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千葉マリンスタジアム

千葉マリンスタジアム(ちばマリンスタジアム)は、日本の千葉県千葉市美浜区の県立幕張海浜公園内にある多目的野球場。1992年(平成4年)から日本プロ野球・千葉ロッテマリーンズが専用球場(本拠地)として使用している。QVCジャパンが施設命名権(ネーミングライツ)を取得し、2011年3月1日より呼称をQVCマリンフィールド(キューヴイシー マリンフィールド)としている(詳細は後述)。地名を冠せずにマリンスタジアム、マリスタ、或いは千葉マリン、マリンといった形で略した通称が使用される。「QVCマリンフィールド」という名前になってからはQVCマリンが用いられている。全国屈指の多目的野球場を目指して「千葉球場(仮称)」として1988年(昭和63年)1月30日に起工式が行われた。愛称の募集が行われ、同年4月15日に「千葉マリンスタジアム」に決定した。球場施設は千葉市、駐車場などの土地部分は千葉県がそれぞれ所有であるが、建設時から民間のノウハウ活用して各種イベントなどの運営・管理を第三セクターが担うことを目指しており、地元企業など官民49社が共同出資して、1989年(平成元年)5月19日に「株式会社千葉マリンスタジアム」が設立された。老朽化しかつ狭隘な川崎球場を本拠地とし、観客動員が伸び悩んでいたロッテオリオンズは関東の他球場への本拠地移転を検討しているとされており、建設開始前後から当球場へ進出する構想がささやかれていた。また、「株式会社千葉マリンスタジアム」が運営会社として活動を開始した直後の1989年(平成元年)6月25日に「千葉にプロ野球を誘致する県民会議」が県民・市民や県内政財界関係者によって結成され、プロ野球誘致を求める署名運動が開始された。そのため、「株式会社千葉マリンスタジアム」がロッテ球団に対して招致を行って「公式戦」の1989年(平成元年)11月に開催するとの回答を得ると共に、同年11月24日には同球団の松井社長が来季からの移転に意欲を見せるなど本拠地移転に向けて進展が見られた。しかし、プロ野球の球団本拠地化に伴う補助金の返還が約5億円に上ることなどもあり、「公共性重視」を掲げて千葉県側が招致に慎重な姿勢を示したことから1991年(平成3年)の移転すら困難と見られるようになった。こうした状況を受けて、千葉青年会議所が千葉県と千葉市にプロ野球誘致に向けて努力を要望したものの、状況は進展しなかった。こうしたロッテ球団との関係から当球場のこけら落しはロッテ対巨人戦となり、市民1万人を無料で招待することになった。そして、1990年(平成2年)3月24日に開場し、こけら落しとしてロッテ対巨人戦が開催された。ところが、開場後の1990年(平成2年)7月になっても千葉県当局は県議会でプロ野球の球団誘致に慎重な姿勢を変えなかったことから、同年9月に千葉青年会議所が千葉県議会に改めて請願書を提出し、同年10月に入ってようやく千葉県知事が誘致へ協力することを表明することになった。こうした千葉県の姿勢の転換を受けて同月25日に千葉市と千葉県はプロ誘致について正式合意し、千葉県が千葉市に了承書を交付した。ところが、同月30日に松井ロッテ球団社長は1991年(平成3年)の移転断念を表明し、1991年(平成3年)2月5日に「株式会社千葉マリンスタジアム」がパシフィックリーグに招致への協力要請した後の3月31日に行われた千葉市長との会談でロッテ球団側はあくまで「白紙」状態であると表明するなど、今度はロッテ球団側が慎重な姿勢を見せた。その後、同年7月31日に日本プロ野球のオーナー会議で重光ロッテ球団オーナー代行が正式に移転を表明し、同日開催されたロッテ主催による千葉マリン初のパ・リーグ公式戦(対西武戦)に花を添えた。そして同年9月4日の実行委員会でロッテの保護地域の千葉県への移転が承認され、同年10月31日のオーナー会議での承認を経て、1992年からロッテは千葉マリンに本拠地を移すことが決定した。移転の際、従来からのファンからは球団名として「オリオンズ」の継続を望む声もあったが、低迷を脱出するためにイメージを一新したいとして変更することになり、同年11月19日に一般公募から選考して新たな愛称は「千葉ロッテマリーンズ」に決定した。1992年(平成4年)3月3日に「千葉ロッテマリーンズ」は当球場で初の練習を行い、同月7日には初のオープン戦、同年4月4日には初公式戦を開催して本拠地としての活動を開始した。移転初年度のロッテはチームの勝敗では6位と最下位に低迷したものの、観客動員では移転景気で約28万人増の約130万人と球団新記録を達成したが、2年目に大きく落ち込んだ。その後は、チーム成績が好調だった1995年(平成7年)には観客動員が伸びたものの、チーム成績および観客動員共に低迷した。1996年(平成8年)3月の千葉市議会で「千葉マリンのドーム化」についての質疑が行われるなど、県や市の政財界関係者の一部の間で、伸び悩むロッテの観客動員と強風など気象条件に左右されやすい環境を改善する打開策として「千葉マリンのドーム化」を求める動きが起こった。1999年(平成11年)にロッテがシーズン序盤好調だった際に時の市長(松井旭)が「優勝した場合はドーム化を検討する」と表明し、この際には建設費は約80億円で民間資本を活用して行うことが構想されていた。2004年(平成16年)6月に「ボールパーク化構想」の実現のために千葉県議会が当球場と隣接する千葉県立の海浜公園の一体的な活用が可能となる管理基準の改訂を行い、同月にロッテ球団はその一環として球場周辺に物販施設を併設することなどを提案して千葉市とも協力することになった。2006年(平成18年)4月に一塁側にカクテルなどを味わいながら観戦可能な「バー」を、同年8月1日にスタジアム敷地内に「マリーンズ・ミュージアム」を開設するなど「ボールパーク化」が進められることになった。こうした取り組みに伴って千葉ロッテマリーンズが指定管理者となり、管理業務は県・市・ロッテ球団などが出資する第三セクター・株式会社千葉マリンスタジアムが受託する形態となった。2010年(平成22年)11月4日 - 千葉市が施設命名権売却先の募集要項を原則として「契約期間3年以上で年額2億円以上」と発表して公募に踏み切り、同年12月7日に施設命名権売却先の交渉先にQVCジャパンを交渉先に選定した。同社の応募は契約金額は年額2億7500万円の10年間契約で総額27億5000万円というものであった。そして、同年12月27日に千葉市およびロッテ球団はQVCジャパンが基本合意して呼称を選定したと発表し、2011年(平成23年)3月から「QVCマリンフィールド」となることになった。社会人野球公式戦のJABA千葉市長杯争奪野球大会の第1回大会を皮切りに高校野球や社会人野球などのアマチュア野球も行われるようになった。高校野球では、夏の全国高等学校野球選手権千葉大会の開会式と準々決勝以降の試合(ロッテの日程の兼ね合いで5回戦以下の試合で使用される場合もある)などで使用されている。他球場と同じく草野球場としての一般貸し出しも行っているが、使用条件があり千葉市・千葉県関係者を中心とした開放に限らせている。2010年(平成22年)9月25日に国民体育大会(ゆめ半島千葉国体)の開会式会場となった。野球場で国体の開会式をするのは初めて。2010年にロッテがクライマックスシリーズに進出した際には、ファーストステージならびにファイナルステージ全試合のパブリックビューイングが元ロッテの立川隆史をゲストに行われ、最終戦には公式戦並みの約1万3千人の観客を集めた。スポーツだけでなく娯楽の殿堂としての機能も持つ多目的野球場として完成間もない1990年4月13日のマドンナのコンサートを皮切りに、コンサートでも数多く利用されており、近年では都市型音楽フェスティバルのサマーソニックの会場等にもなった。しかし、一方ではそのマドンナのコンサートに対して近隣住民などから騒音としての苦情が約60件寄せられ、中には3km離れた離れたところからのものもあるなど住宅もある都市部での野外施設のために騒音問題も開場当初から存在している。2011年3月11日に発生した東日本大震災の際、球場自体には大きな被害はなかったが駐車場や海浜幕張駅周辺で液状化が発生。観客の安全に配慮して同月15日と16日のオープン戦が中止となった。サッカーやアメリカンフットボールでの使用も視野に入れた真円形のスタンドを採用しているが、可動席(現在は廃止)には他の多くの円形兼用球場のようなスライド式ではなく取り外し式のものが採用されている。内野は二層、外野は一層式。全体の形状は円形であるが、外形は内野席の比率が大きくなるようになっている。かつてはサッカーコートをフィールド内に収めるための取り外し式可動席がダッグアウト横にあったが、フィールドシート増設時に廃止され可動席部分もフィールドシートとなった。球場の管理権が球団に移った2006年以降には小規模な改装が繰り返されており、通常の座席がボックスシートに変更されている箇所がある。また内野下段スタンドの最上段には室内観覧席が設置されている他、バックストップ裏(バックネット裏下)1階部分の記者席一塁寄りを「マリーンズ・プレスシート」として観客席としている。内野スタンドと外野スタンドは分かれた構造となっており、場内通路で繋がれている。ロッテ主催試合では外野席の入場者は内野部分に入れるが、逆に内野席の入場者は2006年から外野部分に入れなくなった。2005年までは、外野席が満員になった試合、優勝決定ゲームなど混雑が予想される試合のみ。2005年のプレーオフ第1ステージ第1戦では、ライト側(ロッテ側)外野席が満員となり、レフト側(西武側)の一部をロッテファン用に開放したものの、ロッテファンの一部がチケットを持っているにも関わらず入場できないという混乱が起きた。現在では、レフト側外野席のセンター寄り部分をマリーンズ側として設定しており(一部対戦は除く)、ビジター、ホームの席の割合が3:7となっている。(スタンドデッキという水平床のテーブル席がビジター側にあり、)紙テープや紙吹雪は許可が下りた場合のみ可。ダッグアウトに選手が入る際、ベンチにはテンピュール製のクッションが配備される。近隣に居住地域が無いため試合時間が遅くなっても他球場と異なり鳴り物制限は一切無い。サッカーコートが収まる大きさにしていたがスライド式可動席を採用しなかったため、同クラスのフェアグラウンドを持つ野球場よりかなりファウルグラウンドが大きくなっている。ロッテが本拠地としてからフィールドウイングシートが増設されるまで、NPBの球団が一軍本拠地とする球場の中でグラウンド面積が最も広かった(公式発表では阪神甲子園球場がより広かったが訂正されている)。フィールドウイングシート設置後のグラウンド面積は公表されていない。アメリカンフットボールはフィールドシート増設後でも使用可能で、社会人リーグであるXリーグの公式戦も行われている(オービックシーガルズが本拠地のように表現している)。使われるのは外野部分で、その際にはライト側とレフト側にゴールポストが設置される。グラウンドは全面人工芝で、2003年初めにアストロ製のショートパイル人工芝「ネクストターフ」(パイル長30mm)に張り替えられた。張替え当時はいわゆる「ハイテク人工芝」と称された高機能型であった。2009年頃からパイル硬化などの劣化が指摘され、ロッテは同年オフ、千葉市に対し人工芝の張替えを求める要望書を提出した。千葉市は慢性的な財政難のため、張替え費用を捻出することが困難としたため、約5億円の工費はロッテ球団が立て替え、市が2011年度から6か年かけて返済する形で費用を工面することが決定した。2010年オフから張替えに着手し、同年末に着工して2011年2月下旬に竣工。アストロ製のショートパイル型「アストロステージMJ〔マリンヴァージョン〕」(パイル長32mm)が採用された。基本は西武ドームなどに敷設されているものと同品種だが、マリンスタジアムではロッテ選手会の要望などを踏まえ、芝の下に敷設するアンダーパッドの下部に緩衝材を敷き、足腰への衝撃を軽減する工夫が施されている。パイル一本一本には芯が入っており、より天然芝の感触に近付けて仕上げている。施工したアストロの関係者は「選手の要望にいかに応えられるかが醍醐味。選手が最高のプレーをして、勝ってくれるのが一番嬉しい」と話している。市はこの人工芝張り替えに関する問題を契機に、築20年を経過して老朽化が進んでいる球場全体の施設改修などを計画的に進めるため、市民をはじめ全国のファンから寄せられた募金・寄付金や「ふるさと納税制度」を活用して広く協力を求める「千葉マリンスタジアム基金」を創設し、2010年9月1日から受付を開始している。2011年3月1日からスタジアムに施設命名権が導入され、売却益の一部は改修費用に充当される(基金の名称は命名権導入に伴い、同日より「マリン基金」に改称。命名権の導入経緯については後述)。開場当初、スコア表示部は白色電光式で、ロッテの本拠地となった1992年に高輝度放電管の大型映像装置を増設した(松下電器産業製 アストロビジョン、H 7.844 × W 9.911 m)。老朽化のため2002年に全面改修を行った際はスコア表示部にLEDを採用した。さらに2008年の改修において映像装置が従来よりやや大きな三菱電機製のLED式オーロラビジョンに更新された。映像装置には1992年の設置当初から「マリンビジョン」の愛称が付いている。ライト側に風速表示、レフト側にサッカー用と思われる45分計とアメフト用と思われる経過時間計がある。風速表示の真上に風車型風速計が設けられている。2011年からボールカウントの表示方式を、従来の「SBO(上からストライク・ボール・アウト)」順から、国際ルールに則った「BSO」順に変更している。また球場命名権の設置に伴い、マリンビジョン上部の電光表示広告を、前年までの「LOTTERIA」に代えて「QVCマリンフィールド」に電光表示を変更、下部の「JR東海」の看板広告に変えて、「CHIBA LOTTE MARINES」の看板を掲げた(2013年はサントリーの『ソウルマッコリ』、2014年からは三井住友銀行が掲示されている)。2012年から審判の上に投球数が表示されるようになった。高校野球開催時にイニング得点に表示される校名部分は2文字しか表示できない(泉、土気、多古はそのまま。専大松戸=専松、市立船橋=市船、習志野=習志)。球速を表示する専用の欄があるにもかかわらず、字が小さいためか試合中は球速を中央のオーロラビジョンに(広告とともに)表示する。2014年8月19日ロッテ-オリックス戦においてスコアボードが故障。オリックスの選手の名は全員消え、ロッテは加藤、角中、岡田、益田の4人だけとなった。2016年2月の完成を目処に約5億円をかけてスコアボード部分の全面改修工事を行うと報道された。これは球団側がスコアボードの所有者の千葉市に改善を要望していたことに加え、市長へ「映像が見づらい」という市民からの投書や、上述の通り老朽化による故障がみられたため。少なくとも現在のスコアボード全面を大型ビジョン化し、メンバーやスコア表示はすべてビジョンに映し出し、選手の表情やリプレー映像を流す計画。その後2015年7月に、メインスクリーン(縦10.08m×横28.8m(1,201型))1面、外野スタンドサブスクリーン(縦5.76m×横20.16m(825型))2面およびバックネット裏サブスクリーン(スコアなどを表示する縦2.4m×横11.2m(451型)と、打率、投球スピード等を表示する縦2.4m×横2.88m(148型))2面の合わせて5面の三菱電機製オーロラビジョンを設置することが正式に発表された。名称は「マリンビジョン」。2015年11月~2016年2月の予定で工事を行い、整備事業費は約7億円で千葉市とロッテ球団が2:1の割合で費用を負担する。外部サイトの図解にもあるが、在来のスコアボードの箇所に加え、現在は回転式広告板となっているレフト・ライト側のそれぞれポール際にもサブビジョンが設置される。大時計についてはサッカー用の45分タイマーは外され、代わりにQVCジャパンのマークが入る。メインボード(バックスクリーン)側は明治神宮野球場と同じ要領で各イニングスのヒット数が表示できるようになった。またイニング表示は基本9イニングスのみ。延長についてはプロは12回までなので9回の隣に3イニングをつぎ足し。アマチュアは10回まで表記し、11回から先は1からもう一度記入し直しとなる。2008年の改修で、内野席1階席直上の庇部分に増設された。三菱電機製の「オーロラリボン」を採用している。ファンからの公募による「marines wing vision(マリーンズ・ウイング・ビジョン)」の愛称が付いている。ホームゲームの際、マリーンズの好プレイ(安打、本塁打、盗塁成功など)を称えるメッセージやリリーフ登板に「It's your time」「We believe」の文字を流したり、マリンビジョンでのCMに対応するメッセージ、他に球場側からの告知事項を表示する。スタンド上部の庇にサーチライトを架設。照明塔を使わないため外観をスマートに保つ事ができる上、高い照明効果を得られるなどのメリットがある。球場の外周全面に高い壁を造る必要があるため日本国内の屋外野球場でこの方式を全面採用しているのは千葉マリンだけだが、内野スタンドの庇先端部にサーチライトを分散させる手法は後に岡山県倉敷スポーツ公園野球場(マスカットスタジアム)や松山中央公園野球場(坊っちゃんスタジアム)、秋田県立野球場(こまちスタジアム)、新潟県立野球場(HARD OFF ECOスタジアム新潟)、改修された阪神甲子園球場(改修前は集中的に設置)などでも取り入れられている。ブルペンは内野スタンドの外野寄り1階にあり、プロ野球ではリリーフピッチャーは内野スタンドと外野スタンドの間(LゲートおよびRゲートの手前。場外からの搬入口にもなっている)からリリーフカーに乗って登場する。車種は2015年現在はアウディ・A5を使用中。まれにリリーフカーに乗らず、ゲートからランニングで入って来る投手もいる。1992年のロッテ千葉移転後、外野席にプリズムビジョン形式の広告両サイド6枚ずつの12枚を設置している。その後ポール際に両サイド1枚ずつの2枚が追加され14枚となった。2005年には、武富士との契約期間満了をもって、消費者金融の広告を外した。2006年からロッテ球団が指定管理者になり、内外野フェンスの広告が設置され(外野は白一色、内野はカラー広告)、2008年にはバックスクリーンにプリズムビジョンが設置された。2006年(平成18年)8月1日に開館した「マリーンズ・ミュージアム」では、ロッテにまつわる様々な資料が展示されている。室内練習場は建設時からなく、やや離れた場所にある稲毛海浜公園の練習場が使用されていた。選手側からの要望もあり、2012年からの使用を目指して球場場外に建設され、2012年2月14日に竣工した。2000年以降に実施された、ファンサービス向上を目的とした施設拡充について下記に挙げる。ドーム球場ではなく、しかも海に極端に近いため、秒速10mを超えることも珍しくない強い海陸風(通称「マリン風」)がある。本来なら外野まで飛ぶような打球が内野まで押し戻されたり、投手の投げた球が予想外の変化をすることは日常茶飯事である。。このため、スコアボードに風向と風速を表示できるようになっている珍しい球場である。風速が秒速18mを超えた場合、プレー進行の障害となるため、試合は中止となるケースがある。。その他にも様々な気象現象に見舞われている。また夏季のナイトゲーム時には5回終了時にスコアボード裏の海岸側から花火を打ち上げているが、これも強風(秒速10m以上)時やホーム方向に風が吹いている場合(特に秒速4-6mが最も危険とされる)は火の粉がグラウンド内に降り注ぐ恐れがある為に中止になる場合がある。千葉マリンスタジアムを所有・管理する市、マリンスタジアム社およびロッテ球団の3者は2005年からマリンスタジアムに対する施設命名権(ネーミングライツ)の売却について検討を開始。。市の財政難はこの間にも悪化の一途をたどり、2009年秋には2010年度の予算編成において約270億円の収支不足が見込まれたため、千葉市の熊谷俊人市長が10月21日付で「『脱・財政危機』宣言」を発出し、収支バランスの安定化に向けて施策の方針転換が図られることになった。一環として、施設命名権導入の是非が長らく棚上げされていた千葉マリンスタジアムについても、市はロッテ側に対しスタジアムの施設全体の命名権売却を強く要望し続け、2010年10月、市とロッテ球団は2011年シーズンから命名権を導入することで合意し、これを受けて市は売却先の募集要項を11月4日に発表した。11月5日から11月25日にかけて売却先の公募を実施し、売却条件は原則として契約期間3年以上、年額2億円以上に設定し、地域貢献に関する提案などを考慮して優先交渉権を決定した上で、12月上旬を目途に売却先を選定、2011年1月に新呼称を公表し、同年シーズン開幕時から採用する旨が発表された。。結局売却先の公募には、締切日までに4社が応募した。市は応募企業名を非公表としたが、球場近隣の美浜区・幕張新都心に本社を置きファッション通販サイト「ZOZOTOWN」を運営するスタートトゥデイは11月17日に公募に申し込んだ旨を自ら公表し、同日から11月23日に掛けて同社サイトで取得に向けた署名活動を実施し15,977名の署名を集めた他、署名と同時に募集した命名案では「ZOZOマリンスタジアム」が664件と最も多かった。市は応募した4社について審査した結果、テレビ通販業「QVC」の日本法人で、幕張新都心に本社を置くQVCジャパンを交渉先に選定した旨を12月7日に発表した。同社は契約期間10年と、新名称の一部に「マリン」を残したものを提案したのに加え、社員の幕張周辺への在住支援やイベントの実施などといった地域貢献策も提示した。。。。その上で前掲の「千葉マリンスタジアム基金」にふるさと納税制度を利用して寄付した旨を表明した。市およびロッテ球団はQVCジャパンとの間で交渉を進めた結果、12月24日までに基本合意に達し、3者は12月27日にマリンスタジアムで合同記者会見を行った。契約金額は年額2億7500万円の10年間契約で総額27億5000万円と、日本のプロ野球本拠地球場の施設命名権としては過去最長の契約期間となった。呼称は「QVCマリンフィールド」とすることも決定した。QVCジャパンの佐々木迅社長は契約期間について「海浜幕張地区と共に歩み、末永く根を下ろしてやっていくという決意の表れ」と話し、呼称については同年「和」をスローガンに日本シリーズを制したロッテと、映画『フィールド・オブ・ドリームス』をイメージしたと述べた上で「日本のプロ本拠地で『フィールド』が付く球場は初めて。闘いの場、夢を育む場という意味で敢えて使うことにした」と説明した。熊谷市長は呼称に対し「県民の9割が『マリン』を残してほしいと言っていた心情に配慮してくれた。一ファンとしても嬉しい」と評価した。その後3者はさらに交渉を進め、契約内容の細部調整を図った上で2011年2月28日付で正式契約を締結し、新名称は3月1日から採用された。QVCジャパンは今後10年間、市とロッテ球団に対し契約額のそれぞれ半額となる年額1億3750万円ずつを支払う予定で、収益の一部は前述の人工芝張り替えなどの施設改修に充当される。但し、千葉市の条例上の施設名称やスタジアムを運営する第三セクターの商号などは「千葉マリンスタジアム」のままである。施設そのものとは別に、スタンド部分にも命名権を採用している。東京ヤクルトスワローズ主催のセ・リーグ公式戦は1991年に始まり、ロッテが本拠地を置いてからも2005年まで主に5月下旬または6月上旬の週末に年間1カード2、3試合行われていた。この時期にはヤクルトが本拠地としている明治神宮野球場で東京六大学野球春季リーグの最終節である早慶戦があり、多くの来場者が見込まれ同日に共用した場合には周辺の混雑や観客の入れ替え時の混乱が予想されるため、それらを避けるという意味で行われていた。この当時、ヤクルトには千葉県出身や同県の高校出身の選手が多数在籍しており(飯田哲也(拓大紅陵出身)、石井一久(千葉市出身、東京学館浦安出身)、土橋勝征(船橋市出身、印旛高出身)、城友博(習志野市出身、習志野高出身)ら)、公式戦開催のポスターにはこれらの選手が用いられていた。当時、ヤクルトが首都圏で開催する唯一のデーゲームによる公式戦だったが、2005年は5月上旬から6月中旬にかけてセ・パ交流戦が行われるのに伴い、早慶戦を考慮する必要が少なくなったことから千葉マリンでの主催公式戦は開催時期を7月にずらして行った。2006年からは大学野球側との調整の結果、神宮でもデーゲーム開催が可能となったことなどからヤクルト主催では千葉マリンの公式戦を開催していない。以降はセ・パ交流戦のビジターゲームでのみ試合を行っている。球場内および付近に駐車場が多数存在する。駐車場※多数あるため、プロ野球開催時にメインとなるもののみ※駐車場の空き状況確認は下記リンクを参照東日本旅客鉄道(JR東日本)京葉線の海浜幕張駅から徒歩圏内にあり、隣接した場所に幕張メッセ、アパホテル&リゾート〈東京ベイ幕張〉(旧幕張プリンスホテル)、ホテルニューオータニ幕張、三井アウトレットパーク 幕張(旧ガーデンウォ〜ク幕張)、コストコ幕張店、イオンモール幕張新都心や大規模マンションなどがある。

出典:wikipedia

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