『ER緊急救命室』(イーアール きんきゅうきゅうめいしつ 原題:"ER")は、アメリカ合衆国のNBCで放送されたテレビドラマシリーズ。1994年9月9日から2009年4月2日にかけて331エピソードが放送された。日本ではNHKで1996年4月1日から2011年3月10日にかけてBS2で放送された。日本ではLaLa TV、スーパー!ドラマTV、WOWOWプライム、Dlifeにて再放送されている。マイケル・クライトンが医学生だった頃のエピソードを綴った作品『五人のカルテ』(ハヤカワ文庫)が原作。シカゴにあるクック郡病院(テレビドラマではカウンティ総合病院)の救急救命室(Emergency Room、略称:ER) で働く医師や看護師たちの日常をリアルに描いたドラマである。ドラマは、ジョン・カーター(若き日のクライトンがモデルといわれているが、本人は否定している)の病院実習(ER実習)の第1日目の出来事から始まる。番組の冒頭と最後に流れる曲はTheme from ER(日本語名「ERのテーマ」作曲:ジェームズ・ニュートン・ハワード)である。『五人のカルテ』を映画化するために、原作者クライトン並びに友人のスティーヴン・スピルバーグが、この作品について打ち合わせをしていた時、クライトンは、その当時執筆していた『ジュラシック・パーク』のエピソードを話してしまい、スピルバーグの興味はそちらに移ってしまった。いったん『ER』はお蔵入りとなったが、その後ワーナー・ブラザーズが掘り起こし、テレビドラマとしてスタートさせた。本国アメリカではシーズン15まで放送された。決して広くはない診療室で撮影しなくてはならず、ステディカムが威力を発揮している。第1話の撮影は廃院となった病院をスタジオ代わりに撮影しており、それ以降はスタジオにセットを再現して撮影した。シリーズ展開では、プロデューサーとして『ザ・ホワイトハウス』と同じジョン・ウェルズが参加していることもあって、アフリカのコンゴにおける貧困や紛争などをリアルに描いたり、アメリカにおける麻薬や銃問題などが提起してあったりなど視聴者に問いかける一面もある。緊迫した場面の合間にコミカルなエピソードを挿むのも『ザ・ホワイトハウス』と共通している。初期シーズンの90年代後半にはアメリカの木曜のプライムタイムにおいて、ほぼ毎週視聴率トップを独占し、NBCの黄金時代を築く一角となり、日本にもこの人気が上陸。NHKが深夜放送で高視聴率をマークしたり、各テレビ局でも海外の医療ドラマを放送したり救命病棟24時のようにERに触発されて制作されたドラマが多くなった。だが、初期の主演俳優を失い、ノア・ワイリーが抜けた後のシーズン12以降は視聴率が大きく低下、2009年のシーズン15で終了となった。なお、2009年4月2日の最終話では視聴者数が1620万人となり、最終話の視聴者数としては最高潮を迎えることになり「ジェシカおばさんの事件簿」以来となった。米国では、初回シーズン放映時にERは各エピソードで1900万人の視聴者を獲得し、その年で2番目に最も視聴された番組となった(一位はとなりのサインフェルド)。次の2-3シーズンでは北米で最も視聴された番組となった。5年ものの間、ERはとなりのサインフェルドと視聴率トップ争いを繰り広げていたが、1998年にとなりのサインフェルドは終了し、ERは再びトップを取得した。最終シーズンにおいては、16400万人の視聴者を獲得している。最も高視聴率であったエピソードは、シーズン2エピソード3の「地獄からの救出 - Hell and High Water」の45%であり、4800万人が視聴していた。これは1985年のドラマ「ダラス」の46%に次ぐ値である。日本での放送はNHKが最も進んでおり、BS2で全15シーズンが放送完了。BShiでもシーズン12まで放送され、総合テレビもシーズン13まで放送された。CSでも過去のシーズンが再放送されている。日本語版の演出力や翻訳の質、キャスティングの点でNHKで放映されている海外ドラマの中でもトップレベルが維持されているとされる。レギュラー陣は勿論ゲスト声優も実力者が揃い、本国の生放送(シーズン4第1話)に併せた吹替えの一話ノンストップ収録も放送用のほか、ビデオ用の東海岸ヴァージョン、西海岸ヴァージョンと、3回も実現させている。NHK放映時の次回予告は日本語版オリジナル。殆どの場合番組冒頭でそれまでのあらすじを振返る箇所の転用であり、予告にも関わらず二ヶ国語放送の副音声への切換により、主要キャストが交替で"previously on ER"と言っているのが判る。2011年10月からはWOWOWプライムで第1シーズンから再放送されている。WOWOWプライムでは全話16:9ワイド映像での放送となっている。(ER 15年の歴史をレギュラー出演者が語るER 最終回直前の特別番組。Retrospective=「回顧展」)出演俳優が次々と降板していくことで有名である。ジョージ・クルーニーは「ハリウッドでの映画撮影の仕事へ専念したい」という理由で降板し、アンソニー・エドワーズは「家族との時間を大切にしたい」という理由で降板しており、ノア・ワイリー以外の全てのシーズン1での主要メンバーが、シーズン8までにドラマを離脱した。そのノア・ワイリーも「家族との時間を大切にしたい」とのことで、シーズン11に降板した(その後ゲストとして4回ほど出演している)。シーズン2より出演しているローラ・イネスは2007年1月11日のエピソード(シーズン13第13話)をもって降板したが、「降板はサプライズにしておきたかった」との意向で、直前までアナウンスされなかった。その後も引き続き演出等でERには係わっている。また、シェリー・ストリングフィールドなどのように途中のシーズンで戻って来るメンバーもいる。だが、そのストリングフィールドもシーズン12で降板した。最終シーズンでは、過去の出演者の回想やその後を描くエピソードとしてジョージ・クルーニーらこれまで降板した出演者が集結した。シーズン1では、クエンティン・タランティーノが1本だけ演出をしており、この際に小児科医ダグラス・ロス役のジョージ・クルーニーを見いだし、後に彼は、タランティーノが製作・脚本を担当し、親友のロバート・ロドリゲスが監督した『フロム・ダスク・ティル・ドーン』に主演として出演する。このことがきっかけで、ジョージ・クルーニーは、映画スターとして認識されるようになる。ちなみにクエンティン・タランティーノが演出するきっかけとなったのはERの1話をビデオに録画し忘れて、テレビ局に「一話分を監督してくれたらそのビデオをあげてもいい」と言われたからとのことである。その他、ユアン・マクレガーなどのスターがゲスト出演したり、演出家だったミミ・レダーがクルーニー主演の映画『ピースメーカー』で映画監督デビューを果たしていたり、同じ制作会社が作ったドラマ『サード・ウォッチ』の出演者(お互いに舞台となる場所が違うので、ER側のスーザン・ルイスが『サード・ウォッチ』の舞台の場所に行くという設定)との共演もあった。2002年、シーズン6においてNHK総合は第13話と第14話(トータルでは126話と127話)の放送を中止した。前年にNHK-BS2で当シーズンを放送した際は放送していた。この回は精神分裂症(統合失調症)を扱っていた。前週では該当の回の予告編を放送していたにもかかわらず、放送時に中止および次回の繰り上げを告げる字幕を入れたのみで中止した。NHKは後に「内容が精神障害者への差別を助長、社会復帰への障害となる恐れがあるので、NHKの判断で放送を中止した」と説明した。放送時間はそれぞれの国・地域の現地時刻。全てワーナー・ホーム・ビデオより発売。
出典:wikipedia
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