ジャガイモ(馬鈴薯、、学名:"Solanum tuberosum" L.)は、ナス科ナス属の多年草の植物。デンプンが多く蓄えられている地下茎を食品として利用する。ジャガイモは地下の茎の部分(塊茎)を食用にする。加熱調理して食べられるほかに、デンプン原料としても利用される。比較的保存がきく食材であるが、暗くても温度の高いところに保存すると発芽しやすいため、涼しい場所での保管が望ましい。芽や緑化した塊茎には毒性成分ポテトグリコアルカロイド(ソラニンなど)が多く含まれ、中毒の元になる。ジャガイモの原産は南米アンデス山脈の高地といわれる。16世紀には、スペイン人によりヨーロッパにもたらされた。このとき運搬中の船内で芽が出たものを食べて、毒にあたったため「悪魔の植物」と呼ばれた。日本には、1600年ごろにオランダ船によりジャカルタ港より運ばれた。日本では当時は観賞用として栽培されたという。日本では北海道が最大の生産地で、春に植え付けて夏の終わりから秋にかけて収穫される。北海道に次ぐ大産地である九州の長崎では、秋に植え付けて冬に収穫するのに加えて、冬に植え付けて春に収穫する二期作が行われる。日本では呼び名も様々である。これは、「芋」というとたいていの人がジャガイモ、サツマイモ、サトイモのいずれかを思い浮かべるほどに人気な食材であることを反映したものともいえる。「ジャガイモ」という呼び名について、「じゃが」とは、ジャワのジャガトラ(ジャカルタ)からオランダ造船によって伝播したことにちなむ。これが変化して現在のジャガイモという呼び名になった。ただし異説もあり、ジャワ島の芋の意味のジャワイモが変化したもの、天保の大飢饉でジャガイモのおかげで餓死を免れたことから呼称された「御助芋」が転じたものなどともされる。「馬鈴薯」(ばれいしょ)という呼び名もよく用いられる。これは中国での呼び名のひとつと漢字が同じで、中国語で読むとマーリンシュー(ピン音 )となる。18世紀に日本人の小野蘭山『耋筵小牘』(1807年)が命名したといわれているが、中国名をそのまま輸入したものなのか、新しく付けた名前がたまたま中国名と同じだったのか、それとも蘭山の命名が中国に伝わったのかは明らかではない。一説には、ジャガイモの形が馬につける鈴に似ているということからこの名前になったという。また、「マレーの芋」という意味からこの名前が付けられたという説もある。なお、中国ではほかに「土豆」(トゥードウ)、「洋芋」(ヤンユー)、「薯仔」(シューザイ)などの呼び方もある。なお、日本の行政では馬鈴薯と呼んでいる。地方名として、「きんかいも」とも呼ばれる(「きんか」とは金柑転じて禿げのこと)。また、1年に2回ないし3回収穫できることから「にどいも(二度芋)」「さんどいも(三度芋)」とも呼ばれる。「南京イモ」「ごしょいも」と呼ばれることもある。また、「さんとく(三得)」「じょうしゅういも(上州芋)」とも言われる。「お助けイモ」と呼ばれたこともある。また、飢饉の際にジャガイモ活用を勧めた代官の名を取って、「善太夫芋」「清太夫芋」と呼んだ地方もあった。これらは、ジャガイモが、サツマイモと同じく主食である米等の穀物の代用品として食べられたためである。なお、後述するように、ジャガイモには、ビタミンCやデンプンが豊富に含まれている上に、加熱してもデンプンに保護されてビタミンCが壊れにくい。寒冷地や痩せた土壌でも栽培しやすく、茹でる等の簡単な調理で食べることができる。そのほか、オランダ語の"aardappel"(大地のりんご)からきた「アップラ」「アンプラ」「カンプラ」という呼称も存在する。英語の"potato"の語源は、タイノ族の言葉でサツマイモを意味する"batata"がスペイン語の"patata"に変化したものによる。なお、ジャガイモの原産地で古くから使われている言語の一つであるケチュア語では"papa"というが、この単語はそのまま中南米スペイン語で使われている。スペイン語で"batata"が"patata"に変化したのはこの"papa"の影響であると考えられている。"Papa"はローマ教皇を意味する単語と同じであったため、これを忌避して"Patata"に変遷したともいわれる。ジャガイモは南米アンデス中南部のペルー南部に位置するチチカカ湖畔が発祥とされる。もっとも初期に栽培化されたジャガイモは"Solanum stenotomum"と呼ばれる染色体数24本の二倍体のもので、その後四倍体の"Solanum tuberosum"が栽培化され、現在世界中で広く普及するに至ったとされている。このジャガイモがヨーロッパ大陸に伝えられたのは、インカ帝国の時代、15世紀から16世紀頃とされている。当初、インカ帝国の食の基盤はトウモロコシではないかと伝えられていたが、ワマン・ポマが1615年に残した記録やマチュ・ピチュの段々畑の史跡研究、気象地理条件、食生活の解析など、複数方面からの結果が、食基盤がジャガイモであったことを示しており、近年見直しが図られている。しかし、具体的に「いつ」「誰が」伝えたのかについてはっきりとした資料は残っておらず、スペイン人がジャガイモを本国に持ち帰ったのは1570年頃で、新大陸の「お土産」として船乗りや兵士たちによってもたらされたものであろうと推測付けられている。さらに1600年頃になるとスペインからヨーロッパ諸国に伝播するが、この伝播方法にも諸説あり、はっきりとは判明していない。いずれにせよ16世紀末から17世紀にかけては植物学者による菜園栽培が主であり、ヨーロッパの一般家庭に食料としてジャガイモが普及するのは、さらに時を待たねばならない。普及は、プロイセン王国で三十年戦争により荒廃し、飢饉が頻発した際に作付け(栽培)が国王の勅命により強制、奨励されたことや、踏み荒らされると収穫が著しく減少するムギに代わり、地下に実るため踏み荒らしの影響を受け難い作物として、農民に容易に受け入れられた結果である。さらにジャガイモは18世紀には、アイルランド移民の手により北アメリカへ渡り、アメリカ独立戦争における兵士たちの胃袋を満たす貴重な食料源となった。アイルランドの小作農家たちは元来は主にムギを栽培していたが、地主に地代を納めなくてもよい自分らの小さな庭地で、生産性の非常に高いジャガイモの栽培を始めた。それによって、ジャガイモが貧農の唯一の食料となってゆき、飢饉直前には人口の3割がジャガイモに食料を依存する状態になっていた。ジャガイモは寒冷地でも良く育ち、アイルランド人口の増加を支えた。しかし、1845年から1849年の4年間にわたってヨーロッパ全域でジャガイモの疫病が大発生し、壊滅的な被害を受けた。ジャガイモを主食としていた被支配層のアイルランド人の間からは、ジャガイモ飢饉で100万人以上ともいわれる多数の餓死者を出した。また、イギリス、北アメリカ、オーストラリアなどへ、計200万人以上が移住したといわれる。アメリカ合衆国に渡ったアイルランド人移民はアメリカ社会で大きなグループを形成し、経済界や特に政治の世界で大きな影響力を持つようになった。この時代のアメリカへの移民の中には、ケネディ家の先祖も含まれていた。アイルランドでのジャガイモ飢饉があったものの、寒冷地にも強く、年に複数回の栽培が可能で、地中に作られることから鳥害にも影響されないジャガイモは庶民の食料として爆発的な普及を見せた。アダム・スミスは『国富論』において「小麦の三倍の生産量がある」と評価しており、瞬く間に麦、米、トウモロコシに並ぶ「世界四大作物」としてその地位を確立した。日本へは諸説あるが、オランダ人やオランダ造船によって1598年に持ち込まれたとの説がある、オランダ領ジャワ島の現ジャカルタ(当時、ジャカトラ(Jacatra))を経由して伝来したため、ジャガタライモと呼称された。江戸時代後期の18世紀末にはロシア人の影響で北海道・東北地方に移入され、飢饉対策として栽培された。蘭学者の高野長英はジャガイモ栽培を奨励している。また、江戸後期には甲斐国の代官であった中井清太夫がジャガイモ栽培を奨励したとされ、享和元年(1801年)には小野蘭山が甲斐国黒平村(甲府市)においてジャガイモの栽培を記録している(『甲駿豆相採薬記』)。また、アイヌの人々もジャガイモを栽培していた。本格的に導入されたのは明治維新後で、北海道の開拓に利用された。当初は西洋料理の素材としての需要であったが、洋食の普及とともに、徐々に日本の家庭料理にも取り入れられるようになっていった。通常の場合、ジャガイモは種芋を植え付け培土し、栽培される。種芋は、芋から発芽した芽を中心にして適度な大きさに切り分けたものである。直立する地上茎は50cmから1m程度の高さにまで生長する。葉は奇数羽状複葉。葉の付け根から花茎が長く伸び、先端に多数の花をつける。花は星形で黄色い花心と5枚の花弁をもち、色は品種によって異なり赤・白・紫と様々である。受粉能力は低いが、品種や条件によっては受粉してミニトマトに似た小型の実をつける。実は熟するにしたがい緑から黄色、さらに赤へと変化するが、落果しやすく完熟に至るものは極希である。果実の中には種子があり、これを発芽させて生長させることも可能である。ジャガイモの交配はこの種子を利用して行われるが、種芋から育たないため、生長しても全体的に小柄である。これを親株と同様の大きさ程度にまで育てるには3年(3代)程度かかるため、草本性植物としては交配に時間のかかる植物と言える。地下茎は種芋より上(地表に近い位置)にできるため、ジャガイモを収穫するためには、この肥大する地下茎を日光に晒さないように土寄せが行われる。栽培にはpH6前後の酸性の土地が適している。また冷涼な気候や硬く痩せた土地にも強い。その反面、病害や虫の被害を受けやすく連作障害も発生しやすい。ジャガイモの地下茎は水分と栄養が豊富なため、病原菌が繁殖しやすく、保存状態の悪い種芋や、収穫から漏れて地中へ残された芋は病害の原因となる。そのため、日本では植物防疫法の指定種苗となっており、種芋の売買が規制されている。前述の通り、ジャガイモは連作障害が発生しやすい。連作を行うと土壌のバランスが崩れ、単純に生育が悪くなるだけでなく、病害や寄生虫が発生しやすくなる。ジャガイモに限らず、ナス科の植物は基本的にこの性質を持ち、さらに例えばジャガイモの後にナスを植えた場合にも連作障害を起こす場合がある。特にジャガイモに大きな被害を与える原因として、ジャガイモシストセンチュウによる生育阻害がある。このセンチュウは地中で増殖し、高密度になるとジャガイモの生育を大きく妨げる。例えば乾土1g中に100卵が存在する状態(高密度)では、収穫量が60%程度低下する。センチュウは宿主(ジャガイモ等)がない状態でも、卵状態(シスト)になり10年以上も生存し続ける場合があり、シスト状態は薬剤にも強いため根絶が難しい。卵を含む可能性のある土を移動させない、付着の恐れのある農具や運搬具の洗浄、といった拡散防止策がとられている。また、長期の休閑や非宿主の作付なども対策として行われているが、センチュウ密度の低減には効果は低く、最も有効な密度低減対策は抵抗性品種の作付である。ただし、センチュウはジャガイモには被害を与えるが、人体には無害である。このセンチュウは、種苗付着土や動物糞から伝染するとされている。そのため日本では、アイルランド経由以外の、検疫を受けていない塊茎類の直接持ち込みは禁止されている。植物防疫法の指定種苗とされ、種芋の販売が規制されて検査が義務づけられている。ジャガイモの原産地であるアンデス中央高地では、古くから連作障害について認識されており、長期の休閑と輪作が行われている。ジャガイモの次は別の作物を植えるようにするだけでなく、3から4サイクルで一つの区画を利用したあと長期の休閑をとる。休閑の長さは、人口密度や畑の大きさによって様々である。ただし、1950年代に行われた農地改革などで、共有地が崩壊し始め、耕作地が私有地化され、個人が所有する土地区画が狭くなったため、長期の休閑が行えず、シストセンチュウが再び問題になってきている。また、アンデスのいくつかの地域では、マシュア(イサーニョとも、学名"Tropaeolum tuberosum")と呼ばれるノウゼンハレン科の塊茎類を混植することで、シストセンチュウの発生を抑えている。マシュアは、その根からシストセンチュウを避ける分泌物を発生することが科学的に確認されている。また、インカ時代には、このマシュアは男性の性欲を抑える働きがあることが知られており、長期間にわたる兵士の出征や労働賦役に際して性衝動をコントロールする目的で利用されていたことが、スペイン人の記録文書に記されている。ジャガイモは、ポテトグリコアルカロイド(PGA)として総称されるソラニンやチャコニン(カコニン)、ソラマリン、コマソニン、デミツシンなどの有毒なアルカロイド配糖体を含む。これらはジャガイモ全体に含まれるが、品種や大きさによりばらつきがあり、特に皮層や芽、果実に多く含まれる。そのため、食べる際には芽や緑色を帯びた皮は取り除かなければならない。PGAは加熱による分解が少ない。PGAなどの中毒症状は、喫食後の30分から半日後までに頭痛・嘔吐・腹痛・疲労感などの症状を示す。毒性はそれほど強くはないが、小児は発症量が10分の1程度と成人より少なく、保育園、小学校の自家栽培による発育不良の小芋などは特にPGAの量が多いため、中毒例が多い。芽を大量に食べて死に至った事例もある。対策としては芋を日光にあてず、暗所で保存し、芽を(緑色になった場合は皮も)丁寧に取り除く。PGAは水溶性のため、皮をむいて茹でたり水にさらすことである程度除くことはできるが、粉吹き芋で中毒した例が報告されているように、除ききれない場合がある。果実は芽ほどではないにせよ、塊茎と比べPGAの含有量が高いため食用に向かない。国際連合食糧農業機関 (FAO) の統計資料 (FAOSTAT)によると、2005年の全世界におけるジャガイモの生産量は3億2310万トンであり、主食となるイモ類ではもっとも生産量が多い。生産地域は大陸別ではアジアとヨーロッパが4割ずつを占め、インドを除くといずれも中緯度から高緯度北部に分布する。上位5カ国で全生産量の54%を占める。日本の生産量は275万トン(世界シェア0.85%)。農林水産省の統計資料による平成20年度の都道府県別生産高では、北海道が約213万トンと全国の8割近くを占める。ジャガイモの利用形態は、生食(青果)、加工、デンプン原料の3種類に大別される。加工用としては、ポテトサラダ、スナック菓子(ポテトチップスなど)、フライドポテト、冷凍食品(コロッケなど)がある。デンプンは、いわゆる片栗粉として流通している粉末の原料とする意味であり、インスタント麺などの原料にもなる。ジャガイモは、デンプン源だけでなくビタミンやカリウムも多く含んでいる。特にビタミンCが豊富で、フランスでは「大地のリンゴ(:ポム・ド・テール)」と呼ばれ、ドイツ語や上述のオランダ語でも同様の表現が存在する。ジャガイモのビタミンCはデンプンに保護されるため、加熱による損失が少ないという。またジャガイモの皮は、それを使ってガラスや鏡を磨くと曇り止めになる。なお、ジャガイモの品種の説明における「生食用」とは、家庭や飲食店での調理素材として利用することを指しており、通常、加熱して食することを意味する。つまり「生食」の辞書的な意味である、非加熱で食用とする意味ではないことに留意が必要である(本項の説明において以下同様)。ジャガイモは各地域で様々な料理に用いられる。形状・加熱の具合や水分量によって多種多様な食感になり、様々な調味料や油脂・乳製品などとの相性が良い。日本では一般家庭料理の範疇に属するものとして、肉じゃがや粉吹き芋、ポテトサラダ、いももちなど、じゃがいもを主な食材とする料理がある他、カレー、シチュー、グラタン、おでん、味噌汁などの具にも広く用いられている。単に茹でたジャガイモに、バターや塩をかけて食べるじゃがバターもポピュラーな食べ物である。北海道の観光地ではよく名物として売られている。フライドポテト、マッシュポテト、ベークドポテト、ヴィシソワーズ、スープ、コロッケなど、欧米ではジャガイモを主体とした料理が多くあり、主食としての食べ方をする場合もある。他にジャガイモが欠かせない料理として、アイリッシュシチュー、トルティージャなどがある。中国では、千切りしたジャガイモの炒め物も一般的である。また、日本以外では、パンの材料に用いられることがあるほか、パスタ(ニョッキ)に使われることもある。電気炊飯器でご飯を炊くときに、落とし蓋を入れてその上にジャガイモを置いておくと、手間をかけずに茹でることができる。スナック菓子としてポテトチップスが広く食べられている。ただし、タンパク質の成分としてトリプトファンが多く、焦がした場合ニトロソアミンに変化することがあるので注意が必要である。なお、ポテトチップス用の品種も存在し、そのような品種は揚げても焦げにくい(無論、焦げないわけではない)という特徴を持つ。ジャガイモは、古くから凍結乾燥させるという方法で保存性を高め、保存食として利用されてきた。例えば、先コロンブス時代、中央アンデス地域において、冷凍したジャガイモを踏みつけることを繰り返すことで水分と毒を抜く方法が発明され、長期にわたる保存・備蓄が可能になった。この凍結乾燥したジャガイモのことを「"チューニョ"」と呼ぶ。現在でもボリビアやペルーの高地(アルティプラーノ)ではチューニョが利用されている。乾燥したチューニョはまるで小石のように見える。塩味のスープに入れて長時間煮込んで食べるが、質の悪いチューニョはアンモニアのような臭いがすることがある。また、若干作り方が異なり、イモの種類も異なるが、原理的にはチューニョと同じ凍結乾燥ジャガイモに、トゥンタと呼ばれるものがある。これもペルー南部やボリビアなどで広く食べられている。日本でも、山梨県の鳴沢村や長野県の一部地域にジャガイモを寒冷期の外気温で冷凍し踏みつけることを繰り返して、重量と体積を減らし、保存性を高める方法が存在する。「しみいも」「ちぢみいも」などと呼ぶ。北海道のアイヌ民族も、秋に収穫し切れなかったジャガイモや傷のあるジャガイモを畑に放置し、雪に埋もれて凍るに任せる。放置されたイモは凍結と解凍を繰り返し、干からびて体積が減る。この工程を経て作られた保存食をポッチェイモ、ペネコショイモなどと呼び、食べる際は水で戻して丸め、団子にして脂を引いた平鍋で焼く。ジャガイモは、そのものが調理に使われるだけでなく、豊富に含まれるデンプンを抽出したものが片栗粉として販売されている(片栗粉は本来はカタクリのデンプンを粉にしたものであるが、現在市場に出回っている片栗粉のほとんどはジャガイモのデンプンである)。豊富なデンプンを持つジャガイモは、ウォッカ、ジン、アクアビット、ソジュ(韓国焼酎)など蒸留酒の原料にも用いられる。日本においても、近年、北海道では特産のジャガイモを使ったジャガイモ焼酎(しょうちゅう乙類)の生産が広く行われるようになっている。また、長崎県でも特産品としてジャガイモ焼酎を製造している酒蔵がある。1979年4月に、北海道斜里郡清里町の清里町焼酎醸造事業所が、日本で最初のジャガイモ焼酎を製造販売した。以後、北海道の多くの焼酎メーカーがジャガイモ焼酎に参入している。ジャガイモ焼酎は、サツマイモで作る芋焼酎と比べると癖が少なく飲みやすいものとなる。日本では99品種が品種登録されている。現在では公的機関ばかりでなく、農家により突然変異を基にした新種育成もまれに行われている。なお、先述したとおり以下の説明における「生食用」は家庭や飲食店での調理素材であることを意味し、非加熱で食用とする意味ではない。生食用品種。英名は「アイリッシュ・コブラー(Irish Cobbler、「アイルランドの靴直し職人」)」といい、1876年ごろにアメリカで赤い「アーリーローズ」の白色変異種として発見され、発見者にちなみ命名されたと伝えられているが、近年の調査で「アーリーローズ」由来説は否定されており、何らかの雑種由来と考えられている。明治時代の1908年に川田龍吉男爵がイギリスから持ち込んで日本に定着させた品種(品種の正体が「アイリッシュ・コブラー」であることは後に判明した)。デンプンが多くホクホクした食感が得られるが、煮くずれしやすい。このため、粉吹き芋やマッシュポテト、コロッケなど潰してから使う料理に適している。芽の部分が大きく窪んでおり、でこぼこした形状なので皮をむきにくい。主に、東日本で主流の品種である。花は薄い紫色、雄性不稔のため父親とはならないが、直接の母として「キタアカリ」「農林一号」などがあり、交配によらないものとしてプロトクローンから「ホワイトバロン」が選抜された。生食用品種。英名は"May Queen"。イギリスで民間に栽培されていたのが1900年に登録され、大正時代に日本に持ち込まれた品種。男爵イモよりもねっとりしていて、煮くずれしにくい。このため、カレーやシチューや肉じゃがなど、煮て調理する料理に適している。男爵薯に比べて長い形状で、でこぼこもそれほどひどくなく、皮はむきやすい。主に西日本での消費が多い。世界的に見ても、特に日本で人気がある種(イギリスでも今日では忘れ去られている)。「メイクイーン」と呼ばれることも多いが、品種名としてはメークインが正しい名前である。花は紫色で雄性不稔。長年派生種は存在しなかったが俵正彦により突然変異から「タワラ小判」「タワラ長右衛門宇内」が選抜された。生食用品種。男爵薯を母親として、ジャガイモシストセンチュウ抵抗性を付与させて農林水産省北海道農業試験場(現:北海道農業研究センター)で育成したもので、1987年に品種登録された。カロテンやビタミンCの含有量が多い。男爵薯同様、粉吹き芋やマッシュドポテトに適している。黄色が強めである。でんぷん原料用品種。日本において男爵薯についで生産量の多い品種で、北海道のみで作付されている。ジャガイモの最大の害虫とされるジャガイモシストセンチュウに対する抵抗性を持たず、近年は生産量を減らしている。生食用品種。ジャガイモシストセンチュウ抵抗性およびウイルス病(PVY)耐性を目的として北海道農業試験場で育成され、1995年に品種登録された。内部が黄色く、カロテンやビタミンCの含有量が多い。口当たりがなめらかで、ポテトサラダに適している。JAたんの(現:JAきたみらい端野支所)では、独自ブランド名として黄爵(こうしゃく)と名付けて販売している。生食(加工)用品種。北海道立根釧農業試験場で育成され、1974年に品種登録。新じゃがポテトチップの材料として使用される。加工用品種。北海19号とエニワの交配種で、1976年に品種登録。ポテトチップの材料として生産されている品種。風味は男爵薯に較べると劣るといわれるが、揚げると男爵に比べ色合いがよい。生食用品種。「トヨシロ」を母、「北海51号」を父として交配された品種で、1981年に品種登録。細長い形はメークイン似ており、やや黄色みを帯びている。煮崩れに対する強さはメークインを上回り、「黄金メーク」「コスモメーク」等の別名でも呼ばれる。収穫時期がメークインより遅いので、その代替品として店舗に並ぶことも多い。2002年に種苗登録された小粒で黄色みの強い品種。アンデス産の小粒で食味が良い種("S. tuberosum"ではなく、2倍体の"P. phureja")と、アメリカの品種Katahdinの半数体を交配させ、日本の長日条件下で栽培できるように開発した2倍体の品種。甘みが強く、サツマイモや栗に似た味を持つなど食味はよいが、収量は少なく、病虫害に弱いことから他の品種と比較して栽培が難しい。また発芽しやすく、長期の保存には不向きである。生食用品種として人気が高まってきているが、生産量は少なくジャガイモのなかでは高価である。北海道十勝地方の幕別町などが主産地である。長期冷蔵貯蔵によりさらに糖度の増加した物もあり、近年ではその風味を生かした本格焼酎の原料にもなっている。長崎県総合農林試験場で交配・育成された品種で、1971年(昭和46年)に品種登録された。品種名は江戸時代に外国への窓口であった長崎の出島にちなんだもの。長崎県を中心に九州で多く栽培される。多収で薯が大きくなる品種。肉色は黄白色で適度に煮崩れし美味だが、明るい所では緑化しやすい。長崎県をはじめとした暖地での主要品種のひとつ。長崎県総合農林試験場で交配・育成され、1978年(昭和53年)に品種登録された。親は母がデジマ、父が長系65号。茎は短く直立、肥大性良、多収で栽培しやすい品種。英名は"Russet Burbank potato"。1875年にアメリカの種苗家ルーサー・バーバンクが開発した『バーバンク』の突然変異により1910年頃に誕生。大きくなるためフライドポテトに向き、日本へも加工品が多く輸出されている。日本では環境の違いから収量が得られず栽培されていないため、もっぱら加工品の輸入に頼っている。"Russet"は、「ザラザラした」という意味で、芋の表面の特徴にちなむ。ラセット・バーバンク以外にもラセット・レンジャー、ラセット・ノーコタ、ノーキング・ラセット、シェポディーなどの品種があり、これらを総称して「ラセット種」「ラセットポテト」などと呼ぶ。これらラセット種は、アメリカでもっともポピュラーな品種である。仏名は"Cynthia"。フランスのジャガイモ育種・販売会社であるジェルミコパ社により育成され、1996年に登録された品種。日本では2003年2月に品種登録された。他の品種と比べ卵形のシンプルな形状をしており、貯蔵性に優れ煮物にしたときの煮崩れが少ないなどの理由で人気がある。1971年から1974年にかけて川上幸治郎らがアーリーローズを母、アンデス原産の2倍体栽培種「"S.phureja 253"」を父として交配し「M72218」の名で選抜育成していた3倍体の種間雑種系統。春作よりむしろ秋作に適し、岡山県牛窓町のばれいしょ採種農家が在来種として栽培を繰り返し維持してきた。派生種として、麒麟麦酒が本種のプロトプラスト培養から選抜した「ジャガキッズ」、俵正彦が突然変異から選抜した「タワラマガタマ」「タワラヨーデル」がある。16世紀に南米からヨーロッパにもたらされたジャガイモは、当初はその見た目の悪さ(現在のものより小さく黒かった)からなかなか受け入れられずにいた。さらに民衆は、ジャガイモは聖書に載っておらず、種芋で増えるという理由で「悪魔の作物」として嫌った。しかし、ヨーロッパで栽培される従来の主要な作物よりも寒冷な気候に耐えること、痩せている土地でも育つこと、作付面積当たりの収量も大きいことから、17世紀にヨーロッパ各地で飢饉が起こると、各国の王は寒さに強いジャガイモの栽培を広めようとした。とくに冷涼で農業に不適とされたアイルランドや北ドイツから東欧、北欧では、食文化を変えるほど普及した。これには、地中で育つジャガイモは麦などと違い戦争で畑が踏み荒らされても収穫できることと、農民がジャガイモを食べることで領主たちが自分の麦の取り分を増やそうとした目論見もあった。また西洋のみならず、アメリカ合衆国など北米地域や、日本などアジア地域にも普及し、ジャガイモが飢餓から救った人口は計り知れないといわれる。2005年にはジャガイモの原産地の一つであるペルーが国連食糧農業機関(FAO)に提案した「国際イモ年 (IYP International Year of Potato)」が認められ2008年をジャガイモ栽培8000年を記念する「国際イモ年」としてFAOなどがジャガイモの一層の普及と啓発を各国に働きかけることになった。ジャガイモがヨーロッパに流入した当初、ヨーロッパには芋という概念がなかった。そのため、芋というものを食べると分かるまで、本当は有毒である葉や茎を食用とする旨が書かれた料理本がイングランドで出版され、それを真に受けたイングランド人がソラニン中毒を起こした。アイルランドでは栽培の容易さや収量のためだけではなく、支配者のイングランド貴族が熱心に勧めたことにも原因があった。ジャガイモの栽培を増やして農民がそれを食べるように仕向ければ、自分たちが収奪する麦の分量が増えると考えてのことである。結果としてアイルランドでは、主食としてジャガイモが非常に重要になった。このため、1840年代にジャガイモの疫病がヨーロッパに蔓延した際に、ジャガイモに依存していたアイルランドではジャガイモ飢饉が起こり、大勢のアイルランド人が北アメリカに移住することになった。その移民の中に、後に第35代アメリカ合衆国大統領になるジョン・F・ケネディの曾祖父パトリックがいたのはよく知られている話である(ケネディはパトリックの次男の孫、すなわち4代目である)。ドイツ料理にはジャガイモが多用される。ドイツで最初にジャガイモが普及したのはプロイセンである。プロイセンの支配地であるブランデンブルク地方は、南ドイツなどとは違い寒冷で痩せた土地が多く、しばしば食糧難に悩まされた。そのため、荒地でも育つジャガイモは食糧難克服の切り札とみなされ、フリードリヒ2世が栽培を奨励した。しかし他のヨーロッパ諸国同様、不恰好な外見から人々に嫌われたため、フリードリヒ2世は自ら領地を巡回してジャガイモ普及を訴えたり、毎日ジャガイモを食べたという。ドイツの食習慣には茹でたジャガイモをフォークなどで潰してから食べる場合があり、第二次世界大戦中、フランスに潜伏したドイツのスパイがレストランでジャガイモを潰して食したためスパイであることが露見した、などのジョークが存在する。また、ドイツ軍が第一次世界大戦以降に使用した柄付き手榴弾が形状が似ていることから、「ポテトマッシャー(イモ潰し器)」と呼ばれていた。フランスでは、プロイセンの捕虜時代にジャガイモを知った農学者アントワーヌ=オーギュスタン・パルマンティエの提言により、ルイ16世が王妃マリー・アントワネットにジャガイモの花を飾って夜会に出席させると、貴族は関心を持った。しかし食用としては他の国々の例に漏れず、当初は庶民の間で嫌われた。ジャガイモを国に広めたいと思ったパルマンティエは一計を案じ、王が作らせたジャガイモ畑に昼間だけ衛兵をつけて厳重に警備した後、夜はわざと誰も見張りをつけなかった。王がそこまで厳重に守らせるからにはさぞ美味なのだろうと考えた庶民の中から、夜中に畑にジャガイモを盗みに入る者が現われた。結果的に、パルマンティエの目論見通りジャガイモは民衆の間に広まって行ったという話が残っている。このことから、フランスのジャガイモ料理には「パルマンティエ」の名が付くようになった。特に、牛挽肉とマッシュポテトで作るキャセロール「アッシ・パルマンティエ」が有名である。北朝鮮では、1990年代後半から食糧危機が発生したが、この時政府(朝鮮労働党)は「ジャガイモ農業革命」を提唱してジャガイモの生産拡大を、同時に種子改良(種子革命方針)、二毛作方針を徹底した。ジャガイモは白米に比べて、気候や土地に依存せず大量に生産できる。このように、食糧問題の解決に用いられる例がある。品種により貯蔵性が異なり、加工業者は使用時期別にいくつかの品種を組み合わせて使う場合がある。例えば、長期貯蔵性に優れる「スノーデン」種(ポテトチップスの原料の一つ)は、4月から6月頃の原料として使われる。茹でた場合は、冷蔵庫に入れておけば、滅菌状態ではおよそ1週間から2週間程度もつ。ちなみにジャガイモ単独で茹でる場合は、皮はついたまま茹でた方が、ふっくらする。茹でた場合、冷凍庫には決して入れてはならない(水分が分離してスカスカした食感になる)。しかし、マッシュポテトや水分が比較的少ないフライドポテトなどは冷凍しても問題ない。収穫後2か月から3ヶ月は休眠期であり、好適な温度や湿度条件下でも発芽しない。しかし、その後、本来繁殖器官である塊茎は発芽を始める。発芽することにより、生食用品種として商品価値を失い、加工用やでんぷん原料用では減耗や歩留まりの低下、品質の劣化が起こる。そのため、貯蔵中の発芽を抑制するためにいくつかの方法が用いられている。3℃から10℃の低温で貯蔵することにより発芽を防ぐ方法が一般的である。最適な貯蔵温度は品種によって異なる。低温保存することにより、可溶性糖の含量が増える。CA貯蔵 (Controlled Atmosphere) は、貯蔵する空間の気体の組成・湿度・温度を制御して鮮度を保持する方法。青森県のリンゴの長期貯蔵において一般的な方法で、ジャガイモでも実用化されており、8か月から10か月の長期貯蔵が可能である。アメリカ合衆国などでは、収穫後にクロロプロファムという薬品を散布して発芽を抑制する方法をとっている。日本では除草剤として登録されている農薬で、ジャガイモの発芽防止目的に使用することは許可されていない。この薬品はカナダ・米国・オランダその他の主要ジャガイモ生産国において、フライドポテトやポテトチップなどの加工用ジャガイモに普通に使用されている薬品なので、これらの国から輸入されているジャガイモ加工製品には普通に検出される。日本ではもともとジャガイモには残留基準がなく、他の野菜では0.05ppmの残留基準値であったが、米国などからの圧力により1995年のWTO協定の「衛生植物検疫の措置に関する協定」(SPS協定)締結に乗じて1000倍の50ppmに変更された、いわく付きの薬剤である。この条約締結以前においては、日本では使用が認められておらず、残留基準値すら規定されていない薬剤が多量に残留しているジャガイモ加工品(主に冷凍品)が、日本に大量に輸入されるという異常な状態が続いていた。当時、東京都の衛生研究所が「日本で使用が禁止されており、残留基準値すら規定されていない農薬クロロプロファムが、輸入された冷凍ポテト製品から多量に検出された」と発表すると、米国ポテト協会が「米国で長いこと使用されて何ら問題のないクロロプロファムについて、日本ではなぜ問題にするのか」と開き直った新聞広告を大々的に公表するというおかしないたちごっこが毎年の恒例行事になっていた。農林水産省は「日本ではこのような適用の方法は、農薬ではなく食品添加物とみなされるため、農薬取締法の範疇で規制されるものとは考えられていない」と弁明を繰り返していた。しかし、そもそも国民の健康を守るという主旨から出発している農薬取締法の見地に立てば、「日本では使用が禁止されている薬剤を使用していることが明らかな農産物を原料とする加工食品の輸入について、それが加工食品であって農産物そのものではない」として、自らの問題ではないとして逃げ回っていた農林水産省は全くもって無責任と言わざるを得ない状況であった。そもそも、外国から様々な食品が輸入されて、その中には日本で使用されていない農薬が残留することもあるというような事態をあまり深く想定していなかった行政の対応の遅れを象徴する事件の一つであった。クロロプロファムを適用する手法は、ポストハーベスト薬剤の手法そのものであり、具体的には、収穫したジャガイモを倉庫に貯蔵した段階で薬剤溶液を霧状にしてジャガイモに直接噴霧する方法や、生食用のジャガイモで出荷前に塊茎に直接噴霧したり薬剤溶液の中を浸漬・通過させる方法などである。そのため、たとえジャガイモ全体としては残留基準値を守っていたとしても、表皮の部分などに限ってみれば残留基準値の数倍の濃度で検出されることが米国コーネル大学の研究者の報告で明らかになるなど、健康への懸念から残留基準値の見直しが進められており、すでに米国の環境保護庁では30ppm、欧州連合では10ppmへの低下が答申され、EUでは実施に移されている。しかし、日本においては基準値の見直しの動きはない。ここにおいて、またしても、日本政府の主体性のない農薬行政の姿勢が浮き彫りになっている。現在ではクロロプロファムについては、イギリスを中心に消費者の間に懐疑的な動きが広まり、すでにいくつかのスーパーマーケットではクロロプロファムを使用したジャガイモを店頭で販売することを自主的にやめたところも出てきている。この薬剤に対しての懐疑的な動きから、世界的により安全な発芽防止剤の開発が1990年代より盛んになり、すでに様々な発芽防止剤が外国では登録認可されている。日本国内では現在、登録されている発芽抑制剤はないが、以前はマレイン酸ヒドラジド(商品名:エルノー)が使われていた。2008年にエチレンが発芽防止目的で北海道ジャガイモ協議会と日本スナックフーズ協会との連名により、特定農薬としての登録について申請、受理されて、現在政府内において審議中である。エチレンは過去に麻酔剤として人間に使用されていた実績もあり、バナナの熟成やキウイの熟成、さらにはモヤシを太くする等の目的により、古くから利用されてきた安全性の高いガスである。エチレンはまた、ジャガイモなどの多くの植物が自ら発生する植物ホルモンとして広く知られており、残留性のない安全性の高い物質であり、発芽防止剤としての普及が期待されている。世界的にはイギリスやカナダなどで登録が行われており、欧州連合においての登録作業もすすめられている。前述のクロロプロファムを使用したジャガイモの販売を取りやめた英国のスーパーマーケットでは、エチレンで発芽防止したジャガイモに販売を切り替えている例が多い。放射線であるガンマ線を照射する方法がある。コバルト60から放出されるガンマ線により、芽の組織の細胞分裂を阻害することで発芽を抑制する。ジャガイモへの放射線照射は 1972年に厚生省(現厚生労働省)により認可されたが、1974年1月から道の許可を得て北海道の士幌町農業協同組合が実施しているのみである。なお、日本において放射線の食品照射が認められている食品はジャガイモだけである。ジャガイモの発芽防止のために行う放射線照射の認知度は28%と低く、安全性や必要性など食品への放射線照射に関する基本的事項についてのわかりやすい情報提供の不足を指摘する声が多い。暗冷所にリンゴと一緒にして保存すると発芽しにくくなるといわれてきた。これには異論も多く、効果がないという報告も多かったが、近年、欧米での研究によりリンゴなどから発生するエチレンガスがジャガイモの芽の伸びを抑制する効果を持つことが明らかにされ、工業的に生産されたエチレンを用いて正しく濃度コントロールをして発芽を抑制する技術が確立されている。しかし、リンゴとの共存によるエチレンガスの濃度コントロールは困難であり、エチレンガスの濃度や保存期間が充分でないと、逆に芽の伸びを助長することも立証されている。ジャガイモは通常5℃以下の冷暗所で保存するといつまでも芽は伸びないので、そのような場所で保存することが最も重要である。ただし、一度高温にさらして芽が伸び始めたものは長い期間の保存には適さないので、もともと芽が伸びていないジャガイモを選ぶことがこつである。リンゴと一緒に保存する方法については、濃度や時間・温度のコントロールが困難で失敗の確率が高く、勧められない。
出典:wikipedia
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