福井鉄道140形電車(ふくいてつどう140がたでんしゃ)は、かつて福井鉄道に在籍していた電車。初代と2代目が存在した。本項では初代および2代目両方の本形式を称した車両について述べる。モハ140形141・142は元名鉄モ700形701・705で、1927年(昭和2年)4月に日本車輌製造で新製されたものである。クハ140形141・142は元名鉄ク2200形2201・2202で、瀬戸電気鉄道が1936年(昭和11年)10月に日本車輌で新製したガソリン動車キハ300形がその前身である。4両とも1964年(昭和39年)3月に借入という形で入線し、同年7月に正式譲渡されている。主要機器については名鉄時代そのままとされているが、台車は入線に際して換装され、モハ141が日本車輌製27MCB型釣り合い梁式台車を、モハ142がボールドウィン78-25A型釣り合い梁式台車を、クハ140形が日本車輌製ボールドウィン型台車をそれぞれ装備している。当初は塗装変更の他、併用軌道区間走行のため前面床下に排障器を、客用扉部に乗降用折り畳みステップをそれぞれ設置した程度でほぼ原形を保ったまま使用されていたが、1964年(昭和39年)11月に2両固定編成化が施工された。モハ・クハとも連結面を切妻構造化するとともに貫通路および貫通幌を設置し、貫通扉も新設された。同時に前面窓のHゴム固定化、運転台部分の側窓の一段下降窓化、客用扉の自動扉化、車内放送装置の新設を施工している。モハ140-1形-モハ140-2形からなる2両編成で、武生方モハ(-1)に制御器を、福井方モハ(-2)に電動発電機(MG)および電動空気圧縮機(CP)をそれぞれ搭載する固定編成である。車内は全車セミクロスシート仕様で、客用扉間が転換クロスシート、後部客用扉より連結面までがロングシートで構成されている。本形式の種車は譲渡車・生え抜き車の計3車種からなり、出自の違いから車両形状が各々異なっている他、座席定員にも差異が生じている。主要機器は入線に際して全車統一され、制御器は東洋電機製造製ES516型電動カム軸式制御器、主電動機はウェスティングハウス社製WH556-J6型である。主電動機は武生方モハ(-1)に4基、福井方モハ(-2)に2基搭載とした変則全電動車編成とされており、パンタグラフは武生方モハ(-1)に1基搭載されている。その他、詳細な改造項目は後述するが、全車共通の改造項目として以下が施工されている。以下、種車ごとにその詳細を述べる。種車は長野電鉄より譲り受けたモハ300形301・302で、1941年(昭和16年)に汽車製造で新製されたものである。1978年(昭和53年)に福井鉄道が譲り受け、翌1979年(昭和54年)から1980年(昭和55年)にかけて竣工した。入線に際して以下の改造が施工されている。これら改造によって窓配置は原形のd3D7D3dからdD10D3・1(d:乗務員扉, D:客用扉)と変化したが、種車が元より前面非貫通構造であったこともあり、他グループよりは比較的外観上の原形を保っている。乗務員扉撤去跡の側窓はHゴム固定の小窓とされており、元は両運転台車であった面影が残っている。台車は種車が装備していた汽車製KSK-2H4型釣り合い梁式台車をそのまま使用した。なお、本グループは名義上初代モハ140形141・142の更新扱いで竣工している。種車はモハ40形42で、本形式中唯一の福井鉄道生え抜き車両である。前身は1929年(昭和4年)に加藤車輌製作所で新製された鯖浦電気鉄道デハ10形12で、合併による福井鉄道設立時にモハ42と改称・改番され、1953年(昭和28年)に車体新製による更新を施工したものである。改造前は主に単行運用に供され、福武線および鯖浦線で使用されていたが、1981年(昭和56年)に後述モハ143-2と2両固定編成化を行うため大改造を受け、モハ143-1と改称された。以下に改造項目を記す。これら改造の結果原形は完全に失われ、モハ143-2とほぼ同一の外観に変化を遂げたが、車体長の差異から窓配置はdD11D3と、モハ143-2と比較して客用扉間の側窓が1枚少ない。その他、前面雨樋形状や幕板寸法、屋根の深さ等、種車の違いに起因する形態上の相違点が存在した。台車は名鉄より譲り受けた日本車輌製D14型釣り合い梁式台車を装備する。なお、本車は新製名義で登場しており、名義上モハ42は廃車扱いとされている。種車は名鉄より譲り受けたモ900形で、1931年(昭和6年)に日本車輌で新製されたものである。瀬戸線昇圧に伴い余剰となったモ901・902・907を譲り受け、1979年(昭和54年)から1981年(昭和56年)にかけて順次竣工した。本グループも入線に際して以下の改造が施工されている。これら改造によって窓配置は原形のd2D10D2dからdD12D3となり、外観上原形はほぼ失われたといっていいほどの変化を遂げた。さらにモハ143-2についてはモハ143-1同様に前面窓の連続3枚窓化・連結面の切妻化も施工されている。台車はモハ141-2・142-2が名鉄ク2300形の廃車発生品である日本車輌製27MCB型を、モハ143-2が同じく名鉄から譲り受けた日本車輌製D16B型をそれぞれ装備する。なお、本グループのうちモハ141-2・142-2はクハ140形141・142の更新名義とされ、モハ143-2については編成相手のモハ143-1同様新製名義とされている。前述固定編成化後は特に改造を受けることなく使用されたが、車体の老朽化が進んだことから2代目140形に代替されることとなり、モハ141・142はモハ141-1・142-1に、クハ141・142はモハ141-2・142-2にそれぞれ名義を譲って現車は1979年(昭和54年)に解体処分された。入線後、1984年(昭和59年)に列車無線取り付けが、1987年(昭和62年)には武生方モハ(-1)の台車のD16型への換装が、1992年(平成4年)にはATS(自動列車停止装置)の設置がそれぞれ施工されている。その間車体塗装の新塗装化も行われ、入線から約20年間福武線の主力形式として使用された。しかし1990年代後半に至り、経年による老朽化が顕著となってきたことから、600・610形導入に伴う代替対象となって142編成が1998年(平成10年)に、143編成が1999年(平成11年)にそれぞれ廃車となった。141編成はその後も予備車として在籍し、乗務員訓練用途にも使用されていた。2004年10月1日改正ダイヤでは、いずれも平日・土曜日の朝に、武生新駅 → 田原町駅 → 神明駅間の普通および武生新駅 → 田原町駅間の急行(田原町駅・神明駅 → 武生新駅間は回送)の運用で、検査およびビール列車運行時の車両不足を補う形で使われていた。名鉄から譲り受けた低床電車の導入により2006年(平成18年)4月1日をもって定期運用から完全に離脱した後、同年10月14・15日に行われたさよなら運転を最後に廃車となった。除籍後は西武生(現・北府)の車両工場に留置されていたが、2007年(平成19年)6月に解体処分され、姿を消した。
出典:wikipedia
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