山谷 えり子(やまたに えりこ、1950年9月19日 - )は、日本の政治家。参議院議員(3期)。本名は小川 惠里子(おがわ えりこ)。「惠」が旧字体のため、新字体で小川 恵里子(おがわ えりこ)と表記されることもある。選挙活動等においては通称を用いているが、国務大臣としての公権力の行使等に際しては正式な本名を使用している。衆議院議員(1期)、国家公安委員会委員長(第89・90代)、拉致問題担当大臣、海洋政策・領土問題担当大臣、国土強靭化担当大臣、内閣府特命担当大臣(防災担当)、参議院環境委員長、参議院政府開発援助等に関する特別委員長、自由民主党参議院政策審議会長などを歴任した。尾崎行雄記念財団顧問。東京都武蔵野市生まれ(出身は福井県)。父は新聞記者・ラジオパーソナリティの山谷親平。福井県で幼少期を過ごす。東京都立駒場高等学校、聖心女子大学文学部卒業。出版社勤務を経て、日本テレビ系『ウィークエンダー』のリポーター、『サンケイリビング新聞』編集長、政府広報番組のニュースキャスター、フジテレビ系『おはよう!ナイスデイ』コメンテーターとして活動した。1989年、第15回参議院議員通常選挙に民社党公認で立候補するも落選。2000年、第42回衆議院議員総選挙に民主党から立候補し、初当選した。民主党では「次の内閣」の教育科学技術大臣を担当した。その後、民主党を離党し、保守新党に参加。2003年の第43回衆議院議員総選挙で落選。2004年、第20回参議院議員通常選挙で自由民主党から立候補し、当選した。第3次小泉改造内閣にて内閣府大臣政務官に就任。第1次安倍内閣では内閣総理大臣補佐官(教育再生担当)に就任し、第1次安倍改造内閣でも留任、福田康夫内閣でも再任された。2014年9月3日、第2次安倍改造内閣の発足にともない初入閣。国家公安委員会委員長と内閣府特命担当大臣(防災担当)の2ポストを兼務することになった。同時に、国務大臣としての所管事項として「北朝鮮による拉致問題の早期解決を図るため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」と「海洋及び領土問題に関する施策を集中的かつ総合的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」と「事前防災の観点から国土の強靭化を推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」をそれぞれ担当することとなった。同年12月の第3次安倍内閣で再任。共著
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。