『INSTANT LOVE』(インスタント・ラブ)は、日本のロックバンドであるBOØWYの2枚目のアルバム。1982年、ファーストアルバム『MORAL』がようやくリリースされたものの、メンバーの音楽性は急速に変化しており、初期からのファンは戸惑いを見せ始め、またメンバーであるギターの諸星アツシとサックスの深沢和明も同じく戸惑いを感じていた。そんな状況からの脱却を試みようと、布袋寅泰は9月9日の渋谷PARCOパート3でのライブから方向性を変え、演奏曲や衣装をそれまでのイメージと全く異なるものに変更することを提案した。しかし、当日のライブでは途中で帰ってしまう観客が出るなど反応は厳しく、また急激な変化に納得のいかなかった諸星と深沢は10月9日の新宿ロフトライブを最後に脱退する。こうして4人編成となったBOØWYだが、事務所やファンなどにイメージを固定化されることを嫌い、セルフプロデュースの道を模索することとなり、布袋は当時高円寺で貸しスタジオを運営していたかつてのバンドメンバーである土屋浩をメンバーに紹介する。土屋はBOØWYのマネジメントを引き受ける事となり、メンバーは所属事務所であったビーイングを離脱する。それに伴い、土屋を中心にプライベート・オフィス「Ø-connection」を設立、運用を開始する。しかし、所属のレコード会社との事務引き継ぎなどがないまま事務所が変更された事もあり、リリースされたレコードに関しては思うようなプロモーションが行われなかった。また、予算もなかったため宣伝活動やライブ告知などは全てメンバー自らが行い、予算がない中で全国をハイエース1台で周り、ライブだけを行っていた。このため、レコード化されていない楽曲が多く、ファンの間では録音したライブ音源の交換によって曲の認知度が広まっていった。その後、プロデュースは前作でドラムを担当していた木村マモルが引き受け、木村は移籍先となるレコード会社としてジャパン・レコードとの契約を獲得する。やがて、レコーディングも決定したのだが、それまで所属していた事務所の所有するスタジオの空き時間であるなら自由に使用しても良いという、通常ではあり得ない方法が採用される事となった。ボーカルの氷室狂介曰く、「ファーストアルバムが『怒り』なら、今回は自分達の中にある『シラケ感覚』がテーマ」と語っている。また、「前作『MORAL』が怒りに斧を振り上げているイメージに対し、今作はドスをチラリと見せる、よりシャープなイメージである」と語っている。プロデュースはBOØWYの初代ドラマーだった木村マモルが担当した。木村マモルはBOØWY以前に、氷室狂介も在籍した「スピニッヂ・パワー」というグループでドラマーを担当していた。レコーディングはそれまで所属していた事務所ビーイングのスタジオ「バードマン」の空き時間を利用して行われている。そのため、レコーディングスケジュールが存在せず、特に締切に追われることなく作業が行われた。前作で思うような音作りができず、完成したレコードを聴いて落胆した布袋は、本作にて様々なアレンジを試みている。また、この時期にはライブで演奏された曲は数多く存在するが、本作では9曲に絞り込まれた。氷室の「今度のアルバムは、1年半も費やしているんだよね。俺たちは飽きっぽいからさ、1年半もあれば、いろいろ音の興味も変化するわけ。だから、いろんなタイプの曲が入っているんだ」との言葉通りに、ストレートなロックンロールをベースに、ファンク、レゲエ、ダブ、プログレなど様々なスパイスが散りばめられている。 また、氷室曰く「日本でパンクなんかあり得ないんだよね。政治の状況とか見てもさ。だったら、若い奴の気持ちの中にいちばん入っていくのって、やっぱり恋愛ごとだと思う。絶対みんな恋のことって考えてるし。それで自分なりの考え方みたいのが伝えられたら、その方が気がラクだよなって、すごく思った」と語り、歌詞においても「パンク」というイメージに縛られずに"今思うものを書く"ことに専念している。1983年9月25日に徳間ジャパンのジャパンレコーズレーベルよりLPでリリースされた。また、バンド解散後に当時の宣伝用ポスター、ポストカード等の復刻版を付属した限定版が発売された他、収録曲から4枚のシングルCDも発売された。本作のリリース前に、契約したジャパンレコードが徳間音楽工業に吸収され、徳間ジャパン(後の徳間ジャパンコミュニケーションズ)という新しい会社となってしまったため、BOØWYに関する全ての宣伝費がカットされてしまう。そのため、ポスター作成の依頼も断られてしまい、メンバー自らがアルバイト等で得た収入を元に、手作業でポスターや告知を作成することとなった。その最中、唯一プロモーション用宣材として限定300枚のみ配布されたシングル「OH! MY JULLY」のB面曲、「FUNNY-BOY」をセルフ・プローモションとしてメンバーがアポなしで足を運び、新宿有線で連続1位を獲得、ライブハウスの動員数が増えるにつれ、徐々に業界から注目されるようになる。ビジュアル・コンセプトは「アダム&ジ・アンツをもっと過激に!」となっている。前作に続き氷室は改名前のため、クレジットされている名前は「氷室狂介」となっている。本作を受けてのツアーは、1983年9月22日から12カ所の会場で「INSTANT LOVE TOUR」として開催された。しかし、レコード会社からの正式なサポートなどはなく、自己負担による小規模なライブハウスのみのツアーとなっている。また、ポスターなども布袋や土屋が手書きでメンバーの似顔絵を描いたものなどが使用されている。ライターの根本桃GO!は「歌詞においてファースト・アルバムとは打って変わり、直接的表現が消え、ムード重視の詩風となっている」、「音的にはこのアルバムがBOØWY音楽のもっとも純化した形と言えるのかもしれない」と述べている。ライターの安部薫は、「レゲエ、ダブ、ファンク、プログレ、テクノなどが大胆に導入されたサウンドには、空間的方向からロマンティシズムに彩られたメロディを揺さぶっていく構図が見える」、「ロックのエッジ、ポップ、ロマンティシズムを残しながらも音響世界の深いウルトラヴォックスのセカンドアルバム『Ha! Ha! Ha!』(1977年)との相似関係が認められる」と述べている。リリース当初はチャート圏外だったが、1988年の再発売後に初めてチャートインし、オリコンチャート最高順位3位を記録した。BOØWYスタッフ
出典:wikipedia
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