哲学館事件(てつがくかんじけん)とは1902年(明治35年)に私立哲学館(東洋大学の前身)で起きた学問・教育への弾圧事件である。井上円了が1887年(明治20年)東京本郷に設立した哲学館は、1899年(明治32年)文部省から中学校・師範学校教員免許授与の資格を認められ、以後3年の課程を修了した最初の学生の卒業試験を1902年(明治35年)10月に行った。その折規定によって文部省視学官隈本有尚・隈本繁吉が臨監したが、ムーアヘッド()著、桑木厳翼補訳『倫理学』によって講義した中島徳蔵講師の試験問題の1つ、「動機善にして悪なる行為ありや」への答案の中に、動機が善であれば弑虐も認められるかのごとき文があり、国体上軽視しえないとして、教授方法などを問題にした。文部省は井上円了に詳細な報告を要請、井上は外遊中だったが2、3の交渉の後、12月13日付で免許授与資格の認可を取り消した。中島も哲学館と東京高等工業学校の講師を辞職せざるをえなかった。中島は新聞や雑誌『丁酉倫理』で当局の不当を批判、また世論も沸騰、新聞や雑誌は文部省の私学への過酷な処置を非難するものが多かった。学者間にも倫理学説をめぐって論議がしきりに行われ、バーミンガム大学教授ムーアヘッドも英国から弁明書を寄せた。当時の倫理学界の中心だった丁酉倫理会の主要会員が連名で、1903年(明治36年)3月、「ム氏の動機説を教育上危険と認めず」との意見を表明したので論議は落着に向かったが、学問の自由・私学の独立について考えさせた事件だった。なお哲学館は失った資格を、1907年(明治40年)に回復した。"大学令による旧制大学昇格が遅れた理由については境野事件を参照。" "348302
出典:wikipedia
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