スクーデリア・トロ・ロッソ(Scuderia Toro Rosso)は、2006年からF1に参戦しているレーシングコンストラクター。本拠地はイタリアのファエンツァ。2005年11月1日、世界的エナジードリンクメーカーであるレッドブル社がF1チームのミナルディを買収して設立した。チーム代表のフランツ・トストほか主要人事は交代しているが、ファエンツァの本拠地とチームクルーはミナルディから引き継いだ形となっている。レッドブル社は先にジャガー・レーシングを買収してレッドブル・レーシングとして運営しており、トロ・ロッソはその弟チームにあたる。レッドブル社が後援する若手ドライバー養成プログラム(レッドブル・ジュニアチーム)の契約ドライバーを起用して経験を積ませ、才能が認められれば本家のレッドブル・レーシングへ昇格させるというシステムを採用している。ジュニアチームの責任者は、元F1ドライバーのヘルムート・マルコが務めている。レッドブル・レーシングは本拠地がイギリス、チーム国籍はレッドブル本社のあるオーストリア登録となっているが、トロ・ロッソの場合はミナルディ時代と変わらぬイタリア国籍である。この2チームはマシンのカラーリングも似ているが、トロ・ロッソはノーズが金色で、エンジンカウルに雄牛のイラストが描かれている点で識別することができる。このイラストはJos Pirknerがデザインし、Knud Tirochがすべてのカウルにエアブラシでペイントしている。当初、レッドブルは2チームで同じマシンを使用し、開発の効率化とコストの節約を図ろうとした。コンコルド協定には2チーム間のマシン売買を禁じる「カスタマーカー禁止条項」が存在するため、2009年までは関連会社のレッドブル・テクノロジーがマシンを開発し、レッドブル・レーシングと本チームにその知的所有権を譲渡するという方法を採っていた。しかし、スーパーアグリとともにスパイカーから提訴され、2010年より自社でマシンを開発・製造する「コンストラクター化」を迫られることになった。イタリア語でスクーデリア ()は馬小屋や厩舎から転じて「チーム」、トロ () は「(去勢されていない)雄牛」、ロッソ () は「赤色」を意味し、英語に訳すと"Team Red Bull"となる。コンストラクター(シャーシ)銘柄はSTRと表記される。当初は「スクアドラ・トロ・ロッソ(Squadra Toro Rosso)」というチーム名を使用したが、この「スクアドラ」は主にサッカークラブなどに対して用いるものではないかという意見が多数寄せられたため、後に似た意味であるが通常レーシングチームに対して用いられる「スクーデリア(Scuderia)」に変更された。なお、かつて1980年代にF1にエントリーしていたイタリアのコンストラクターのオゼッラのチーム名は「オゼッラ・スクアドラ・コルセ(Osella Squadra Corse)」だった。チームオーナーはレッドブル創業者のディートリヒ・マテシッツ。2006年2月から2008年11月まで、元F1ドライバーのゲルハルト・ベルガーがチーム株式の50%を取得してチームの共同オーナーに就任し、同時にアドバイザーという形でチームに加わっていた。2010年よりコンストラクター化が必須とされると、マテシッツはチーム売却の意思を明らかにした。ただし、売却は2008年シーズン中には行わないことも明言した。2008年11月25日にマテシッツは、ベルガーが所有していた株式を買い戻したと発表した。これによってトロ・ロッソは再びレッドブル・レーシングとともにマテシッツによって運営される。株式売却したベルガーによれば、この売買の理由はレッドブルがトロロッソチーム売却を望んだため。自身の保有株式をレッドブルに売却することでチーム所有者を一本化、チーム売却をよりスムースに行わせるためと思われる。しかし、いわゆるリーマン・ショック後の世界的な景気低迷によりチームの買収に本格的に乗り出す企業がなく、2016年現在もチームはマテシッツの所有となっている。初年度となるこの年はレースドライバーにヴィタントニオ・リウッツィとスコット・スピード、リザーブ&テストドライバーにニール・ジャニという若手で揃えたラインナップとし、3名全てレッドブル・ジュニアチーム出身のドライバーを起用した。F1で使用されるエンジンはこの年からV8・2.4リッターエンジンに変更されたが、トロ・ロッソだけはプライベーターであるという理由によって、エンジンは前年度にミナルディが使用していたコスワース製のV10・3リッターエンジンにリストリクター(吸気制限装置)を装着し、さらに最高回転数を制限されたものを使用した。シャーシは前年にレッドブルが使用したRB1と酷似したSTR1で出走した。これらの点については公平性という観点から疑問の声が上がった。制限付きのV10エンジンの使用については、元々ごく小規模なチームで常に資金難に喘いでいたミナルディからの要請であったため、他チームも使用を認めたという経緯があり、その後にミナルディを買収して誕生し、資金的にはその気になればコスワースを会社ごと買収できるほど潤沢であったトロ・ロッソにおいても認める必要があるのかという点で疑問視され、V10エンジンを使用することで他チームに対して有利となる局面が生じるのではないかと指摘する声も少なくなかった。実際にFIAはV10エンジンを使用するトロ・ロッソがレースにおいて大きなアドバンテージを得ていると判断した場合には、最高回転数をさらに引き下げる準備を行なっていた。シャシーについても、2006年に参戦を開始したスーパーアグリがB・A・Rチームの2005年もしくはそれ以前に用いたシャシーを使用しようとしてFIAに禁じられたケースと矛盾があり、疑問の声が聞かれる。シャシーについては元々はこのシャシーがレッドブルの前身となるジャガー・レーシング時代に設計されたものであり、すでに存在しないコンストラクターであるジャガーのシャシーであることが使用が許可されている理由であると理解されているが、この点はB・A・Rのケースにおいても同様である。シーズン開幕後、リストリクターと回転数を16,700rpmに制限する規制により最高速は抑えられたものの、エンジンを低回転で最大トルクが出るようにチューニングしたことにより、中低速コーナーからの加速性能に優れるようになり、特に低速サーキットではグリッド上位に上がるようになった。これに対して、改めてトロ・ロッソにV10エンジンの使用を認めるか否かの議論が起きた。しかし、シーズンが進むにつれて各チームがV8エンジンの性能を上げてきたため、他チームの疑問視する声もシーズン中盤には治まることとなった。2007年からはレッドブルが所有していたフェラーリエンジンの供給契約を譲り受け、コスワースV10を手放すことが発表された。当時の共同オーナーだったベルガーはこのエンジン騒動について「規制されたエンジンが一番遅くなければいけないという根拠はない。ルールの中で我々が最善を尽くした結果だ」とコメントしている。レースドライバーは前年に続き、ヴィタントニオ・リウッツィとスコット・スピードという布陣でスタート。しかし、当初からドライバー陣と共同オーナーであるベルガーとの関係がギクシャクしており、開幕前から心配する声が出ていた。また、マシンは「STR2」で、デザインはエイドリアン・ニューウェイである。前年同様、このマシンもカスタマーシャシーではないかとの批判を受けたが、問題はないとの立場を取っていた。しかし、カスタマーシャシーに反対するスパイカーF1と、トロ・ロッソ、スーパーアグリの三者間で商業権料をシェアするなどの合意がなされた。エイドリアン・ニューウェイがデザインしたマシンということで期待も一部にはあったが、2チームに共通の部品を供給する十分な余裕がなく、レッドブル・レーシングが優先されることや信頼性の問題もあって、完走さえままならない状況になってしまった。唯一、モナコGPではスピードが入賞一歩手前の9位に入った。しかし、スピードとチーム首脳陣の関係は開幕前よりもさらに悪化。第10戦ヨーロッパGPでリタイアしたスピードはトスト代表と口論して更迭された。第11戦ハンガリーGP以降は、BMWザウバーのリザーブ&テストドライバーを務めていたセバスチャン・ベッテルが加入。日本GPではベッテルが3位を走行したが、マーク・ウェバーに追突してリタイアした。続く中国GPにおいて待望のダブル入賞を果たした。ドライバーは、2007年度途中より加入したセバスチャン・ベッテルと、2004-2007年チャンプカー4年連続チャンピオンのセバスチャン・ボーデである。トロ・ロッソのチーム代表であるフランツ・トストは、前年のマシンを2008年のレギュレーションに合わせた「STR2B」で序盤の4戦を戦う意向を示していたが、STR3用のパーツが間に合わないとの理由で、第5戦トルコGPまで使用され、STR3は第6戦モナコGPから投入された。エンジンは引き続きフェラーリから供給を受ける。STR2Bは開幕戦にボーデが7位に入った以外は入賞できなかった。しかし、STR3を投入してからはフェラーリエンジンのパワフルさにも助けられ、入賞圏内でフィニッシュすることも多くなる。そして、第13戦ベルギーGPではファイナルラップまでボーデが3位を走行したが、最後は雨に祟られ7位に落ちてしまった。だが、次戦イタリアGP予選では前回とは逆に雨に助けられ、ベッテルがチームと自身初のポールポジションを、ボーデが自己最高位の4位を獲得。決勝でもベッテルがそのまま首位を守り、F1史上最年少優勝となる自身初優勝を成し遂げた。この優勝は、という記録づくめの優勝となった。開発技術・開発スピード・開発費の全てが高騰し、非メーカー系のプライベートチームが優勝することはもはや不可能と言われている昨今のF1にあって、このベッテルの優勝は近年稀に見る快挙といえる。最終的に、コンストラクターズポイント・シーズンランキングともに本家レッドブル・レーシングを上回る成績を収めた。イタリアGP後のヘレス合同テスト、およびシーズン終了後の11月17日より行われたバルセロナ合同テストで、2009年のドライバーオーディションとして佐藤琢磨とセバスチャン・ブエミをテストした。。ベッテルのレッドブル・レーシングへの抜擢が決定し、1月9日に新人のブエミがレギュラーシートを獲得。ボーデと佐藤が残るシートを争うことになったが、2月7日にボーデの契約継続が発表され、F1復帰を狙っていた佐藤は選から漏れた。開幕戦では2台ダブル入賞を果たしたものの、前年後半戦の好調から一転して、再びポイント獲得に苦労する中団のポジションに戻ってしまった。ドイツGP終了後に成績不振のボーデが解雇され、ハンガリーGPからハイメ・アルグエルスアリが出走した。アルグエルスアリは19歳125日という最年少出走記録を作った。前年に引き続きブエミとアルグエルスアリがレースドライバーとして継続が発表され、テストドライバーにはレッドブル・レーシングとの掛け持ちという形でブレンドン・ハートレイとダニエル・リチャルドが発表された。なお2010年より他チームとのマシンデザイン共有が認められなくなったため、同年のニューマシンであるSTR5は、前年型のSTR4をベースとしつつも独自にデザイン・製造されたマシンであった。開幕戦バーレーンGPから第9戦ヨーロッパGPまではコンスタントに両ドライバーがポイントを着実に重ね計5回の入賞で10ポイントを稼いでいた。ところが中盤戦から復調してきたザウバーに対して苦戦をしいられる結果となり、ポイントランキングでもリードを許してしまう。第16戦日本GPでブエミが7戦ぶりに10位入賞、その後に最終戦アブダビGPでアルグエルスアリが9位入賞を果たすもコンストラクターズポイントで31ポイントの大差をつけられて9位13ポイントに終わった。引き続きブエミとアルグエルスアリの布陣で臨む。予選のペースが今ひとつであったものの、力強いレースペースを持ち、特にアルグエルスアリのレースペースが光っており、コンスタントに入賞を繰り返していた。ラスト2戦を残しザウバーを追い上げポイントで並んだものの、息切れしてしまったかラスト2戦ではポイントを獲得できず、コンストラクターズポイントは41ポイントで8位となった。ブエミ、アルグエルスアリ両名とも来年に期待を残すシーズンとはなったが、チームは2012年のドライバーとして、リチャルドとジャン=エリック・ベルニュの契約を発表し、両ドライバーはシートを失うこととなった。ドライバーを一新して迎えた2012年は、やや苦戦を強いられるシーズンとなった。それでも、特にリチャルドは予選で好パフォーマンスを発揮し、レースでも6度の入賞を達成。それでも、ポイントは4度の入賞であったベルニュに軍配が上がる。2人で26ポイントを獲得したが、コンストラクターズランキングは9位に後退する。リチャルド、ベルニュのコンビを継続。レースでは互角に戦うものの、予選パフォーマンスでは明らかにリチャルドが優れていた。リチャルド20ポイント、ベルニュ13ポイントで33ポイントを獲得し、ウィリアムズの不振もあり、コンストラクターズランキング8位を獲得する。リチャルドは同郷の先輩であるマーク・ウェバーの引退により、レッドブルへの移籍を果たす。パワーユニットのメーカーをフェラーリからルノーに変更する。これはレッドブルと同じメーカーとなる。空いたリチャルドのシートにはダニール・クビアトが座ることとなり、ベルニュ、クビアトのコンビで戦うこととなる。開幕戦オーストラリアGPでダブル入賞を果たし、クビアトは当時の最年少入賞記録を更新する。しかし、以後はマシンの信頼性不足に悩まされ、なかなか活躍を見せることはできなかった。それでも、両ドライバーで30ポイントを獲得し、ロータスとザウバーの不振により、コンストラクターズランキングは7位に上昇。また、ベッテルがフェラーリに移籍したため、クビアトがレッドブルに移籍を果たした。予選パフォーマンスの劣っていたベルニュにとっては複雑な思いの残る結果となってしまった上に、結果としてベルニュはF1でのシートをこの年限りで失うこととなる。17歳のマックス・フェルスタッペンと、20歳のカルロス・サインツJr.の新人2名の布陣に変更。ベルニュは残留を果たせなかった。平均年齢18.5歳(デビュー時)という、圧倒的に若い布陣となる。しかし、両ドライバー共に力強いパフォーマンスを見せ、フェルスタッペンは特にレースでの好走が光った。最終的に49ポイントを獲得し、トロ・ロッソでの1シーズンでの最高得点獲得者となった。サインツは予選でこそフェルスタッペンに10勝9敗と勝ち越したが、レースでは度重なるトラブルに悩まされ多くの入賞の機会を逃す。それでも18ポイントを獲得し、存在を見せつけた。ルノーのパワーユニットの性能の低さに痺れを切らしたレッドブルの2016年シーズンのパワーユニット供給問題の煽りを受け、あわやトロ・ロッソの2016年シーズン参戦が危機に陥る状態にまでなったものの、最終的に2015年型のフェラーリのパワーユニットで2016年シーズンを戦うことが発表された。3年ぶりにレッドブルと異なるパワーユニットとなる。ドライバーはフェルスタッペンとサインツの両名が継続。前年までマノー・マルシャF1チームのチーム代表を務めていたジョン・ブースが4月26日、レーシングディレクターに就任した。第5戦スペインGPからフェルスタッペンがレッドブルに昇格し、代わってクビアトが2年ぶりに復帰することになった。
出典:wikipedia
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