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小田切有一

小田切 有一(おだぎり ゆういち、1942年11月7日 - )は日本の実業家。福岡県青果生産組合組合長、経営学研究所代表、エール株式会社代表。東京都生まれ、中央大学卒業。競馬ファンには馬主として、とりわけ所有馬に「ワスレナイデ」「オレハマッテルゼ」「オドロキノサイフ」「モチ」といった個性的な馬名を与えることで、「マチカネ」シリーズの細川益男(ホソカワミクロン元社長)や「シゲル」シリーズの森中蕃らとともに「珍馬名」の名付け親として知られる。勝負服(服色)は緑、白玉霰、白袖赤二本輪。父は文芸評論家の小田切秀雄。叔父には日本近代文学の研究者の小田切進。弟の小田切統二は、有一同様に馬主である。息子の小田切光は、馬主としての事実上の後継者で、かつてはバンドマンとして徳永善也(元チェッカーズ)とともに「リトルバッハ」のメンバーだった。山梨県甲府で開業医をしていた祖父が往診時に馬を使っていたことと、みずからが通っていた学校(高校)が馬事公苑の近く、東京競馬場からそう遠くない場所にあったことが、競馬に興味を持ったきっかけだと語っている。競馬の馬主になることが夢だった祖父の遺志を継ぐ意もあった。個人馬主として初めて所有し初勝利をもたらしてくれた馬は、福永洋一騎手最後の騎乗馬であり、中京巧者として名を馳せたマリージョーイである。ノアノハコブネが優駿牝馬(オークス)を制したその日は競馬場に行かず、監督を務めていた少年ソフトボールチームの試合に出かけていた。「GI制覇は馬主を続けていればまた見られるかもしれないが、子どもの日々は二度と帰ってこないから」とのことである。過去のインタビューによると、小田切のつけるユニークな馬名は大きく、奇をてらった「びっくりさせるような名前」(オドロキノサイフ、ロロ、ウラギルワヨ、ソレガドウシタなど)、古きよき日本の情緒をもつ風景・言語(小田切いわく「僕の子供時代への郷愁を託した名前」。ロバノパンヤ、ドングリ、ヒコーキグモなど)、メッセージ性を持たせた名前(ウチュウノキセキ、ノーモア、オジサンオジサン、イエスマン、カミサンコワイなど)、競馬のアピールを目的とした名前、親名からの連想(サアドウゾ〈母アナタゴノミ〉、ガッチリガッチリ〈母イタダキ〉、ダスタップ〈乱闘、母マチブセ〉)などに分けられるという。たとえば「イヤダイヤダ」には“負けるのは嫌だ”、「オジサンオジサン」には同じ中高年世代の競馬ファンへ向け“おじさん頑張れ”といった前向きなメッセージが込められている。ちなみに「カミサンコワイ」はニッポン放送のラジオ番組『山田邦子ワンダフルモーニング』とのタイアップ企画で、出演者で恐妻家の林家たい平にちなんで付けられた。同馬は未勝利で引退したが、同番組内で随時レポートされていた。「エガオヲミセテ」(後述)において、日本中央競馬会 (JRA) 所属の競走馬として初めて名前に「ヲ」の字を付けた。以後も「ナゾヲトクカギ」などで「ヲ」を使用している。規定ぎりぎりの珍名は、申請が通らず、やむなく当初とは別の名前になった馬も多い。「ドングリ」のように何年も続けて申請した結果、JRAが折れて認められた名前もある。また、「ニバンテ」(=二番手)は実況を混乱させるとしてJRAに申請を却下された、「ドウモスミマセン」を却下されて「ギャフン」に改めたなどの失敗談も多々ある。2000年2月11日午前1時ごろ、宮城県山元町の山元トレーニングセンター内の厩舎から出火し750平方メートル(40馬房)を全焼、現役の競走馬22頭が焼死するという事件が起こった。死亡した馬の中には、小田切の所有馬でGIIを2度制したエガオヲミセテも含まれていた。小田切は自分と同様に主力馬を失った音無秀孝厩舎に再び所有馬を預けた。その馬の名前は「ゲンキヲダシテ」であった。事故から6年後、2006年にエガオヲミセテの全弟であるオレハマッテルゼが高松宮記念を制し、姉の届かなかったGIタイトルを手にした。

出典:wikipedia

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