全日空機事故(ぜんにっくうきじこ)では、日本の大手航空会社である全日本空輸(略称 全日空、ANA)の航空機墜落または全損事故およびオーバーラン事故などの重大な航空事故を一覧する。1958年8月12日、全日空ダグラスDC-3(JA5045)機が、東京国際空港(羽田空港)を離陸後、近隣を飛行中の全日空機にエンジン故障を報告した後静岡県下田沖に墜落した。乗客30名と乗員3名の全員が死亡した。コックピットボイスレコーダーとフライトデータレコーダーの搭載法制化前で、それらが搭載されていなかったこともあり、事故原因は完全に解明できなかった。1960年3月16日、全日空ダグラスDC-3(JA5018)が名古屋市の名古屋飛行場(小牧空港)へ着陸した直後の滑走中、滑走路上で航空自衛隊第8航空団所属のF-86戦闘機と衝突、両機ともに大破・全損した。全日空機の乗員1名、乗客2名が死亡した。1962年11月19日、全日空ビッカース828バイカウント(JA8202)が愛知県猿投上空でパイロットの訓練飛行中にスピン(錐揉み状態)に陥り墜落した。乗員4名の全員が死亡した。パイロットの操縦ミスが主な原因と見られている。1963年4月10日、団体客のために回送した全日空ダグラスDC-3(JA5039)が、八丈島空港へ着陸の際にタイヤブレーキをロックしていたため着陸に失敗し、大破した。負傷者はいなかった。この事故で損傷した主翼は修理のために東京に輸送されたが、別の事故で破損したDC-3に流用されたため、残された胴体は現地で廃棄処分になった。1963年4月24日、千歳発羽田行き全日空60便(ビッカース828バイカウント・JA8208)が、羽田空港に着陸の際、誤操作で車輪を引き上げてしまい胴体着陸となり大破した。乗員1名が負傷した。1963年5月10日、全日空802便(ダグラスDC-3・JA5040)が経由地の仙台空港で着陸がうまくいかず、着陸復航を決めてエンジンを全開にしたが、滑走路からそれてポールに激突した。乗客乗員7名が重軽傷を負った。1963年6月5日、大阪国際空港で深夜駐機中のダグラスDC-3(JA5078)が、突風に煽られて隣のダグラスDC-3(JA5027)の尾部に主翼を接触させて破損した。両機とも破損したがJA5078の主翼の修理が困難な状態であった為、八丈島で大破したJA5039の主翼と交換した。1963年8月17日、藤田航空(事故直後に全日空に合併)デ・ハビランド DH.114 ヘロン1B(JA6155)が、八丈島空港を離陸し羽田空港へ向かった後、同島北部の八丈富士の北西斜面に墜落し炎上した。乗員3名と乗客16名の計19名全員が死亡。原因は不明だがエンジンの不調が主な原因と見られている。1965年2月14日、伊丹空港発羽田空港行きの深夜貨物便(ダグラスDC-3貨物専用機・JA5080)が愛知県知多半島付近で失踪した。22ヶ月後の1966年12月29日に、赤石山脈中ノ尾根山の山頂付近で機体の残骸と乗員の遺体が発見された。乗員2名全員死亡した。原因は不明である。1966年2月4日、千歳空港発羽田空港行きの60便(ボーイング727-100・JA8302)が羽田空港に着陸進入中東京湾に墜落した。乗客乗員133名の全員が死亡した。コックピットボイスレコーダー、フライトデータレコーダーともに搭載していなかったため原因は不明だが、目的地への到着を急ぐあまり高度を下げすぎた説や誤ってスポイラーを立てたとされる説、グランドスポイラーの機構欠陥による誤作動説、第3エンジンの不調および脱落説などがあげられた。1966年9月18日、フォッカーF-27フレンドシップ機が旧鹿児島空港(鹿児島市鴨池)に着陸の際にオーバーラン(滑走路逸脱)し、50m先の海中に突っ込み水没し、機体が破損した。乗員1名が軽傷を負った。回送便だったため乗客および客室乗務員は搭乗していなかった。1966年11月13日、全日空533便日本航空機製造YS-11(JA8658)が大阪国際空港から松山空港に着陸する際、着陸復航を試みたものの、その直後に松山空港沖に墜落した。乗客45名と乗員5名の全員が死亡した。ウインドシアもしくはエンジンの不調が原因といわれているが、ボイスレコーダーとフライトレコーダーを搭載していなかったこともあり原因は不明である。1969年10月20日、全日空104便 YS-11(JA8708)が、宮崎空港に着陸の際に滑走路からオーバーランして滑走路先の土手に激突し大破全損した。乗員4名と乗客38名の計42名が負傷した。1969年12月14日、全日空547便 YS-11(JA8743)が淡路島上空で読売新聞社所有の小型機と接触した。双方とも破損したが緊急着陸に成功した。双方の乗員乗客にけが人はなかった。1971年7月30日、全日空58便ボーイング727-200(JA8329)が岩手県雫石町上空で、航空自衛隊松島基地(宮城県)所属のF-86F戦闘機と衝突し墜落した。乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡した。自衛隊機の乗員は脱出して無事であった。訓練生は無罪、教官は禁錮3年(執行猶予3年)の有罪判決を受け、民事訴訟では過失割合は自衛隊側が2、全日空側が1とされた。1971年8月29日、東京発仙台行きのYS-11A型機が仙台空港に着陸滑走中、前脚部に異常が発生し、滑走路末端付近にかく座し機体が中破した。乗員5名が負傷した。1977年9月8日、全日空855便YS-11(JA8755)が羽田空港を離陸し大島空港に着陸する際に、滑走路からオーバーランして車輪が破損、機体が中破した。乗客13名が負傷した。滑走路全長の中央付近に着地したため残りの滑走路長では停まり切れなかったことが原因である。1983年3月11日、日本近距離航空497便(YS-11、JA8693)が中標津空港への着陸に失敗、乗客・乗員53人のうち、機長と乗客3人の計4名が重傷、48名が軽傷を負った。1988年1月18日、全日空779便 ロッキード L-1011(JA8508)が千歳空港に夜間着陸の際に滑走路を見失い、滑走路接地後に再浮揚して滑走路幅の左側端に着地したが、滑走路から右側に飛び出して停止した。機体下面やエンジン下部を損傷するなど中破した。1988年5月30日、全日空訓練機 ボーイング737-200(JA8455)が沖縄県下地島空港で片方のエンジンを停めた状態での離陸訓練をしていたが、離陸に失敗して滑走路を逸脱し、空港エプロン上で停止した。事故機は機体各部を損傷し、損傷した左主翼から燃料漏れを起こしたものの負傷者は出なかった。1994年6月18日、鹿児島空港に着陸しようとした全日空351便(エアバスA320-200、JA8392)は、滑走路に機体尾部を接触させ、圧力隔壁下部を損傷するなどして機体は中破した。乗員6名乗客140名にけがはなかった。原因は、ピッチ角が不安定なまま進入を継続したため、接地直前に大きな機首上げ操作が必要となり、強く接地した後もピッチ角の増大が続き、この結果として尾部が滑走路に接触したものと推定された。2002年1月21日、小牧空港発函館空港行きの全日空391便(エアバスA321・JA104A)が、午後1時3分頃に函館空港に着陸進入中、ウィンドシアに遭遇し機体が沈下したために着陸復航を決意したが、機体の尾部が滑走路に接触し機体のフレームや後部圧力隔壁、フロアビームに亀裂が入るなど中破し客室乗務員3名が負傷した。2002年6月26日、全日空ボーイング767-200(JA8254)が沖縄県下地島空港でタッチ・アンド・ゴーの訓練中に、操縦ミスにより滑走路からオーバーランした。機体は滑走路東側の草地に停まったものの機体が中破、乗員(訓練生)1名が軽傷を負った。2003年1月27日、仁川国際空港発成田国際空港行きのエアージャパン908便(全日空908便、ボーイング767-300・JA605A)が、雨天かつ追い風の中で速度超過のまま着陸、滑走路全長の中央近くで着地したため、路面の濡れと追い風が加わり残りの滑走路長では停止できず、B滑走路端から約70 mオーバーランし草地に突っ込み、誘導路灯や滑走路末端補助灯を破壊し停止した。2007年3月13日、大阪国際空港から高知空港へ着陸しようとした全日空1603便(エアーセントラル運航・ボンバルディア DHC8-Q400・JA849A)の前輪が出なくなり、胴体着陸を行った。乗員4名乗客56名にけが人はなかった。ボンバルディア社が前輪格納庫の扉を開閉するアームのボルト1個を取り付け忘れたことが原因である。なおANA1603便は欠番となっている。2009年8月10日、東京国際空港に着陸しようとしていた全日空298便(エアーニッポン運航、ボーイング737-800、JA56AN)は、滑走路に尾部を接触させ機体を中破させた。乗員5名乗客147名にけがはなかった。原因は、滑走路上でバウンドした後、副操縦士の操作ミスにより、再度の接地が大きな加速度で行われたため、主脚のストラットの圧縮に加え機首が持ち上がったことによって機体後部が滑走路に接触したものと推定される。2011年9月6日、全日空140便(エアーニッポン運航・ボーイング737-700、JA16AN、那覇→羽田)が、静岡県浜松市南方を飛行中、急降下をし、乗客乗員117名のうち客室乗務員2名が軽傷を負った。離席していた機長を操縦室に迎え入れるためにドアスイッチを操作するべきところ、副操縦士が誤ってラダートリムコントロールノブを操作したため、機体が異常姿勢となり、約6,300ft(約1,900m)降下したうえ制限速度を超過したと推定されている。運輸安全委員会は、当事故を重大インシデントと認定し原因は現在調査中である。9月28日までの運輸安全委員会の調査により、この事故では機体が131.7度回転し、ほぼ背面飛行の状態で約1,900m急降下、事故前後での機首方向がほぼ逆方向になるほどの急激な挙動を取っていたことが判明した。これについて国土交通省は「この状況で姿勢を回復出来たのは偶然に過ぎない」としているが、元ジャンボ機機長で航空評論家の小林宏之は「冷静な対応で機体をたてなおした」と指摘している。昼間であれば航空過密地域であるため他機と衝突する危険性もあり、機体の速度は基準の1%、加速度は機体設計制限値を7%超えている重大なインシデントであった。このような急激な姿勢変動でも、加速度は機体の床面方向に加わっていたため、立っていた客室乗務員は転倒して軽傷を負ったものの、座っていた乗客は気が付かなかった可能性もあると指摘されている。エアーニッポンと全日空は、事故翌日に異常な傾きについて把握していたが、その日の会見で「傾きの詳細はわからない」と発表を行っていた。全日空は、運輸安全委員会の調査中の事案のため説明できなかったとしている。2012年2月5日、伊丹発の全日空731便(エアーニッポン運航・エアバスA320-200、JA8384)が、仙台空港で着陸復行を行った際、機体後部を滑走路に接触させた。運輸安全委員会は航空事故として調査を進めている。なお、事故機のJA8384は修復されたものの、製造から21年が経過していたためそのまま路線から外れ、ロゴを消した上で3月にエアアジア・ジャパンに貸し出され、訓練機として使用された後同年7月4日付で登録抹消されている。2012年6月20日13時23分頃、北京発の全日空956便(ボーイング767-300ER型、JA610A)が成田空港に着陸する際に大きな衝撃を受け、機体が1メートルほど変形した。運輸安全委員会は同日、航空事故調査官3人を派遣し、航空事故と認定し原因調査を開始した。調査の結果、長さ9メートル、幅50センチにわたり胴体の変形がみられた。この機体は修復、検査を経て同年12月19日に復帰、12月26日から主にアジア路線で運用が再開されている。2012年12月8日22時16分頃、全日空899便(羽田→庄内、ボーイング737-800、JA57AN)が、庄内空港に着陸しようとした際、滑走路(2000メートル)を約80メートルオーバーランして緑地帯で停止した。乗客161人・乗員6人にけがはなかった。庄内空港は大雪のため滑走路の除雪作業を行っており、影響で該当機は約1時間、上空で待機をしていた。除雪確認後の22時25分ごろ着陸、オーバーランした。同空港は事故直後から約16時間閉鎖された。運輸安全員会は重大インシデントと認定し、調査を進めている。2013年1月16日20時25分頃、全日空692便(山口宇部→羽田、ボーイング787-8、JA804A)が、香川県上空を飛行中にバッテリーの破損によって異臭がしたため、8時47分(JST)に高松空港に緊急着陸した。脱出シューターを利用したため、5人のけが人がでた。運輸安全委員会は重大インシデントとして調査を進めている。
出典:wikipedia
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