山軽駅(やまがるえき)は、北海道(宗谷支庁)枝幸郡浜頓別町字山軽にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。電報略号はヤル。天北線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の西側(南稚内方面に向かって左手側)に存在した。分岐器を持たない棒線駅となっていた。かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。無人駅となっており、有人駅時代の駅舎は撤去され待合所が2棟、少し離れた位置に建築されていた。ホームは気動車1両分の長さの土盛りであった。当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「ヤム・ワッカ・ルー」(冷たい飲み水を汲みに行く道)に由来する。広大な牧草地、原野が広がっている。この地はクッチャロ湖の大沼と小沼を結ぶ運河状の川に面して開かれた開拓地で、駅前の川側に集落が形成された。旧国道は、海側から踏切を通って駅前を通り、また踏切を通って海側へ戻るようにわざわざ曲げられている。クッチャロ湖の周囲を開拓伐採した木材が湖面を渡り、この駅に集積したことから集落は発展した。その後は終戦直後の食糧難時代の農業開拓者受入事業などによって人口も増えたが、木材需要の低迷と農業に適さない気候風土によって、昭和40年代の高度経済成長期に入ると一気に過疎化し、この集落を通らずに真っ直ぐ敷き直された国道周辺に散在する酪農家以外は、全くの無人地帯となった。1971年(昭和46年)度には当駅の年度乗降客数(1971年4月1日から1972年3月31日までの乗降客の合計)0人を記録している。周辺の線路跡は、浜頓別駅跡から猿払駅跡までが「北オホーツクサイクリングロード」に転用されている。2001年(平成13年)時点ではサイクリングロード沿いにホーム、駅名標、待合所が残存し、待合所はサイクリングの休憩所に再利用されていた。2010年(平成22年)時点でも同様であったが、待合所は2001年時点にあった出入口扉や窓が無くなるなど荒廃していた。ガラスは割れて室内に散乱し建材の腐敗臭が漂う。また駅前広場に荒れた放置車両があり、景観を著しく乱している。
出典:wikipedia
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