第二次世界大戦の終結に伴い、東亜同文会が創立した東亜同文書院大学が中華民国に接収されることになった際、そのときに同大学の学長を務めていた本間喜一(後に初代最高裁判所事務総長)が同大学の学生・教職員を受け入れる大学として、愛知県豊橋市に1946年に設立した中部地区唯一の旧制法文系大学である。初代学長は東亜同文会理事で慶應義塾塾長などを歴任した歴史家、法学者(法学博士)、政治家の林毅陸。このような経緯で設立された愛知大学と東亜同文書院大学とは法的には直接の関係はないが、愛知大学では東亜同文書院大学を母体とする見解を発表している。この記事では愛知大学の公式見解に従って、創立年を東亜同文書院が設立された1901年としている。中国との国交断絶中も熱心な研究を続けており、中日大辞典を編纂する運びとなる。その後、中国研究科や現代中国学部が開設されている。「愛知大学」の名は大学の所在する県名を直接の由来とせず、「智(知)を愛する(フィロソフィア(φιλοσοφια)の和訳)」精神を尊ぼうとする創立者たちによって命名された。「世界文化と平和への貢献」、「国際的教養と視野をもった人材の育成」、「地域社会への貢献」を掲げている。1959年に短期大学部(女子)が設置され、現在ライフデザイン学科を設置。豊橋キャンパスに併設されている。ICCSは、21世紀COEプログラムのうち「学際・複合・新領域」の分野において「従来のユニークな中国学研究の流れと、本国での研究を重視する現地主義の観点を評価する。中国の研究者と協力し、現地社会をインテンシブに研究する分野を含めて多角的な研究を行うなど、新たな展開が期待できる。」という理由により平成14年度に採択された。愛大祭毎年10月末から11月初めにかけて4日間行われる。学生自治会が中心となり、各部活動やサークルの出し物や模擬店が行われる。前夜祭の仮装神輿では、愛知大学から豊橋駅まで学生が仮装をして神輿を担いで練り歩く。前夜祭にプロコンサートが開かれる。毎年11月上旬に行われる。ミスコンテストが開催される。法学部2部があった時代は行われていたが、現在は行われていない。2012年に開設された校舎。講義棟(地下1階・地上11階)、厚生棟(地下1階・地上10階)で構成されている。名古屋校舎の完成を記念して、キャンパスモールには平松礼二によるモニュメントが設置されている。2014年より旧愛知県立蟹江高等学校の跡地を利用した蟹江グラウンドが、屋外運動場の無かった名古屋校舎のために整備された。1946年に開設された愛知大学発祥の地ともいえる校舎。豊橋校舎の敷地は陸軍第十五師団跡地にあり、大学記念館(旧本館)や学長公館などは師団時代の建物をそのまま転用している。なお豊橋市内では、1976年の豊橋技術科学大学開設まで、大学といえば、愛知大学豊橋校舎のことを指していた。豊橋鉄道渥美線愛知大学前駅は、その名残で開業以来ずっと「大学前」の駅名だったが2005年に改名された。2006年4月18日、NHK朝の連続テレビ小説『純情きらり』の撮影ロケが行われ、馬術場と旧本館で撮影された。理由として劇中で主人公の婚約者が兵役で豊橋の師団へ入るという設定だったため、当時の建物を使いたいとNHKからの申し入れが実現しオープンロケとなった。かつての大学本館。1908年の築造で、第15師団司令部庁舎として使用されていた。1998年に国の登録有形文化財(建造物)に登録され、現在は愛知大学や前身の東亜同文書院大学に関する展示、創設者である本間喜一の展示などがなされている。愛知大学豊橋校舎には学生会館がある。管理運営は学生自治会である。現在の学生会館は、1998年(平成10年)1月完成である。学生会館には、管理室、談話室、ホール、会議室、自治会室、練習室、貸ロッカー等がある。愛知大学の学生寮は、豊橋校舎内に思草寮・翠嵐寮の2寮が1988年1月迄あったが、現在は無い。1996年11月16日、跡地に豊橋寮歌『逍遥歌』石碑が建立された。1950年に名古屋進出のために開設された校舎。2004年に高層校舎に建て替えられ、2012年より大学本部が移転した。首都圏における愛知大学の情報発信拠点として設置された。東亜同文書院大学を運営していた東亜同文会の後継機関である霞山会が設置する「霞山会館」と同じビル(霞が関コモンゲート西館)に所在している。学生や教職員だけでなく、卒業生、保護者、友人などの関係者が幅広く利用可能な厚生施設。長野県北佐久郡立科町に所在。1954年5月7日に犯罪捜査のために大学内に無断で立ち入った、当時の豊橋市警察の警察官を学生が捕縛したため、5月19日に学生7名が逮捕される事態になった。これに対し、5月21日に学長以下全学教授会、教職員組合、学生自治会が協力し、学長名で検察庁に対し協力拒否をおこない、また警察署へ抗議文を提出した。これは警察官の大学内無断立ち入りという、大学自治の原則を脅かす問題を無視し、学生の行為のみを起因とした検挙に不当性を訴えたものであった。1970年8月25日に名古屋高等裁判所は、犯罪捜査のために警察官が大学内に立ち入ることができる場合を、緊急およびその他やむをえない事由のある場合、裁判官の発する令状がある場合を別として、大学の許諾または了解のもとに行うことを原則とすべきであるとした。 大学、特に私大としては全国的にも珍しく、付属小・中・高等学校、幼稚園、専門学校等の系属教育機関が存在しない(2015年度現在)。"この項目は、のを使用しています。" "36538
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