大曽根駅(おおぞねえき)は、愛知県名古屋市東区・北区にある、東海旅客鉄道(JR東海)・名古屋鉄道(名鉄)・名古屋市交通局(名古屋市営地下鉄)・名古屋ガイドウェイバスの駅である。北区にあるのは、名古屋市営地下鉄の西半分のみである。JR東海の中央本線、名鉄の瀬戸線、名古屋市営地下鉄の名城線、名古屋ガイドウェイバス(ゆとりーとライン)のガイドウェイバス志段味線が乗り入れている。地下鉄の駅には「M12」、名古屋鉄道の駅には「ST06」、当駅が起点のガイドウェイバスの駅には「Y01」の駅番号が設定されている。なお地下鉄名城線は、線路名称上は金山方面が2号線(当駅が起点)、名古屋大学方面が4号線(当駅が終点)となっている。名古屋市内では名古屋駅、金山駅(金山総合駅)に次ぐ乗り入れ鉄道路線数である。ただし、どの駅も少しずつ離れているため、前述の両駅と比較すると乗り換えの便はあまりよくない。地下鉄名城線以外の3路線が、守山区に向かって伸びており、郊外である守山区と名古屋市中心部を結ぶ拠点ともなっている。東京の北千住駅、大阪の京橋駅と同様に市街地の北東側の玄関口となっている。築堤上(一部高架上)に1面2線の島式ホームを有する高架駅。南北に伸びるホームの西側(1番線)を多治見方面行きの下り列車が使用し、ホームの東側(2番線)を名古屋方面行きの上り列車が使用する。他に、ホームのない待避線(副本線)が上下線外側に1本ずつあり、貨物列車や回送列車の待避に(ダイヤ混乱時にはまれに優等列車の追越や普通・快速列車の待避にも)利用されている。改札口は、南口と北口の2か所ある。北口は高架下に位置するが、南口は築堤の西側に設けられている。南口には駅舎があったがマンションに建て替えられ、その1階部分に改札口とコンビニエンスストアが入居している。開業時は現在の南口のみであったが、地下鉄名城線開業に伴って北口が設けられた。このため、北口からホームまで100メートル弱の距離がある。駅員配置駅(直営駅)である。駅長は配置されていないため、千種駅が当駅を管理する。また、混雑時(主にドームイベント終了時)は東海交通事業の職員がホームで案内に当たる。みどりの窓口は北口、南口双方にあり、共に営業時間は5:15~23:30である。自動改札機、自動券売機が設置されている。エレベーターや多機能トイレは北口にのみあり、南口は階段のみである。JRの特定都区市内制度における「名古屋市内」の駅である。特急「しなの」は通過するが、快速、普通と一部の「ホームライナー」が停車する。上り待避線の東側には側線の痕跡が残る。ここに存在した側線から分岐する2本の専用線があったが、1982年(昭和57年)までに廃止された。1本は駅の東に隣接する三菱電機名古屋製作所の専用線で、築堤を下って製作所内へ向かっていた。もう1本は日本専売公社名古屋工場(後の日本たばこ産業名古屋工場、跡地はイオンモールナゴヤドーム前)の専用線で、駅南方へ向かった後、スイッチバックを行い東へ進路を変え、工場へ向かっていた。下り待避線の西側には、瀬戸線に繋がる貨物線があり、瀬戸線との貨物の連絡輸送が行われていた。貨物輸送廃止後は、跡地にJR関連のビルが建設されている。高架上に6両編成対応の島式ホーム1面2線を有する高架駅。南北に伸びるホームの西側(1番線)を下り列車が、東側(2番線)を上り列車が使用する。当駅で折り返す列車がないため(現在方向幕のコマにも当駅は入っていない)、渡り線や引き上げ線は存在しない。なお、後述の地上駅時代は普通列車に当駅折り返し列車があったため、6600系は英字入り幕に交換されるまで「普-大曽根」のコマがあった。駅はJR大曽根駅北口や、ゆとりーとライン大曽根駅に隣接する。改札口は1か所のみ。自動券売機が3台(一番右側のみトランパス対応)と自動改札機が5通路(窓口側の1通路は広幅タイプ)のほか、自動精算機も1台設置されている。2006年(平成18年)8月よりトランパスの導入に伴い、改札口の改修工事が行われ、改札口にもLED2段式の発車案内表示が設置された。以前はホームに行灯式発車案内が設置されていた。1983年(昭和58年)に地上駅から高架駅となった。高架線およびホームの高さは隣接するJR線よりも高い。地上駅時代は、駅舎裏に旧国鉄線に繋がる貨物線があり、国鉄との貨物の連絡輸送が行われていた。名鉄の6600系電車もこの貨物線を通じて搬入された。高架化に伴い駅は東寄りに移動したが、駅西側の町名の境界(区界)はいまだに地上駅時代の線路に沿ったゆるい曲線で分割されている。manaca定期券を作る際、名鉄の定期券と地下鉄の定期券を連絡定期券としてひとつにまとめることができるのだが、導入当初は名鉄瀬戸線と名古屋市営地下鉄の連絡駅は栄町駅と栄駅のみに限定されており、大曽根を連絡駅とすることはできなかった。しかし、2012年4月21日のmanacaとTOICAの相互利用開始に伴い大曽根駅も連絡駅として追加された。また、旧国鉄線に繋がる貨物線の南側には、駅前駅があった。島式ホーム1面2線を有する地下駅。ナゴヤドーム前矢田駅側に引き上げ線があり、当駅折り返しの列車が利用する。また、完全な終着駅だった名残で平安通側には片渡り線も残されている。名港線直通列車はほとんど当駅で折り返し、名城線を走る列車も一部が当駅を終点とする。ここから栄・金山方面は本数が倍増し、朝ラッシュ時は2.5分、昼間は5分間隔で運転される。早朝の一部時間帯や深夜には名古屋港行きは設定されておらず、名城線左回りに乗り金山で乗り換えとなる。なお、当駅から新瑞橋駅へは右回り・左回りのどちらに乗っても所要時間はほとんど変わらない。開業時にはまだ名古屋市電が走っていたため、1番出口と6番出口は市電矢田四丁目停留場と乗り換えの利便性を考えた位置に開設された。そのため、コンコースは、ホームと引き上げ線の上に、環状線(名古屋市道名古屋環状線)の地下を長く東西に伸びている。1976年(昭和51年)、星ヶ丘駅とともに、名古屋市内で初めて、磁気乗車券用自動改札機が導入された。当駅は、名城線西部駅務区栄管区駅が管轄している。相対式ホーム2面2線を有する高架駅。ホームの南側には、バスが折り返すための回転場が設けられている。ゆとりーとラインで唯一の有人駅であり、ラッシュ時の運賃精算は駅で行われる。高架下はタクシーのりばになっている。市電矢田四丁目停留場廃止後、ゆとりーとラインの開業前は、この場所に名古屋市営バスのバスターミナルがあった。大曽根駅の周囲にはかつて、名古屋市電の停留場が2か所設けられていた。一つは東大曽根停留場で、駅の西側にある東大曽根交差点の南西の道路上に設置されていた。もう一つは矢田町四丁目停留場で、駅東側にある大曽根駅交差点の東側の道路上に設置されていた。東大曽根停留場は1942年(昭和17年)に開業し、矢田町四丁目停留場は1953年(昭和28年)に開業した。廃止は東大曽根停留場が1965年(昭和40年)、矢田町四丁目停留場が1974年(昭和49年)である。矢田町四丁目停留場は、名古屋市電の最終日まで営業していた。1961年(昭和36年)時点では、東大曽根からは名古屋駅前へ向かう12号系統、矢田町四丁目からは新瑞橋へ向かう63号系統が出ていた。乗車人員(人/日)は、年度別乗車人員を、その年度の暦日で除したもの(小数点以下四捨五入)である。瀬戸線の駅の中では栄町駅に次いで20位中2位。名城線の駅では7位。ゆとりーとラインの駅では1位。大曽根地区総合整備事業の一環として2006年(平成18年)12月に当駅西側が整備され、地下に集客施設「OZ GARDEN」、駐車場、駐輪場、雨水の調整池の大曽根雨水調整池が、地上には市バスターミナルが完成した。地下鉄コンコースから地上へのエレベーター・エスカレータも設置されている。かつては名鉄の駅前広場の近くに屋台が数件営業していたが、上記の関係で立ち退きをした。
出典:wikipedia
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