LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

斎藤真由美

斎藤 真由美(さいとう まゆみ、1971年2月27日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。東京都練馬区出身。ニックネームはマッチョ。大宮中央高校卒。現姓は阿部。1982年、練馬区立春日小学校創立に伴いそれまで通学していた練馬区立練馬小学校から練馬区立春日小学校に編入。バレーボールは母親が趣味のサークルに参加していたこともあり以前から興味は持っていた。小学5年生の時、課内クラブでバレーボールを選択し、更に興味を深めていった。1983年に中学校に進学、バレーボール部に入部。すぐに頭角を現し、即戦力となった。次期を担う注目選手の一人として脚光を浴び始める。1986年、中村高校に進学、1年生でレギュラーとなる。同年8月のインターハイで3位となるが、「まだ若いから」という理由で国体の東京選抜のメンバーから外された事に憤りを覚え抗議、高校を中退する。同年11月イトーヨーカドーに入社。1987年2月、第20回日本リーグのダイエー戦でデビューを果たす。1988年2月に16歳でソウル五輪の第1次候補選手に選出される。その実力と容姿から「未来の全日本エース」、「バレーボールのゴクミ」と呼ばれ、注目を集める。ソウル五輪には出場できなかったが、1989年のワールドカップで全日本デビューを飾った。同大会ではキューバ、中国などの強豪チームを相手にエースアタッカーとして活躍し敢闘賞を獲得した。またこの年度の日本リーグではチームの優勝に貢献し、最高殊勲選手に選ばれた。その後怪我に苦しみ、全日本に選出されるたびに、体を壊すようになる。1993年8月、兄が運転する乗用車に同乗中、居眠り運転の対向車と衝突する交通事故に遭い、事故以前の怪我とリハビリ期間を含めて4年近くバレーをすることができない状態が続いた。1996年にイトーヨーカドーの主将としてチームに復帰した。その後、ダイエー(オレンジアタッカーズ)に移籍。1997-98年シーズンの第4回Vリーグではチームを優勝へと導き2回目の最高殊勲選手に選ばれた。1999年5月、ダイエーからの分離により混乱が続くオレンジアタッカーズから、山形県天童市を本拠地とするV1リーグ所属の東北パイオニアへ移籍。Vリーグ昇格という明確な目標を持ったチームが自分を必要とし、母が山形県出身という縁もあって下部リーグへの移籍を決断した。1999-2000年シーズンにV1リーグで優勝し、翌2000-01年シーズンからVリーグへ昇格。この間、2000年に実兄の中学校時代の後輩にあたる小学校教諭と結婚。パイオニアレッドウィングスと改名したチームの成績は向上したが、自らは膝の状態の悪化など苦しいシーズンが続いた。2003-04年シーズンに選手兼任コーチとしてチームのVリーグ初優勝を見届ける形で、2004年4月に現役を引退。2004年6月に天童オルゴール博物館で4年越しの結婚式を挙げた。引退後は東北パイオニアに勤務しながら同チームの事務局長を務め、2006年7月に退任。2007年4月からは、山形放送で放送される朝のラジオ情報番組「グッとモーニン!!」に毎週火曜日の「真由美のアタック!朝一番」に出演。また、テレビでのバレーボール中継の解説や、天童市教育委員会の教育委員(2013年10月〜)・山形県スポーツ推進審議会委員・さくらんぼテレビジョン番組審議会委員(2015年4月〜)を務めている。所属マネージメントはエール。現在、一児の母。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。