ファルブラヴ ("Falbrav") はイタリアの競走馬。2002年の共和国大統領賞、ミラノ大賞典、ジャパンカップ、2003年のイスパーン賞、エクリプスステークス、インターナショナルステークス、クイーンエリザベス2世ステークス、香港カップなどに優勝した。引退後は日本に輸出され、種牡馬となった。馬名の由来はイタリア語(ミラノ方言)で「いい子にしなさい」の意。2000年9月3日にサンシーロ競馬場にてミルコ・デムーロを背にデビューし、デビュー戦を白星で飾る。しかし、その後は2歳G2のグイード・ベラルデッリ賞まで3戦連続2着という成績で2歳を終える。年が明けて2001年、ダリオ・バルジュー騎手を背に3歳初戦で勝利するも準重賞ではまたしても2着。続く目標のデルビーイタリアーノ(伊ダービー)でもモルシュディの2着に敗れ、なかなかいいところで勝利することができなかった。だが、その後の一般レースで勝利すると、準重賞こそ3着と敗れるがその後の一般レースを3と1/2馬身差で勝利し3歳を終える。2002年になると初戦の一般レースを6馬身と圧勝。続いて臨んだ共和国大統領賞ではレコードで初めてG1を勝利すると、返す刀でミラノ大賞典も3馬身差で制した。こうしてイタリア上半期の中長距離G1レースをすべて制したファルヴラヴは、次の目標を凱旋門賞と定め、プレップレースにフォワ賞を選んだ。しかし、フォア賞では牝馬のアクアレリストの3着と敗れ、オリビエ・ペリエを新たに鞍上に臨んだ凱旋門賞では、直線で全く伸びずにマリエンバードの9着と大敗してしまう。これはロンシャン競馬場の深い芝が共和国大統領賞をレコードで制したファルブラヴには向かなかったためとされている。そこで陣営は、速いタイムの出やすい「軽い馬場」と言われる日本のジャパンカップに矛先を向けた。この年のジャパンカップは、東京競馬場が改修工事で使用できないため、代わりに中山競馬場の2200mで開催された。このレースの外国馬はファルブラヴ以外にも、フランスの牝馬限定G1オペラ賞勝ち馬のブライトスカイや、キングジョージの勝ち馬ゴーランも出走していたとあって、見劣りしたのか9番人気の低評価ではあった。しかし初めて同馬に騎乗したイタリア出身のランフランコ・デットーリの好騎乗もあり、サラファンとの激しい叩き合いを制し、シンボリクリスエスの猛追をも凌ぎ切って勝利する。このレースは、サラファンの陣営からファルブラヴに対しての抗議が出たため、改めて審議となった。なお、この勝利で社台グループはファルブラヴの約半分の権利を購入した。年が明けて2003年、ファルブラヴはイギリス・ニューマーケットのルカ・クマーニ厩舎へ移籍する。新たに鞍上にキーレン・ファロンを迎え、年明け初戦に選んだのは、フランスのGIレース、ガネー賞であったが、3着と敗れてしまう。しかし続くイスパーン賞では勝利し、フランスで初めてG1を勝利する。続いて陣営が選んだのはプリンスオブウェールズステークスで、イギリス移籍後初めて地元でのレースとなる。鞍上に再びデムーロ騎手を迎えレースに挑むもネイエフの5着と惨敗。しかし次走のエクリプスステークスでは新たにホランド騎手を背にそのネイエフを抑え、イギリスで初G1制覇となった。G1連勝を狙って、次走をキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスと定めてレースに臨むが、アラムシャーの5着と惨敗。移籍後はなかなかG1連勝はならないが、次走のインターナショナルステークスを勝利する。続いてアイリッシュチャンピオンステークスに出走するためアイルランドに遠征。ここでは前年に英愛ダービーを制したハイシャパラル、キングジョージで苦杯をなめたアラムシャー、ドバイワールドカップの勝ち馬ムーンバラッド、ヨークシャーオークスを連覇した名牝イズリントン、この年の愛オークス馬のヴィンテージティプルが名を連ねた。レースではハイシャパラルが抜けだし、それをファルブラヴが猛追するが、アタマ差とらえ切ることが出来ずに2着と惜敗。再びイギリスに戻って、次に陣営が選んだレースはマイル戦のクイーンエリザベス2世ステークスであった。デビュー戦以来のマイル戦となったが、それを感じさせず2馬身差の勝利。続いてアメリカに遠征しBCターフへ出走するも、ゴール前でハイシャパラルとジョハーに交わされ、またしてもハイシャパラルに敗れた。次走は香港カップで、このレースを持って引退し、日本で種牡馬入りすることが決まっていた。そのため、このレースでは吉田照哉の勝負服を使用した。再び鞍上にデットーリを迎え、レースではラクティ等を抑え、2馬身差の勝利。見事引退レースを飾った。この年G1を5勝したことが評価され、カルティエ賞最優秀古馬とBHB賞年度代表馬に選ばれた。社台グループはジャパンカップ優勝後に約半分の権利を購入していたが、引退時に残りの権利も購入し日本で種牡馬入りした。2004年シーズンより社台スタリオンステーションで種牡馬となり144頭に種付けを行った。秋にはシャトル種牡馬としてオーストラリアに渡り、2005年にファーストクロップとなる産駒が誕生し、93頭が血統登録された。この年はチェヴァリーパークスタッドで繋養されていた。2006年、再び社台スタリオンステーションで種牡馬入りした。2007年の種付け料は300万円に設定された。同年産駒がデビューし、6月21日に行われた旭川競馬場でのレースでモエレヒストリーが勝利し、地方、中央通じての産駒初勝利を挙げた。また、6月30日には、阪神競馬場でビーチアイドルが勝利し中央での産駒初勝利を挙げた。12月13日に2008年の種付け料が200万円アップの500万円に設定されたことが発表された。しかしその後は種付け料が下がり、2011年は50万円となっている。2014年シーズン限りで種牡馬を引退。今後は功労馬として余生を送る。
出典:wikipedia
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