藤堂 高悠(とうどう たかなが)は、伊勢津藩の第8代藩主。藤堂家宗家8代。寛延4年(1751年)、江戸卯原にて生まれる。初名は高丘。父の高朗は第6代藩主・高治の長男・高般を養嗣子として迎えていた。宝暦2年(1752年)8月23日、高般の養子となる。宝暦4年(1754年)に養父高般が死去し、翌年3月13日に祖父高治の嫡孫になった。明和3年(1766年)8月15日、将軍徳川家治にお目見えする。同年12月19日、従四位下大学頭に叙任する。明和6年(1769年)2月9日、祖父高朗の隠居により家督を継ぐ。同年3月5日、和泉守に改める。同年12月18日、侍従に任官する。高悠は勤皇の意思が強く、佐賀藩と協力して仙洞御所の普請役を率先して務めたが、そのため藩財政をさらに悪化させた。生来から病弱ということもあって、明和7年(1770年)閏6月2日に20歳の若さで病死した。嗣子がなく、跡を兄の高嶷が継いだ。
出典:wikipedia
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