小湊鐵道株式会社(こみなとてつどう)は、千葉県市原市などに路線を有する鉄道会社・バス会社である。本社は千葉県市原市五井中央東1丁目1番2号に所在する。鉄道事業のほかに路線バス、観光バス事業も展開しており、鉄道事業よりバス事業の方が高い収益を上げている。バス事業は太平洋戦争下で行われた陸運統制令に伴う戦時統合により、房総半島の木更津 - 勝浦以北のバス会社を袖ヶ浦自動車が統合し、さらに小湊が同社を合併したことによる。かつてはタクシー事業も直営で行なっていたが、1986年に分社化された(「グループ会社」の節を参照)。国土交通省への届出上は「小湊鉄道」となっているが、実際には「小湊鐵道」の表記のほうがよく使われている。京成電鉄の持分法適用関連会社として京成グループに名を連ねているが、事実上独立し、小湊グループを形成している。小湊鐵道はもともと安田財閥に所属し京成とは無関係であったが、戦時中の当局の勧奨により株式の大半が京成電鉄に買収され、京成電鉄の系列会社となったものである。しかし1970年代に京成電鉄が経営危機に陥り、資産整理のため持株が放出された結果、九十九里鉄道が小湊鉄道株を、また小湊鉄道が同社社長名義で九十九里鉄道株を持つ形態になり、京成電鉄の出資割合は大幅に下がっている。2005年3月31日時点では九十九里鉄道が49.90%、京成電鉄が30.00%の株式を保有していたが、2007年3月期に京成電鉄の株式11.00%を九十九里鉄道が取得するなどした結果、2008年3月31日時点では九十九里鉄道が63.95%の株式を保有するに至っている。ちなみに、当社および関連会社における他の京成系事業者との違いは次のとおりである。鉄道路線として、東日本旅客鉄道(JR東日本)内房線と接続する千葉県市原市の五井駅より、いすみ鉄道いすみ線に接続する夷隅郡大多喜町の上総中野駅まで39.1kmの小湊鉄道線を有する。「小湊鉄道」という社名になったのは、当初は誕生寺への参拝客輸送を目的に安房郡小湊町(現・鴨川市)を目指して着工されたことからで、資金不足と当時の土木建築技術の限界や、終着駅の上総中野駅に国鉄木原線(現・いすみ鉄道いすみ線)が接続したことから、同駅より先の建設は行われなかった。ほかに海士有木(あまありき)駅 - 千葉中央駅間の鉄道敷設免許も持っていたが、こちらは千葉急行電鉄に譲渡された。その一部が現在の京成千原線である。2010年4月3日から自転車をそのまま鉄道車両に持ち込めるサイクルトレインサービスを始めた。2015年11月15日から、上総牛久駅(最終的には里見駅) − 養老渓谷駅間にトロッコ列車「里山トロッコ」の運行が開始された。これに際して蒸気機関車を模したディーゼル機関車と小型のトロッコ客車が新製された。路線についての詳細は以下の項目を参照のこと。車両は定期列車にはキハ200形気動車14両(キハ201 - キハ214)が使用されており、キハ209・210を除く12両が冷房車である。全車ロングシートであり、トイレはない。ワンマン運転は行なわれておらず、車掌が乗務する。なお、キハ209は休車中である。また、2015年11月から運行が開始された「里山トロッコ」には、かつてのコッペル製蒸気機関車をイメージしたDB4形ディーゼル機関車と、客車ハフ101・ハテ101・ハテ102・クハ101が使用されている。このほか営業用車両ではないが、工臨用の貨車や、2011年にいすみ鉄道より譲渡されたモーターカーがある。また、車両の扱いではないもののオートバイを改造した軌道自転車があり、保線作業に使用されている。軌道自転車の運転操作方法はバイクと同じで、エンジンを使って走行する。これらの車両はすべて五井機関区に配置されている。過去には蒸気機関車を保有していたが、1962年までに全廃された。客車もそのころまでに全廃され、「里山トロッコ」用の客車が2015年に製造されるまで保有客車はなくなっていた。戦中戦後の一時期には余市臨港軌道から譲り受けた蒸気動車を1両保有していた。電化の計画もあったため客車については電車への改造を可能としたものが6両存在していたが、開業からわずか3年で中国鉄道へ売却してしまった。高滝ダムで発電した電気で電車を動かすつもりだったという。大人普通旅客運賃は以下の通り(2014年4月1日改定、小児半額・10円未満切り上げ)。10枚分の価格で11回使用可能で、有効期限は1か月である。小湊鉄道では、鉄道事業のほか、乗合と貸切の両バス事業を計310両程度の車両によって営んでいる。バス事業は鉄道事業との区別もあり、「小湊バス(こみなとばす)」と呼ばれ親しまれている。乗合バスの営業エリアは房総半島中央部の内房線・外房線・小湊鉄道線沿線の広範囲、内房は千葉市から木更津市にかけて、外房は東金市から勝浦市までに及ぶ。小湊鉄道のバス事業は、1947年7月1日に傘下にあった袖ヶ浦自動車株式会社を合併したことにより始まる。同社は1927年に現在の市原市周辺の有志によって合資会社として設立された。当初は大多喜街道周辺のみで営業していた小さな事業者であったが、1933年に小湊鉄道が経営権を得てからは、潤間四郎八より千葉 - 木更津、千葉 - 長南などの路線を継承するなど、内房地域で路線網を拡張し、その後株式会社化を経て、戦時下の事業統合により1944年に外房地域の多数の事業者を合併、房総半島の中央部を東西に横断する広大な事業エリアを確立した。小湊鉄道による合併後は、戦前からの路線をベースにした地域間の路線網強化を図るとともに、昭和30年代から急速に発展した東京湾岸の工業地域に向かう路線や、千葉市・市原市の住宅団地へ向けた路線を多数開設した。京成千葉駅(現在の千葉中央駅)を起点とする中・長距離路線も拡充され、一時は房総街道や産業道路、茂原街道、大多喜街道など千葉市と房総を結ぶ主要道路上を、特急・急行・快速など複数の種別を持つ小湊バスが行き交っていた。しかし、競合する内房線・外房線の本数増加や、マイカーの普及、渋滞の悪化、さらには沿線市町村の過疎化など複数の要因が重なって利用者が減少し、こうした路線は昭和の終わり頃までにはおおむね姿を消した。また、過疎化の進展はほかの路線にも影響を及ぼし、1980年代から1990年代に掛けて外房地域を中心に大幅な路線の整理が行われている。1990年代末には大多喜と茂原の2つの営業所が廃止され、この地域の営業所は同時に車庫から昇格した長南営業所に集約された。その一方で、同じ頃千葉市や市原市、大網白里町(現・大網白里市)などではニュータウンの造成が相次ぎ、短距離の住宅輸送路線が新設・強化されたことに加え、交通不便地域の解消を目的としたコミュニティ路線が開設されるようになった。また、1997年12月以降は東京湾アクアライン経由路線をはじめとする特急・高速路線の動きが活発になっており、2014年8月現在で20路線が運行されている。特にアクアラインを経由する神奈川県発着(川崎・横浜)の路線の需要が根強く、羽田空港発着の各線も堅調に推移している。夜行バスや一般道経由の長距離路線の運行はされていないものの、自社企画旅行ブランド「赤とんぼツアー」などにも支えられ、他社と比較すると業績は良好と見られている。乗合バスの営業所は、内房地域の路線を担当する塩田営業所(千葉市中央区)と、外房地域を担当する長南営業所(長南町)、東金営業所(東金市、九十九里鐵道に管理委託)の3か所がある。主な車庫として、塩田営業所の管轄下に姉崎・木更津の2車庫、長南営業所の管轄下に白子・茂原・大多喜・勝浦の4車庫を有する。一般乗合路線は、住宅輸送路線から工業地域の通勤路線、山間地域の生活路線、海岸沿いや渓谷を走る観光路線まで様々である。高速路線は東京湾アクアラインを経由して東京や神奈川に至るものが中心である。ナンバープレートは、塩田営業所、姉崎車庫、木更津車庫、東金営業所の車両は千葉ナンバー、長南営業所、白子車庫、大多喜車庫、勝浦車庫の車両は袖ケ浦ナンバーとなっている。市原市と木更津市は袖ケ浦ナンバーのエリアであるが、姉崎車庫と木更津車庫の車両は本籍を塩田営業所に置いているため、千葉ナンバーとなる。運行路線の詳細は各営業所の項目を参照。いすゞ自動車製、日産ディーゼル工業(現:UDトラックス)製、三菱ふそうトラック・バス製、日野自動車製の国産4メーカーのシャーシを導入している。一部のコミュニティバス用や契約輸送用車両を除き、赤みのあるクリーム色にオレンジ色のライン、車体下部に灰色の塗装となっている。車番表記が無いため、車両はナンバープレートの登録番号を用いて管理する。車体に関して、現在はシャーシメーカー純正の車体が架装されているが、1984年 - 1997年頃にかけては中型車などの一部を除き、シャーシにかかわらず富士重工業(伊勢崎製作所)製の車体を架装していたことが特筆される。富士重工業製の車体を架装した車両は2014年までに塩田営業所管内から引退し、現在は長南営業所管内および東金営業所にて活躍している。また、西日本車体工業製の車体を架装した車両も同社の解散およびUDトラックスのバス販売終了で2010年までに導入を終了し、それ以降の新車は残り3メーカーから購入している。高速路線車は塩田営業所管内、長南営業所管内とも路線新設や経年車代替の都度、新車が導入されている。一部車両を除き、車体中央部には平仮名で「こみなと」のレタリング文字が入る。一般路線車は近年では塩田営業所管内に新車を導入し、製造から10年以上経過した車両を長南営業所管内に転属させ、その転属車で長南営業所管内の経年車を置き換えるのが慣例になっている(ただし、長南営業所管内には小型車の新車導入あり)。そのため、現在では塩田営業所管内はLED式行先表示・ワンステップまたはノンステップ(車椅子スロープ付)の車両、長南営業所管内・東金営業所は方向幕式行先表示・ツーステップまたはワンステップ(車椅子スロープなし)の車両がメインという構成になっている。2000年までの導入車両はツーステップ車で木製床を採用し、大型車は前中扉、中型車は前後扉としていた。同年以降はワンステップ車やノンステップ車の導入に移行し、木製床を廃してロンリウム張り床に変更、交通バリアフリー法の施行もあって車種に関係なく前中扉とし、初期のワンステップ車を除き車椅子スロープを装備している。小湊バスの車両使用年数は車両によって異なるが、営業所の転属や車体更正も頻繁に行われ、概ね15 - 20年程度使用されることが多い。経年によって車体や内装の陳腐化が目立ってきた車両に対しては車体更正を実施しており、経年車であっても新車と同等に綺麗に整備されている。また、近年では一部車両を九十九里鉄道に譲渡し、九十九里鉄道所属の路線車を順次置き換えている。首都圏の広範囲で利用できる路線バスのカード式回数乗車券であるバス共通カードについては導入されなかったが、バス事業に限って交通系ICカードPASMOのサービスを2010年3月14日に塩田営業所担当路線(姉崎車庫は同年5月2日から、木更津車庫は2011年1月22日から)にて開始した。高速路線車と塩田営業所の一般路線車は交通系ICカード対応の運賃箱を設置し、一般路線車は中扉にICカードリーダーを設置している。長南営業所、東金営業所の一般路線は交通系ICカード非対応であり、塩田営業所から転属してきた一般路線車は交通系ICカード非対応の運賃箱への交換と中扉または後扉のICカードリーダーの撤去を行っている。一般路線のほぼ全線を利用できる回数券は各営業所および車庫、案内所、バス車内などで発売している。かつては電気事業を経営していた。1923年に自家発電の認可を受け上総鶴舞駅構内に発電所を建設、1925年3月2日に完成した。75kwのディーゼル発電機2台(1台を予備)を備え駅舎の電灯や信号用に使用していた。やがて沿線住民からの要望により1925年に申請をして1926年に認可がおり、1927年9月より市原郡市原、市西、海上、養老、戸田、内田の六ヵ村(すべて市原市)に送電を開始した。続いて11月に高滝、富山、里見、白鳥の四ヵ村(すべて市原市)に送電を開始し合計2200戸、3300灯の電気を供給した。その後1933年に鶴舞発電所を廃止し東京電灯からの買電に切り替え、1942年11月には電気事業を関東配電に統合し、小湊鉄道の電気事業は廃止された。このほかグループ会社ではないが、いすみ鉄道に5.57%出資しており、小湊鐡道は千葉県、大多喜町、いすみ市に次ぐ第4位の株主となっている。
出典:wikipedia
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