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赤飯

赤飯(せきはん)は、もち米に小豆またはささげ(大角豆)を1-2割混ぜて蒸し上げたご飯である。主に日本で食される料理で、「強飯(こわめし)」「おこわ」の一種。明治頃までは、もち米を蒸しただけのものをおこわと言い、小豆などを混ぜたものと区別していたが、後に赤飯もおこわと言うようになった。蒸すのではなく、炊いて作る方法もある。呼称としては「せきはん」が一般的であるが、女房言葉として語頭に「お」をつけた「おせきはん」、あるいは地域によって「あかまんま」「あかごわ」などの呼び方もある。ハレの日の食事として用いられる他、栄養価が高い事から缶詰やフリーズドライ化された物も普及しており、非常食などとして用いられている。また、「赤飯おにぎり」「赤飯弁当」のように、一般食としてコンビニエンスストアやスーパーマーケット、駅売店で売られている事も多い秋田県の県南部(大仙市、横手市、湯沢市など)では、大量の上白糖を入れた非常に甘い赤飯をつくることで知られている。赤飯の他に、炊き込みご飯、ポテトサラダ、太巻き寿司にも大量の砂糖を入れる。トマトに砂糖をかけて食べる方も多い。なお、この現象は同じ秋田県でも県南部に限られ、秋田市をはじめとした県央部、能代市、大館市などの県北部では、砂糖の少ない普通の赤飯が好まれている。千葉県の一部では、特産の落花生が用いられる。砂糖を使用した甘めの味付けである。また、青森県南部地方には、南部煎餅に甘い赤飯を挟んだ「こびりっこ」(せんべいおこわ)と呼ばれる郷土料理がある。新潟県中越地方の一部には、醤油赤飯と呼ばれるものが存在する。「赤飯」という名がついているが、一般的な赤飯のように赤くはなく、どちらかというと五目おこわのように茶色に近い。「醤油おこわ」とも呼ばれている。福井県大野市では、さといもをころ煮にして、もち米・小豆と一緒に蒸した「さといもの赤飯」が作られている。徳島県鳴門市では、「ごま砂糖」をかけて食べる習慣がある。米は、もち米のみを使い蒸し上げるのが正式だが、炊く場合は仕上りがべたつきやすい為、うるち米を1-2割混ぜる。豆は事前に水に浸し吸水した後、下茹でしておく。豆の色素が溶け出し赤く色のついた煮汁は冷まし、米を浸しておく事で、赤飯の色付けとする。なお、煮汁を冷ます際にひしゃくですくい、上から何度も落とすようにして空気に触れさせると、煮汁の成分が酸化されることで発色が良くなる。鮮やかな色を出すために食紅が使われることもある(小豆やささげを使わずに、食紅のみで色付けをする場合もある)。炊き上げた後、北東北の地域によっては砂糖、北海道では甘納豆を加える。同じ質量の一般的な白飯と比較してカロリーは1.2-1.5倍程度高くなるが、銅、たんぱく質、亜鉛などの栄養素が非常に高い。特に銅、たんぱく質は白飯よりも2倍近い栄養価がある。又、もち米を使用する為、でんぷんの一種であるアミロースが少ないので腹持ちが良いとされる。食べるときには胡麻塩をふりかけるが、そのごまも切ったり炒ったりすると縁起が悪いとされ、そのまま用いる。祝いの席などで食べることが多いが、祝いの席に限らず、凶事の席(仏事など)に赤飯を食べる地域もある。古代より赤い色には邪気を祓う力があるとされ、例えば墓室の壁画など呪術的なものに辰砂が多く使われ、また、日本神話の賀茂別雷命や比売多多良伊須気余理比売出生の話に丹塗矢(破魔矢の神話的起源)の伝承があることからも窺える。また、神道は稲作信仰を基盤として持ち(田の神など)、米はとても価値の高い食糧と考えられてきた。このため、古代には赤米()を蒸したものを神に供える風習があったようである(現在でもこの風習は各地の神社に残っている)。その際に、お供えのお下がりとして、人間も赤米を食べていたと想像される。米の源流を辿ると、インディカ種とジャポニカ種に辿り着く。インディカ種は赤っぽい色をしており、ジャポニカ種は白である。縄文時代末期に日本に初めて渡ってきた米はこの2種の中間の種類で、ちょうど赤飯くらいの色だった。この米を、日本人は江戸時代になる前まで食べていた。しかし、稲作技術の発展による品種改良でより収量が多く作りやすい米が出てきたこと、食味の劣る赤米を領主が嫌って年貢として収納することができなかったことから、次第に赤米は雑草稲として排除されるようになった。だが赤いご飯を食べる風習自体は生き続け、白い米に身近な食材である小豆等で色付けする方法が取られるようになったと考えられる。赤飯にゴマを乗せるのは、白いご飯を赤くしたことを神様にゴマかすためである。現在は、祭りや誕生祝いなど吉事に赤飯を炊く風習が一般的であるが、江戸時代の文献「萩原随筆」に『凶事ニ赤飯ヲ用ユルコト民間ノナラワシ』と記されており凶事に赤飯を炊く風習がこの頃には既にあった。凶事に赤飯を炊く理由は不明ではあるが、赤色が邪気を祓う効果がある事を期待した為という説や、いわゆる「縁起直し」という期待を込めて赤飯が炊かれたとも考えられる。又、古くは凶事に赤飯を食べていたものが何らかの理由で吉事に食べるように反転したという説もある。伝承や歴史が明白となっている部分では、少なくとも12世紀には赤飯が供養に使われていたという事である。赤飯は宗教的な意味合いも強く、赤飯を用いた「赤飯供養」という風習が存在する。現在でもこの風習を伝えている代表的な神社仏閣に静岡県の蓮華寺や、神奈川県の御霊神社境内にある石上神社が7月に行う神事である石上神社例祭の「御供流し」がある。又、八王子城周辺の地区では八王子城が落城した際に多くの落人が御主殿の滝で自刃・処断されたという言い伝えから「あかまんま供養」という地域的に根付いている風習もある。供養以外にも「竜を祭る」という風習では赤飯が8世紀から使われている事が確認されている。伝承として最も古くに伝わるのが九頭竜伝承として箱根の芦ノ湖の湖水祭に伝わる。御供船に三升三合三勺の赤飯と神酒を積み載せ、逆さ杉のところで湖底に沈め捧げる風習である。この風習が行われる以前は人身御供として若い娘が奉げられていたが、それを救うべく万巻上人が先述の通り御供船に三升三合三勺の赤飯と神酒を芦ノ湖に沈める風習へと変えた。又、同じく竜神(大蛇)を祭るという行事が静岡県の桜ヶ池で行われており、同様にお櫃に入れた赤飯を池に沈めて竜神に供え「お櫃納め」と呼ばれている。但し、芦ノ湖と違うのが沈めたお櫃が数日後に空になって浮かんでくる点であり、その特異な現象から遠州七不思議の一つとして、あるいは「奇祭」の一つとして数えられている。この他にも群馬県伊勢崎市赤堀地区の長者である道元の娘が赤城山の小沼(コノ)に引き摺り込まれて竜神となったという伝承もあり、桜ヶ池と同様に重箱に入れた赤飯を沈めると翌日には空になった重箱だけ浮かんできたという。又、千葉県船橋市金堀町や、福井県(嶺南・嶺北共に沿岸部)、神奈川県、富山県、石川県、新潟県などの一部の地区では長寿を全うして大往生した人物の葬儀で参列客に対し赤飯を出す風習も残っている。なぜ葬儀に赤飯を出すかは縁起も由来も不明となっているが、一説では天寿を全うした故人が旅立つ事や、その大往生の人生を祝うという意味が込められているといわれる。あるいは、先述のハレとケや供養とも関係があるともいわれる。かつての日本では、女児の初潮を祝して赤飯を振る舞う家庭もあったが、現在ではこの風習を行う家庭は少ない。上記までの様々な風習でも分かるとおり、赤飯に纏わる風習は形を変えながら日本各地に存在している。

出典:wikipedia

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