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ネフェルタリ

ネフェルタリ(Nefertari, NeFeRTaRi)は、古代エジプト第19王朝、第3代目のファラオ、ラムセス2世(RaMSeS II, 通称:ラムセス大王)の正妃(第一王妃)である。ネフェルタリは、アメン神の神后の称号を持ち、この称号によって、独立した多くの富と権力を授けられた。ネフェルタリは夫ラムセスに深く愛されていたと見られ、王妃の谷のなかにあって、もっとも壮麗な彼女の王妃墓-QV66からもそれが窺える。ラムセスはこの最愛の妻を、「そなたが為、太陽の燿く者」と呼んだ。メリトアモンをはじめ、5人の息子と娘を儲けたが、ネフェルタリは若くして世を去ることとなった。ネフェルタリの出自については、エジプト貴族の一員であったらしいことを除いて不明であるが、彼女が王妃の地位にあった間、ネフェルタリの兄弟アメンモセはテーベ市長の地位に就いている。ネフェルタリは、ネフェルタリ・メリ・エン・ムト(Nefertari MeRi-eN-MuT)とも呼ばれる。意味は「愛らしき者、ムトに寵愛されし者」で、ムトはアメンの妻である女神である。ネフェルタリはラムセスの即位前、15歳の王子であったときに彼と結婚したが、ラムセスの8人の妃たちのなかでも、上エジプトにおいてもっとも重要な妃の地位にあったと考えられている。ただし下エジプトにおいては、未だその墓所が明らかでないイシスネフェルト(iSis-NeFerT, 別形:イストノフレト、iST-NoFReT)が、もっとも重要なラムセスの妃であったと見られている。ネフェルタリは少なくとも3人の息子と2人の娘、王子アメンヘルケプシェフ(Amun-her-khepeshef)、王子プレヒルウォンメフ(Pre-hirwonmef)、王子アモンヒルウォンメフ(Amon-hirwonmef)、王女メルトアトゥム(Mert-atum)、王女メリトアモン(Meryt-amon)をラムセスとの間に儲けたが、彼らは誰一人として王位を継ぐことはなかった。ラムセスの後継者は、イシスネフェルトの子、王子メルエンプタハ(MerenPtah, MeR-eN-PTaH)となった。ネフェルタリの墓所の壁にも記されているように、彼女へのラムセスの寵愛は大きく、エジプト王妃を迎える婚姻には、便宜上の結婚や政略結婚のみでなく、愛情によるものもあったと見られる。また、逝去した妃についてラムセスが詠んだ詩は、ネフェルタリの墓所の玄室内の幾つかの壁面を飾っているが、その一つは次のように述べている。古代の絵において、ネフェルタリが常にラムセスの付き添いとして描かれていることより、彼女の王妃としての地位は揺るぎないものであったことが窺える。アブ・シンベルの地において、女神ハトホル(HaT-HoR)とネフェルタリ自身を称え記念して、新しい神殿(アブ・シンベル小神殿)の建造を命じるため、ヌビアに旅した際の航海の様子を描く絵の中にも、ネフェルタリが描かれている。またネフェルタリは、アブ・シンベルの墓所と神殿の絵の両方にラムセスと同じ大きさで描かれており、こういった構図は極めて稀なものである。通常、ファラオの妃たちは、王の像や絵の膝ぐらいまでの大きさに描かれるもので、ラムセスと同じ大きさで描かれたネフェルタリの姿は、ラムセスにとって彼女がいかに重要であったかを示している。ネフェルタリはラムセスとの地上を越えた愛と、その伝説的な美しさで有名であった。彼女の時代より1世紀前の異端のファラオ・アクエンアテンの正妃ネフェルティティの美しさは、20世紀になって発見された胸像によって広く知られたが、ネフェルタリは、古代エジプトの歴史にあって、いまも昔も、愛と美を具現した王妃である。1904年にエルネスト・スキャパレッリによって発掘される。第19王朝、新王国時代のものである。装飾がとても美しいとして知られるが、現在は見学が禁止されている。階段を下りると大きな入り口があり、その先には一玄室、横に副室がある。さらに下へと降りると、主玄室があり、四本の柱と三つの付属貯蔵室が飾り担っている。ラムセス二世の墓と非常によく似たつくりである。

出典:wikipedia

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