『ラジごめII 金曜日の王様』(ラジごめツー きんようびのおうさま)は、1991年4月6日(4月5日深夜)から1993年6月26日(6月25日深夜)まで中京テレビで放送されていたバラエティ番組である。全114回。放送時間は毎週土曜 1:05 - 2:45(金曜深夜:日本標準時)。月曜深夜から金曜深夜の帯で放送されていた前番組『ラジオDEごめん』が、湾岸戦争の影響による省エネルギー対策の一環として終了するにあたり、嘉門達夫と原田さとみが担当していた金曜深夜放送分のみ存続することが決定。いくつかのリニューアル点を加え、新番組という形で再開された。前番組から引き続き、当時雲竜フレックスビル内にあった焼肉店・IMANAS亭フレックス店からの生放送。ただし、1992年6月以降はクラブダイアモンドホールから、1993年4月以降は蝦蟹市場クンポーフレックス店からの生放送を行っていた。内容自体は基本的に『ラジオDEごめん』時代と同じで、視聴者から寄せられたネタハガキとFAXを中心に進行。自分が投稿したハガキあるいはFAXが嘉門に面白おかしく読み上げられる様子がテレビに映るということで、番組は東海3県各地で人気を博した。また、アシスタント原田の存在も人気の要因の1つで、嘉門ほかスタジオ内にいる者全員から、果ては番組にネタを投稿しているハガキ職人たちからもいじられていた彼女のキャラクターは、この番組を語る上で欠かせないものとなっている。彼らは『ラジオDEごめん』時代からの継続出演者だが、この番組ではさらに中京テレビのアナウンサーが1人補佐で出演するようになった。他の多くのローカル番組がそうであるように、この番組も地元東海3県の企業各社からの生コマーシャルを内包していた。また、番組内でアダルトビデオのワンシーンを放送するなど、現在の地上波放送では不可能な事も行っていた。視聴率の獲得と維持のため、番組は毎回著名なミュージシャンや注目株のミュージシャン、AV女優などをゲストに招き入れており、出演者方面に限って言えば非常に充実していた。しかし、制作費に関してはローカル深夜番組としても群を抜く低予算ぶりであり、使用できるテレビカメラは1台、告知用のフリップも殆どがマジックインキなどによる手書きで、しかも過去に使ったフリップの裏面を使い回すという有様だった。同じく視聴率の獲得と維持のため、中日新聞テレビ欄に掲載する番組サブタイトルに毎回いやらしいシーンが期待できそうなキーワードや最終回を匂わすキーワードなどを載せておき、実際の放送では肩すかしという手段もよく用いていた。なお、この番組にネタを投稿していたハガキ職人たちは、などの他の投稿媒体でも活躍していた者も多い。番組開始前の時間帯に放送されていた1分間の関連ミニ番組で、毎回原田と神(1992年4月以降は原田と大藤)が番組本編で実施する企画の内容を簡単に説明していた。そして、同じくミニ番組の『きょうの天気』が放送された後に番組本編がスタートするというのが主な流れだった。このミニ番組は1993年3月27日(3月26日深夜)放送分をもって終了し、以来同時間帯では『シネマUSA』という番組本編とは何の関係も無いミニ番組が放送されるようになったが、その代わりに番組の冒頭で嘉門と原田による30秒間のミニトークコーナーを実施するようになった。この形式は、その3か月後にスタートした後継番組『ラジごめIIIホンジャマカ共和国』へと引き継がれた。オープニングアニメーションが流れた直後の第1ロールや、各コーナーの合間合間に行われていた出演者同士の雑談。嘉門と原田それぞれの近況報告や、嘉門が東海3県各地で行うライブイベントの宣伝が多くを占めていた。オープニングトーク中に、下記「お気楽ショートソング」のコーナーから派生した投稿コーナー「歳時記ソング」を実施していた時期もある。この番組には、嘉門が前番組『ラジオDEごめん』や関西のラジオ番組『MBSヤングタウン』の頃から行っていた定番のコーナーも含めて数多くの投稿コーナーが存在していた。このカテゴリでは、一般的な概念で言う替え歌を投稿する「お気楽ショートソング」や、歌詞を並べ替えたり途中を飛ばしたり全く別の歌と融合させたりするタイプの替え歌を投稿する「唄のワンダーランド」(後の「クルクル唄が七変化」)、テンプレートのショートコントに歌を絡めたネタを投稿する「ピカピカ唄で思い出す」(後の「ジャンジャン唄で思い出す」)の3種を中心に展開された。このカテゴリも嘉門が他の番組で行っていた定番のコーナーが半数以上を占めていたが、「おじいちゃんの一言」のようにこの番組で初めて行われて以後の嘉門達夫担当番組群へと受け継がれていったコーナーもいくつか存在する。文章ネタのコーナーはあまりに数が多すぎるので全てをここには記載しないが、「しぇんしぇーの癖」「そこまで言わんかて」「問題集なんじゃらホイ」「修学旅行に必ずおるでこんな奴!」のように日常生活のあるあるネタを指摘することで笑いを取るコーナー、「この中にひとり」「あったら怖い」「あの人にこんな仕事」「文系・理系・体育会系」のように特殊な状況を仮定した上でのネタを投稿するコーナー、「○○やと思たら(おもたら)▽▽やった」「Hotta IMO Izinna!」「珍々解釈珍解釈」「商店街の結婚式」のように言葉遊びネタを投稿するコーナーの3種を中心に展開された。また、「それがどないしてん」「哀歌(エレジー)」のように嘉門がギターを弾きながらネタを次々と読み上げていくコーナーや、「けったいなペンネーム」のような投稿初心者向けのコーナー、今後の発展性が見込めないと嘉門から判断されたためにわずか1週で廃止されてしまった「グミのコーナー」のような珍コーナーも存在した。一方で、テレビ番組ならではの映像を活用したコーナーも行われていた。同カテゴリに属するコーナーに、視聴者が新聞や週刊誌からの切り抜き写真におかしな解説文を付けて送ってきた物を紹介する「びっくり超現象!!」や、視聴者から出されたお題を嘉門あるいは原田がイメージを膨らませながら実演する「ポーズで言うと」などがあった。また、毎回のCM明けの直後には、視聴者から寄せられたイラスト入りのハガキや他の視聴者への伝言が書かれたハガキを10秒間カメラに映すミニコーナーを設けていた。このコーナーの正式名称は不明であるが、「Qショットイラスト」あるいは「Qハガキ」などと呼ばれることが多かったため、便宜上以下同コーナーについては「Qショットイラストコーナー」と記す。視聴者が電話を使って番組のミニゲームに参加するコーナーで、見事ゲームをクリアすると現金もしくは海外旅行権がプレゼントされた。同カテゴリに属するコーナーに、「PacoPacoスイッチングゲーム」「アッハ〜ンウッフ〜ン愛の吐息選手権」「対決!SE人間」などがあった。いずれも前節の各コーナーと同様に、映像を活用したものが多かった。中でも「PacoPacoスイッチングゲーム」と「アッハ〜ンウッフ〜ン愛の吐息選手権」は、アダルトビデオの紹介コーナーでないのにもかかわらず映像素材にアダルトビデオのワンシーンが多用されていた。この番組は、東海3県の企業各社やゲスト出演者たちの広告塔としても機能していた。企業各社からの告知を担当したのは原田と神で(1992年4月以降は原田と大藤)、彼らは東海3県各地で行われるイベントや発売予定の新商品などをフリップを使いながら紹介していた。神(および大藤)は、最新作の映画レンタルビデオを紹介する「THE VIDEO STATION」(後の「ビデオの王様」)も担当していた。一方、嘉門はその日のゲストとトークをしながら、彼らの新曲CDや出演イベントなどを宣伝告知する役割を担っていた。また、毎回「VIN DE VOIR」や「Drinking Club MOON」などのサナミグループ各店で使える10,000円相当の招待券が当たる視聴者プレゼントクイズコーナー「2003年21世紀へのメッセージ」(後の「2004年宇宙へのメッセージ」「2005年宇宙へのメッセージ」)も担当していた。その回限りのネタ企画や短期集中型のネタ企画などもよく行われていた。その回限りのものは、「トランプマン原田のマジックショー」のように原田やスタッフをネタにした企画や、「ヌルヌルくわえてウッフンゲーム」のようにゲストで訪れたAV女優を使って行う下品な企画など、番組出演者をネタにしたものが多かった。短期集中型のものは、次週放送日当日の新聞テレビ欄に掲載する番組サブタイトルを視聴者から募集する企画や、「木のハガキを割るコーナー」「王国のアイディア」のように視聴者から貢ぎ物として送られてきた変な物を紹介する企画、「エーネンショッピング」「エーネンジャンボ宝くじ」のように番組の投稿特典であるエーネンを活用した企画など、どちらかと言えばコアな視聴者(≒ハガキ職人)向けのものが多かった。エンディングでは毎回、次週に実施する企画の内容ならびにその募集要項の発表、次週番組に訪れるゲストの発表、当日番組に訪れていたゲストからの最後の宣伝告知などが行われていた。また、番組ラストのオチとして、出演者・スタッフ全員で原田に意地悪をするネタ企画を行うこともあった。エンディングテロップのラストには、番組のマスコットキャラクター・王様が毎回「今から帰るからネ」というセリフのみを白線テロップで言い続ける「今週の格言」を表示していた。なお、中提供クレジットが表示された後の第6ロール以降は、番組スポンサーが各社ともに関与しないパーティシペーション枠として扱われていたため、エンディングトーク中にも番組の終了後にも提供クレジットは表示されなかった。番組に投稿したハガキあるいはFAXが読まれると、番組のオリジナル通貨「エーネン」と嘉門の定位置の後ろに吊ってある「グッズ類」が投稿者の下へ郵送された。ウケればウケただけ、1枚のハガキで得られるエーネンとグッズ類が多くなるという単純明快なシステムだったが、スタジオ内にいる者全員のウケ方と嘉門が下す評価に関して絶対的なガイドラインがあるわけではなく、その場の空気や流れに委ねられるところが大きかった。エーネンとは紙幣を模した形状の印刷物で、番組に関連する様々な場で使用できた。1エーネン、2エーネンというようにエーネン単位で数える。エーネンは、『ラジオDEごめん』時代に発行されていた手書きイラストバージョン(挿絵:ブースカ、色:クリーム色)と後にそれをリファインしたバージョン(挿絵:ブースカ、色:ホワイト)、そしてこの『金曜日の王様』時代に発行されていたバージョン(挿絵:王様、色:アイスグリーン)の3種類が存在する。さらに同じバージョン同士でも、時期によって印刷インクの色が異なるという違いがあった。以下に、エーネンの用途とその使用効果を記す。希望次第で常時交換可能な番組グッズとの引き換えに要する代価、および出演者・スタッフの持ち物の処分市「エーネンショッピング」や「エーネン棚攫いオークション」などでの希望品の引き換えに要する代価としての役割。本物の金銭を使ってのやり取りは禁じられていたため、この企画に参加できるのはエーネン所持者のみに限られた。当時愛知県・岐阜県・三重県下に点在していた「エーネン加盟店」で、サービスを受けた際に支払う代価としての役割。この加盟店制度に賛同加盟している店であれば、投稿特典であるエーネンを一般の金銭と同じように使うことができた。例えば1エーネンでコーヒー、3エーネンでランチ、果ては200エーネンで車検など、店側が提示する額のエーネンを手渡せばこれで実際に支払いができてしまうというユニークなシステムだった。店側としても広告料無しで番組に店の宣伝をしてもらえる、ネタ投稿で労せずにエーネンを獲得できるというメリットがあった。この制度への加盟は、店の経営者もしくはその家族であれば誰でも自由にできた。加盟店には加盟店証明ステッカーと加盟店認定書が発行され、FAXサービス「エーネン加盟店MAP」のリストに店の所在地と地図が追加された。エーネン加盟店は最終的に40店舗以上存在するようになり、同じ町内の同じ区画内にある飲食店と理髪店がともにエーネン加盟店だったという例までもあった。ハガキ職人としての名誉である「位」を得る際にもこのエーネンが必要となった。規定数のエーネンを集め、自身の顔写真1枚を添えて番組へ返送すると、投稿者がその時点で該当する位が刻印された「印鑑」(ゴム印)と、この番組のハガキ職人であることを示す「嘉門王国国民乃証」(投稿者の顔写真を封入したラミネートカード)の2点が配布された。印鑑はネタハガキへの押印に使われるケースが多く、特にハガキの文面が直接カメラに映される「Qショットイラストコーナー」においては、これが押印されたハガキが多数見受けられた。昇格するごとに、それぞれの位に応じた印鑑と嘉門王国国民乃証が配布された。下記リストは、番組が規定していた位とその獲得資格の一覧である。なお、位持ちのハガキ職人には、番組生放送中のスタジオに見学参加できるなどの様々な特権が与えられた。1993年3月27日(3月26日深夜)放送分ではKING以上の位を持つハガキ職人たちが揃って番組に訪れ、あたかも最終回であるかのように見せるエンディングの小芝居に参加していた。なわとびだったり、青竹踏みだったり、IMANAS亭のおしぼりだったり、アルバイトスタッフが処分する目的で持ってきたようなB級品だったり、原田が表紙を飾る月刊誌だったりと殆どがこういった物ばかりだったが、時折中京テレビ製作番組のオリジナルTシャツといった掘り出し物が混ざっていることもあった。また、それらの中には番組のオリジナルグッズもいくつか混ざっていた。番組グッズはハガキ投稿や視聴者参加型コーナーへの参加によって獲得するのが基本だったが、投稿特典の選択は嘉門の裁量に全て委ねられていたため、希望の物が得られるかどうかは運任せだった。そのため、そのうちのいくつかは手元にあるエーネンとの引き換えによって獲得するという手段も用意されていた。下記リストは、番組のオリジナルグッズとその獲得手段の一覧である。番組は上記グッズ類のほかに、ハガキ投稿をしていない視聴者でも獲得可能な配布品を用意していた。また、FAXでのアクセスで様々な番組情報を取り出せるサービスも実施していた。下記リストは、これらに該当する配布品の一覧である。この番組は基本的に営業終了後の飲食店の一角から放送されていたが、実施する企画の内容や店側の都合などにより、平常放送時とは異なる場所から放送されることもあった。1992年4月に「放浪月間 あなたのお家から金曜日の王様大放送」という企画を実施した際には、希望者を募ってその自宅ないしは経営店舗をスタジオに使わせてもらい、ロケ車から機材を持ち込んでそこからいつもの放送を行っていた。この番組は、位の低い投稿者やハガキ投稿をしていない視聴者でも観客として来場可能な公開生放送ライブを随時開催していた。公開生放送の回は平常放送時とは構成が異なり、嘉門の新曲お披露目ライブやゲストとのトーク、その回限りの突発的な企画などを主軸に進行。番組のメインであるハガキのコーナーはその分控えめにされていた。このほか、名古屋市内各地で関連イベントが催されていた。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。