西新(にしじん)は、福岡県福岡市早良区の地名。現行行政地名は西新一丁目から七丁目。2012年1月31日現在の人口は11,144人。郵便番号814-0002。福岡市の中心である天神の西側、早良区北部に位置する。早良区内のみならず、福岡市西部においては最大の繁華街が展開される。また、西南学院大学が置かれるため学生街の性格も持つ。北で百道浜、東で中央区地行浜・地行・今川、南東の橋梁上の一点で中央区鳥飼、南で城西・祖原、南西の道路上の一点で昭代、西で高取、北西で百道と隣接する。藤崎等とともに福岡市西郊の副都心を形成する。福岡市地下鉄空港線の西新駅が置かれている。明治通り・早良街道・城南線の3本が通っている。住宅地の地価は2014年(平成26年)1月1日に公表された公示地価によれば西新2-11-9の地点で31万5000円/mとなっている。西新周辺には福岡県立修猷館高等学校や西南学院中学校・高等学校、西南学院大学などがあり、また学習塾も多く存在する。学生が多いためカラオケやボウリング、ゲームセンター、ビリヤード場など遊戯施設が整っているため昼夜問わず若年層が多く行き交う。また福岡市総合図書館や福岡市博物館があるシーサイドももちからも近いことによって、西新周辺以外の学生の往来も多い。地下鉄西新駅のシンボルマークは地名のイニシャル「N」を鉛筆とペンで図案化したものになっている。西新は文教地区であることや利便性・住環境の良さから、マスコミや不動産会社による「福岡市で住みたい街」ランキングなどでたびたび上位に入るほど住む街としても非常に人気が高い。公務員官舎や転勤族向けの賃貸マンションも集中しており、「転勤族の街」とも呼ばれる。西新周辺の公立の小中学校が、福岡市内の他の小中学校に比べて生徒の学力が平均的に高く、教育環境も良いとの評判から、近年における都心回帰の傾向と相まって、西新周辺の小中学校に我が子を入学させたいと願って転入してくるファミリー層が増えており、こうした人々は地元で「ニシジニスト」と呼ばれる。このような事情から西新小学校では入学から卒業まで在籍する児童が3分の1以下という極めて特殊な状況に置かれている。地元での広域汎称地名としての西新の認識は、行政区分の西新の町名から拡大され、概ね福岡市立西新小学校校区(西新・城西・曙など)及び福岡市立高取小学校校区(高取・祖原・昭代など)に及ぶ。前身は早良郡西新町。1666年(寛文6年)、紅葉八幡宮が福岡藩第3代藩主黒田光之によって樋井川西岸の唐津街道沿いに移されたため、門前町として人家が並ぶようになる。1694年(元禄7年)には藩によって下級藩士の宅地が造成される。頭山満の生家も西新であった。1872年(明治5年)の区画制施行では城下町福岡と同じ第1大区となるも、1889年(明治22年)の市制・町村制施行の際に麁原(そはら)村と合併して早良郡西新町となる。1891-92年頃より西新炭鉱の採掘が始まるも振るわず1900年(明治33年)に閉山。採掘は麁原炭鉱や鳥飼炭鉱に移った。同じ頃、1900年(明治33年)に修猷館が、1918年(大正7年)に西南学院が移転し文教地区の性格を帯びる。1910年(明治43年)には西新町内に電車駅が開業。1925年(大正14年)には北九州鉄道西新町駅(のち国鉄西新駅、1983年3月21日限りで廃止)も開業。それに伴い商業地区としても活気づく。1922年(大正11年)4月1日に福岡市へ編入。1945年(昭和20年)の福岡大空襲ではさほど被害を受けず、戦後は住宅が激増した。江戸時代、現在の中央区今川付近が「西町」と呼ばれていたのに対し、樋井川以西を「新西町」と呼んだことに由来する。これがいつしか逆転して「西新」になった。かつて西鉄福岡市内線貫線・城南線が通っていたが、1975年(昭和50年)に廃止された。
1983年(昭和58年)に廃止となった筑肥線西新駅は西新地区から約1km離れた昭代3丁目にあった。西新の施設には商店街やスーパー(イオン)、家電量販店(ベスト電器)、デパート(プラリバ)、ドン・キホーテ、飲食店、パチンコ店などがあり、西新商店街を中心に多くの人が行き交っている。西新地区には唐津街道にそって商店街が形成されている。東から順におおむね以下の位置にある。また、中西商店街から西へと高取商店街が続き、高取商店街のさらに西には藤崎商店街が藤崎駅まで続き、今川橋から藤崎駅までの約1.4kmの東西に長い商店街が形成されている。様々な飲食店や商店で賑わう西新商店街の特徴の1つとして、リヤカー部隊の露店がある。この露店は、福岡市近郊で採れた新鮮な魚介類や野菜を、歩行者天国となった商店街の真ん中で売っている。市内でも珍しい商店街である。西新6丁目の磯野広場に「サザエさん発案の地」の陶板が設置されている。これは同漫画の原作者長谷川町子が東京から疎開していた1944年から1946年まで現在の西新3丁目に住んでおり、百道の海岸を散歩しながら、サザエ、カツオ、ワカメ等の登場人物を考案したことに由来する。当時は西新北側のシーサイドももちが埋め立てられていなかったため、西新のすぐそばに海岸線があった。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。