グレッグ・レイク(Greg Lake、1947年11月10日 - )は、イギリス出身のボーカリスト、ベーシスト、ギタリスト、作詞家、作曲家。1965年に初めて組んだバンド、ユニット・フォーを皮切りにザ・タイム・チェックスなど多くのローカルバンドで徐々に有力ギタリストおよびヴォーカリストとして頭角を現し、1967年ザ・シェイムに助っ人参加しデビュー・シングルを残した(この時期バンドのローディに1週間ほどロバート・フリップがいた)。翌1968年にはユーライア・ヒープの前身バンド、ザ・ゴッズに年頭から夏まで参加しライブで活動。秋にはザ・シェイムの発展バンド、ザ・シャイリムスのデビューシングルにアンディ・マカロックと参加した(このシングルB面でロバート・フリップもリードギターで客演している)。その後ロバート・フリップに誘われキング・クリムゾン結成に参加した。1969年にデビューを飾ったプログレッシブ・ロック・グループ、キング・クリムゾンにおいてはデビュー・アルバムの『クリムゾン・キングの宮殿』でベースとボーカルを担当。セカンド・アルバム『ポセイドンのめざめ』ではピーター・ジャイルズがベースを担当した為に、ベースではなくギターを引いている。その後、1970年にエマーソン・レイク&パーマー(ELP)を結成。同バンドの人気上昇とともに、グレッグ・レイク自身も世界的な知名度を獲得していった(詳細はELPの項目を参照)。1980年にELPが解散した後、ソロや他のミュージシャンとの活動を行い、1983年には一時的にエイジアのメンバーとなってカール・パーマーと合流し、伝説的な武道館公演を行っている(この公演の模様はライブ・ビデオ「エイジア・イン・エイジア」に収録されている)。その後、しばらくソロ・アーティストとしての活動を行なっていたが、ELPを再結成させて、ワールド・ツアーを敢行。2001年には、リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドのアメリカ・ツアーに参加。「クリムゾン・キングの宮殿」と「ラッキー・マン」を歌った。2010年にELPの同僚であるキース・エマーソンとのコンビで北米ツアーを行い、その後にこのコンビで来日公演も予定されていたが、キース・エマーソンの病気によりキャンセルとなった。同年7月にはロンドンでELPの再再結成ライヴを1度だけ行なっている。今後のELPとしての活動は本人が否定している。レコードにはプロデューサーとして彼のクレジットがあるが、キース・エマーソンのインタビューによると、「グレッグがこだわったので譲っただけ。楽曲の半分以上を書いて、アレンジも含めサウンドの中心である自分自身が、最もプロデューサー的役割を担っている」といったような主旨の発言もあった。ELPのメンバーの中では、最もロック・ミュージックに影響を受けたメンバーである。エマーソンの演奏力がずばぬけていて、が、キング・クリムゾンのリーダーであるロバート・フリップと、若い頃に同じクラシック・ギターの先生に教わり、ほぼ実力が均衡していたといわれる。また、クリムゾン離脱表明後のセカンドアルバムでグレッグでは無くピーター・ジャイルズがベースを担当したのは、フリップ曰く「スタジオに入って初見でベースが弾けるため」とレコーディングでの合理性を説明している。ベースに関しては、ロック的な奏法とジャズ風のベース・ランニングとを使い分けられた。ピック弾きであり、オルタネイト・ピッキングの名手である。
出典:wikipedia
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