葉室 鐵夫(はむろ てつお、1917年(大正6年)9月7日 - 2005年(平成17年)10月30日)は、福岡県福岡市出身の日本の元競泳選手。日本競泳界黎明期の選手のひとりで、亡くなるまでは大阪府の高石市に在住していた。福岡県中学修猷館(現在の福岡県立修猷館高等学校)から日本大学予科に進学する。1936年(昭和11年)のベルリンオリンピック200m平泳ぎで、葉室はドイツのエルヴィン・ジータス()との接戦の末に金メダルを獲得した。この決勝戦はアドルフ・ヒトラーも観戦しており、表彰式での君が代演奏ではヒトラー自身も起立し、右手を前方に挙げるナチス式敬礼で葉室の栄誉を称えている。葉室は1940年(昭和15年)に第一線を退くまで、200m平泳ぎで世界ランキング1位の座を守った。引退後は毎日新聞社に入社し、葉室は運動部記者となってアメリカンフットボールの甲子園ボウル創設に携わるなど、第一線記者として活躍した。1990年(平成2年)に国際水泳殿堂()入りを果たした。晩年の2005年(平成17年)10月30日に近所のプールから帰宅後、葉室は腹痛を訴え高石市内の病院へ搬送されるも症状は悪化し、同日夜、腹部動脈瘤で死去した。享年88歳。なお、葉室の死によって戦前の日本のオリンピック金メダリストは全員物故したこととなった。葉室は在住していた高石市の名誉市民に選ばれており、葉室の没後の2011年に功績を讃えられて高石市ふれあい健康増進センター(通称:スポラたかいし)に記念コーナーが設けられた。
出典:wikipedia
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