青年自由党(せいねんじゆうとう 英語訳は、Youth Liberal Party)は、東日本ハウス(現・日本ハウスホールディングス)創業者で元社長・中村功が党首を務めた保守系の政治団体。1994年3月17日に結党。1993年の第40回衆議院議員総選挙に旧岩手1区より無所属で立候補、当選し、「自民党・自由国民会議」の一員として活動した中村力(功党首の息子)は事実上ここの推薦候補とも言えるものであった。母体は企業経営者の政治学習組織漁火会。かつて漁火会は政治家養成組織として知られた。結党前の1993年に行なわれた総選挙では、中村力以外にも複数の無所属候補を漁火会として支援している。当選は中村のみに留まったが、支援を受けた候補の中には、後に自民党衆議院議員経て参議院議員になる赤池誠章や国民新党を経て無所属の衆議院議員となる野間健がいる。また、高市早苗は漁火会からの支援の申し出を断っている。映画『プライド・運命の瞬間』『ムルデカ17805』の製作を指揮し、上映について物心両面で支援していた。同党所属の地方議員が複数いたが、『ムルデカ―』興行失敗など、党首の事業失敗により活動が先細りし、所属議員や候補者は自民党や維新政党・新風などに移籍。現在は機関紙「漁火新聞」を発行していたが、中村の年齢的な事情を理由に2014年12月号をもって発行を終了している。(総務相への政治資金収支報告書提出は2004年・2005年と2年連続怠り2006年4月1日以降は政治団体ではない人格なき社団)。近時では機関紙・漁火新聞2010年6月号において中村会長が「漁火会は日本創新党に期待し、会として応援する」と発言した旨の報道があった。党名に青年を冠するが、その精神を大事にするという意味で、入党に年齢制限は無かった。これはマッツィーニの「青年イタリア」やオスマン帝国末期の「青年トルコ党」あやかったもの。また保守政党を標榜する一方で、保守という言葉があいまいになっているとして、自分達の立場を「日本人派」あるいは「日本派」と呼んでいた。党費は年1万円。党員になると、党のシンボルマーク模ったバッヂ、党員証、党名が書かれたプレートがもらえた。以上は1998年の第18回参議院議員選挙にむけて掲げられた政策だが、1994年3月の結党時には、といった政策も掲げられていた。
出典:wikipedia
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