上妻 宏光(あがつま ひろみつ、1973年7月27日 - )は、日本の津軽三味線奏者(本人は『三味線プレイヤー』と称する)。茨城県日立市出身。古典曲の独奏に限らず、民謡伴奏や洋楽とのセッションおよび作曲においても高い評価を得ており、木乃下真市と双璧をなす若手第一人者とされる。趣味で三味線を弾く父親の元で育ち、6歳より茨城県日立市の佐々木光義に入門して津軽三味線を学ぶ。1989年、15歳10ヶ月で全日本津軽三味線競技大会(青森県北津軽郡金木町、現・五所川原市)において同大会史上最年少優勝。中学卒業後に上京(堀越高等学校入学)、ロックバンド六三四Musashiに加入するなどの活動を続けて腕を磨き、1995年および1996年の津軽三味線全国大会(青森県弘前市)で2連覇を果たす。津軽三味線全国大会では課題曲を「津軽民謡」と定めているが、出場者のほぼ全員が、最も技巧に富み技量を誇示しやすい津軽じょんから節を選択する。しかし上妻は、2連覇時の1996年と3連覇のかかった翌年に、じょんから節に較べて地味で、五大民謡中最大の難曲とされる「津軽よされ節」でただひとり出場。「四枚撥」と呼ばれる高度な技を織り込みつつ、圧倒的な完成度で見事に優勝した。翌年も三連覇を懸けて津軽よされ節で挑むが、踊正太郎に阻まれ、三連覇は成らなかった。この審査結果には批判もあり、弘前の「津軽三味線全国大会」が特定流派のための大会だと揶揄される一因ともなる。なお、上妻以降、津軽じょんから節以外の楽曲を演奏してコンクールで優勝した者はいない。上妻は常々、この「津軽よされ節」に対する強い思い入れを語っており、コンサートなどのMCで時折触れることがある。非常に謙虚な人物として知られ、先輩を立て、後輩を思いやる姿勢が評価されている。木乃下真市や福士豊秋と交流が深く、ステージでの交流も数多い。特に木乃下については、「自分が日本一上手い」と思いこんでいた小学生時代、民謡酒場で木乃下の演奏を聴いて打ちのめされたという内容をインタビューで残している。六三四Musashiの後継三味線奏者である西はじめ、弟弟子である廣原武美には、ソロデビュー前から彼らの兄貴分としての付き合いがある。一方で、木乃下真市同様、中学校から高校時代はかなりのやんちゃ坊主だったとも語っている。2001年にアルバム「AGATSUMA」でメジャーデビューし、同アルバムで第16回日本ゴールドディスク大賞の純邦楽・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。2003年には第11回スポニチ文化芸術大賞優秀賞を受賞した。2003年、喜多郎らが所属するDomo Records(ドーモレコード)よりアルバム「Beams」にて全米デビューを果たす。国内に限らず、アメリカやEUでツアーを行うなど海外でも精力的に演奏。ニューヨークのジャズクラブに飛び入りでセッションしたり、スペインでフラメンコとセッションするなど、古典にとどまらない活動を見せる。2006年2月に行われたアメリカ東海岸ツアーでは、全米で放送されている“A&E Breakfast With The Arts”にゲストとして出演した。ソロデビュー以前に加入していた邦楽器ロックバンド「六三四Musashi」は、テレビアニメ「NARUTO -ナルト-」の挿入曲や、みちのくプロレス入場テーマ曲などに使用されている。TAKAみちのく(現KAIENTAI-DOJO代表)のテーマ曲「組曲Yamato Part4」にて演奏されている津軽三味線は上妻のものである。同曲は1997年に発売されたCD「みちのくプロレス大全集」に新録されている。2007年、「○ -エン-」にて第21回日本ゴールドディスク大賞の純邦楽・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞した。2012年、ディズニー夏祭り「爽涼鼓舞"ザ・ホットチャレンジ"」と「爽涼鼓舞"ザ・ファイナル"」の開始5分前BGMとして「Under The Moon」が使用された。
出典:wikipedia
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