土岐 頼知(とき よりおき、嘉永元年(1848年) - 明治44年(1911年)10月4日)は、上野国沼田藩の第12代(最後)の藩主。沼田藩土岐家15代。第11代藩主土岐頼之の長男と言われている。正室は松平信義の娘。継室は白石氏。子は土岐頼敏(長男 1911年襲爵)、土岐章(次男 1918年襲爵)、娘(小山田信蔵室)、娘(大久保立室)。江戸幕府での官位は従五位下隼人正。嘉永元年(1848年)、江戸で生まれる(嘉永2年(1849年)9月26日生まれとも)。幼名は英之助。慶応3年(1867年)4月16日、先代藩主の土岐頼之が病気を理由に隠居したため、その跡を継いだ。翌年の戊辰戦争では4月に朝廷の命令で上京し、新政府に恭順の意を示した。留守中に新政府軍の沼田進駐を許し、三国峠の戦いで会津軍と戦っている。明治2年(1869年)、版籍奉還で藩知事となり、明治4年(1871年)の廃藩置県で免官される。1884年(明治17年)に子爵となった。明治44年(1911年)10月4日、64歳で死去した。墓所は萬松山東海寺の春雨庵。
出典:wikipedia
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