浅い庄内地方(30万人規模)と浜通り夜ノ森以南(38万人規模)の、計4地域に大きく集約されつつある。現在、企業の支店は、二大経済圏の中心都市である仙台と郡山の2つに集約されつつある。その場合の支店の管轄範囲は、仙台支店が宮城県+山形県、郡山支店が福島県、あるいは、仙台支店が仙台経済圏+庄内地方、郡山支店が郡山経済圏+浜通り夜ノ森以南となる。括弧内に、その地域圏の代表的な自治体を示す(域内人口は県の地域分類による統計)。(域内人口:330万人+α)「仙台経済圏」参照。以下に、南とうほくSUNプラン(南東北中枢広域都市圏)に参加していた地域を列挙する。(域内人口:32万人)(域内人口:106万人)郡山経済圏参照。(域内人口:38万人)南東北3県はテレビ東京系列を除いた民放テレビが4局全て揃っている。在仙局は東北地方の基幹局となっており、東北6県を対象としたブロックネット番組を数多く制作・放送している。また福島県浜通り北部では仙台親局の電波を直接受信可能。鶴岡中継局の電波は秋田県沿岸部でも直接受信可能。由利本荘市CATVセンターでは(秋田県に無いJNN系列局が視聴出来るよう)TUYが再送信されている(以前は秋田ケーブルテレビでもTUYが再送信されていたが、海水温上昇などによる受信障害が常態化していたためIBCの再送信に切替)。NHK福島・RFC・FTV・TUFは本社を福島市に、FCT・KFB・ふくしまFMは本社を郡山市にそれぞれ置いている。第一次産業第二次産業第三次産業南東北の気候は、小地形による修飾があるが、大きく日本海沿岸、奥羽山脈西側(盆地)、奥羽山脈東側(盆地)、太平洋沿岸 の4つグループに分かれており、それぞれかなり異なった特徴を有している。日本海沿岸、奥羽山脈西側(盆地)の「日本海側地域」は、概ね夏はフェーン現象によって高温になるが、冬には豪雪地帯(会津地方や置賜地方)となる。一方、奥羽山脈東側(盆地)、太平洋沿岸 の「太平洋側地域」は、黒潮と親潮の接点に近く海洋性気候になっており、一年を通じて酷暑や極寒にならず、太平洋沿岸は冬の雪も少ない。南東北は地域によって気候が違うため、季節や地域を選ぶことによって多彩なレジャーを楽しむことができる。主な都市の冬 (平年値)"日本海沿岸(水色)"、"奥羽山脈西側(白)"、"奥羽山脈東側(青)"、"太平洋沿岸(黄)" の4グループに色分けしてある。日本海沿岸(庄内地方)は、太平洋側に比べると雪が多いが、奥羽山脈西側(盆地)と比べると積雪は多くない。曇りがちで日照時間が極端に短く、日本海から強風で地吹雪となることが多い。この風を利用して風力発電が盛んである。曇りがちであるため、寒暖の差は小さい。奥羽山脈西側(盆地)は豪雪地帯となっているが、日本海沿岸に比べると日照時間は長い。地形的な理由もあり、南東北の中では最も寒い地域となっている。大量に降る雪のおかげで、著名なスキー場があり、スキーやスノーボードの国際大会や全国大会が開かれる。雪質も日本海沿岸に比べると良質で、蔵王の樹氷原コース、裏磐梯のスキーリゾート、猪苗代湖を眺めながら滑れる表磐梯のスキー場など、人気のあるスキー場がある。また、雪を見ながら露天風呂に入れる銀山温泉など、冬季に人気になる温泉地がある。奥羽山脈東側(盆地)は、基本的に奥羽山脈で雪雲がブロックされるため、晴れて日照時間が長く、昼間は暖かくなる。晴れているため夜間の放射冷却により早朝の気温の低下著しく、寒暖の差が激しい。寒気団の南下や風が強いなどの諸要因が加わると奥羽山脈を越えて雪雲が入り込むことと、さらには南岸低気圧による降雪もあるため、積雪もやや多い。山側にはスキー場もあるが、日本海側と比べると積雪が少なく雪質もそれほどよくないため、全国大会が開かれることはまれ。そのため、スキーやスノーボードのような多くの積雪が必要なスノースポーツの他に、積雪が少なくとも楽しめるスノーモービル(一般型・バイク型)や、歩くスキーなども盛ん。なお、暖冬の年には積雪不足でスキー場が開店休業に陥ることもある。太平洋沿岸も、晴れて日照時間が長いため昼間は暖かくなり、日本海側と比べると積雪は極端に少ない。特に、浜通りは、阿武隈高地でも雪雲がブロックされるため雪が降ることはまれで、なかでも浜通りの南部は南関東と殆ど変わらない気候である。ただ、南岸低気圧による降雪で大雪になることもまれにある。晴れているため夜間の放射冷却により早朝の気温低下が起きるが、海に開けているため、極端に下がることはない。なお、仙台は、地形的な理由により、奥羽山脈東側と太平洋沿岸の中間のような気候になっている。主な都市の夏 ("8月" の平年値)"日本海沿岸(水色)"、"奥羽山脈西側(白)"、"奥羽山脈東側(青)"、"太平洋沿岸(黄)" の4グループに色分けしてある。日本海沿岸(庄内地方)は、フェーン現象のために高温・乾燥となり、晴天も多い。そのため、日照時間が東北地方の中で群を抜いて長く、湿度が低くて暑くなる。また、湿度が低いことにより夜間は気温が低下し、熱帯夜にならず、夏のレジャーには適した気候になる。庄内地方の海には、鶴岡市の南部に湯野浜温泉という海沿い温泉街があるが、ここは、夏季には波が静かであり、浜辺がきれいで、晴天続きで昼間は暑く夜は涼しく、なおかつ、夕日が日本海に沈むのを眺めながらつかれる露天風呂もあるため、人気のサマーリゾートとなっている。このような気候のため、浜辺にテントを張って泊まっている旅行者もいる。奥羽山脈西側(盆地)は、フェーン現象のために極端な高温・乾燥となる。山形市では日本最高気温40.8度を記録した。湿度は低いため、夜間は急に気温が下がって熱帯夜にはならず、日隔差が大きい。日本海沿岸と並んで晴天で日照時間も長く、昼間は極端に暑くなるので、会津地方の猪苗代湖湖畔は東北地方で最も暑い水辺として湖水浴が盛んである。また、猪苗代湖は波がほとんど立たないため、ウィンドサーフィンの初心者には適している。また、ジェットスキーやヨットなども行われており、東北地方のウォータースポーツの中心地の1つとなっている。朝日山地に属する月山では、冬季は強風と大量の積雪のためにスノーモービルと歩くスキーのみの営業でリフトが動いていないが、4月上旬〜7月末の間はリフトが運行され、半袖で「サマースキー」を楽しむことが出来る。奥羽山脈東側(盆地)は、フェーン現象により高温となる日と、太平洋沿岸地域のような曇天で気温が低い日との両方がある。フェーン現象は、阿武隈高地がそれほど高くないため「湿度が高くて暑く」なり、中通りは関東の夏のような気候となる。そのため、避暑地に対する需要が高くなり、裏磐梯を中心とした高原リゾートのホテルやペンション、温泉を訪れたり、裏磐梯の涼しい湖畔でアウトドアを楽しむ者がいる。太平洋沿岸は、通常曇天で気温が上がらず、海風が入るので晴れても酷暑とはならない。年によってはやませが吹き、低温で悪天候の冷夏となることもある。このようにあまり暑くならないので、仙台周辺はビジネスマンや高齢者には涼しくて過ごし易く、外国人が避暑をしにやってくる高山外国人避暑地もある。涼しい気候のため、マリンスポーツにはあまり適していないが、人口が多いため、仙台湾では海水浴客が存在し、夏季の太平洋は波が高いためサーフィンをする者もいる。一方、浜通り(南部)は、太平洋高気圧の影響下に入り易く晴天となるが、日本海側ほど暑くはならず、湿度が高い。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。