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未回収のイタリア

未回収のイタリア(みかいしゅうのイタリア、イタリア語:Italia irredenta)は、19世紀において、イタリア王国が領土と主張した地域のうち、イタリア統一戦争後もオーストリア領内に残った地域である。南ティロルや、ヴェネツィア・ジュリア、フィウーメ、ダルマツィア地方などの旧ヴェネツィア共和国領がそれである。リソルジメントの成果として1861年に成立したイタリア王国は、1866年の普墺戦争の際、プロイセン軍と同盟してオーストリアと戦い、ヴェネツィアを奪回したが、戦争は7週間で終結してしまったため、ヴェネツィアよりも奥に位置する領土の奪回を果たすことなく終わった。イタリア王国軍は、1870年にフランス軍の撤退に乗じてローマに入城()し、教皇領を併合、翌年にはローマに遷都して一応の統一完成を見たが、南ティロルやトリエステ、イストリアなど「未回収のイタリア」と呼ばれた地域は残存し、その後も世論はこれら地域の奪回を諦めなかった。こうした拡張主義の動きを民族統一主義(イリデンティズム、伊:イリデンティズモ)という。イタリアは、第一次世界大戦に際し、当初三国同盟にもとづいて同盟国側に立ったが、「未回収のイタリア」をめぐってオーストリアと対立し、1914年の開戦に際しては中立を宣言、これらの地域の返還が1915年のロンドン条約(ロンドン密約)によって秘密裏に約束されると、同年、イギリス・フランスらの連合国側について参戦した。大戦後、1920年のラパッロ条約等によって南ティロル地方やトレンティーノ地方、トリエステはイタリア領となった。だが、フィウーメについてはユーゴスラヴィア(現スロベニア、クロアチア)領となり、また、現在イタリア共和国ボルツァーノ自治県となっている南ティロルについては、すでにその当時ドイツ系住民が長年にわたり居住してティロル州の一部として定着していたために、逆にオーストリア世論が「固有の領土を不当に奪われた」と反撥してその奪回を求めるようになった。このため、イタリアはあらたにオーストリアやユーゴスラビアとの新たな国境紛争を抱える事になったのである。その後、第二次世界大戦におけるイタリアの敗北を経たあと、1946年には南ティロル地方のドイツ系住民に自治権が認められ、1975年のオージモ条約によってトリエステ自由地域をイタリア・ユーゴスラビア両国で分割することを相互に承認し、トリエステ問題も解決した。「未回収のイタリア」を広義にとらえ、「イタリア語の発音が聞こえる全ての地域」すなわちイタリア系の言語・文化・民族が支配的な地域をすべてイタリア領として主張する動きもあった。これによれば、イタリア統一の過程でフランスに割譲したサヴォイア(サヴォワ)とニッツァ(ニース)をはじめ、スイスのティチーノ州とグラウビュンデン州の一部、マルタ共和国、コルシカ島、さらに地中海を挟んでイタリア半島・シチリア島の対岸にあたるアフリカのチュニスなどの地域までも含んだ。そのためファシスト政権下のイタリアではこれらの「回復」が目指されたが、1943年のイタリア降伏によって、すべて放棄させられた。

出典:wikipedia

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