ブラックマヨネーズ () は、小杉竜一と吉田敬の2人による日本のお笑いコンビ。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。1998年4月結成。2005年M-1グランプリ王者。略称はブラマヨ。1994年、大阪NSC13期生の同期として出会う。在学中から、小杉は「関西キング」、吉田は「ツインテール」という別々のコンビを組んでいたが、小杉の元相方が結婚を期に引退。それをきっかけに吉田が小杉を誘う形で、1998年にコンビを結成した。小杉がコンビを解散してから、小杉の母親が「アンタ、吉田君と組み」ときっかけを作った。その発言の後、吉田のコンビを組むプロポーズに小杉がOKを出した。また、2009年に小杉が「やりすぎコージー」で明かしたところによると、当時、吉田とコンビを組んでいた和田義浩が、小杉は自分を気遣って吉田とコンビを組むことを躊躇しているのだろうと思い、自ら小杉に吉田とコンビを組むように説得しに来たという。番組で小杉がその話をするまで、吉田はそのことをまったく知らなかった。和田義浩は、放送作家をしており、ブラックマヨネーズを裏方として支えている。コンビ名は、日本のロックバンド「Mr.Children」のように正反対でアンバランスな意味の単語を組み合わせたもの。マヨネーズという身近なものの名前を入れることで「マヨネーズを見るたびに自分たちのことを思い出してくれたら」という願いも込められている。ただし、当初はこの名前を吉本興業に申請した際、「ブラック」はイメージがいまいち良くないとして一時保留扱いとなっていたが、同時期にブラックビスケッツのヒットがあったため、イメージが払拭されて話を通った事を明かしている。2005年12月25日の第5回M-1グランプリで、3378組の出場者がいた中で見事に優勝を果たした。しかし、当時既に関西での仕事を抱えていたため、他のM-1優勝コンビに比べて優勝後の全国ネットのメディア出演が少なかった。2007年頃からはキャラも浸透し始め、少しずつ全国区でのテレビ出演が増え、M-1覇者には珍しい「時間差ブレイク」を起こした。ただし、2人はこの見方に対してやや否定的であり、「関西での仕事ばかりしていただけ」「自分達では全力疾走してたけど周りからは歩いているようにしか見えてなかったのかも」と振り返っている。東京に家を借りるなど、本格的な東京進出は2008年になってからである。2001年から2004年まですべて準決勝敗退に終わっていたが、2005年のM-1グランプリで初めて決勝進出。2005年になってネタのスタイルと作り方を変えており、「ラジオのように2人で喋りながらネタを作りたい」という吉田の提案により、それまで吉田1人でやっていた台本作りを2人で1から行うようになった。決勝戦で披露した2本のネタは半年以上前の2月ごろに出来上がっていたが、ネタの鮮度を保つために封印していた。春先の漫才特番で我慢できず、腕試しも兼ねて一度だけ披露したものの、その後はそのネタを封印し続け、M-1の決勝戦で満を持してのお披露目だった。決勝ファーストラウンドでは直前の出番だったチュートリアルが「バーベキュー」のネタで松本人志から絶賛され、吉田は「死ぬほど羨ましかった」という。小杉は舞台袖で人のネタを聞くのが嫌いなため、控え室で見ていた。ブラックマヨネーズは5番手で登場し、「ボウリングの球の扱い方」というネタを披露。王道だがオーソドックスな漫才の強さ、ネタの完成度が高く評価されファーストラウンドを1位で通過、審査員の大竹まことから「あまりオーソドックスは好きじゃないけど、オーソドックスの凄さにびっくりした。別に新しいことをやらなくても十分面白いんだと再認識しました」、島田紳助からは「4分の使い方、抜群。4分の使い方に感動したね。噂は聞いてたけど、ほんまに凄かったわ。昔、僕の番組の前説来てくれてたからよう見てたんやけど、ほんまに成長してるし、4分の使い方上手い」と絶賛された。最終決戦は3番手を選び、「喧嘩の強い男を目指そう」というネタを披露。7人中4票(3票は笑い飯)を獲得して優勝を果たした。彼らの登場以後、4分間をいかに上手く使うかがM-1で勝つための重要ポイントになったとされる。優勝後に受けたインタビューで吉田の「結果求めんとやったのがよかった」というコメントが、誤って「結果求めてやったのがよかった」と新聞に載ってしまった。2006年度以降のM-1グランプリには、「今の環境では自分たちの納得できる漫才を披露することはできない」という理由から、出場を辞退している。ダウンタウンの松本人志は、ラジオ番組『放送室』で、彼らが出演していたフジテレビのネタ番組を観て、「あいつら楽しんどるもんなー。技術、才能はもちろん必要やけど、本人らが楽しんどるかどうかが大きい。ブラマヨばっかり誉めて申し訳ないけど、やっぱ面白い」「あの漫才スタイルはやろうと思ってできるものやない。きっと自然にああいう形になったんやと思う。乗ってたわ」と賞賛した。また、ダウンタウンに影響を受けたコンビが多い中で、ダウンタウンに影響を受けずにやってきた点も称賛している(ただし、小杉のツッコミはダウンタウンの浜田雅功から影響を受けている)。それに対し高須光聖も「何度見ても笑える漫才」と絶賛し、また、M-1優勝後の放送回ではM-1時のメンバーの風貌(彼曰く、「汚い、華がない」)が若手時代のダウンタウンによく似ていると語っている。これに対して松本は「あそこまでひどくないやろ」と苦笑している。ビートたけしは、気に入っているお笑い芸人としてブラマヨの名前を挙げ、特に雛壇芸人としての彼らの才能を称賛し、「失礼な言い方だけど、メインがいて、横にいてサポートするのは巧えなあと思う」と述べている。また自身が審査委員長を務める『ビートたけしのエンターテインメント賞』で、日本芸能大賞を受賞したブラックマヨネーズについて「バラエティでの“保険”だね。この2人がいると安心して見ていられる」と絶賛した。関西のテレビ界での才能発掘の天才と呼ばれる、ABC朝日放送の演出家矢澤克之は、ブラマヨが全国区になる以前から評価し、自身の初プロデュースする「ビーバップ!ハイヒール」に彼らをレギュラーに起用、その年にM-1チャンピオンになった。後に矢澤は、テレビ雑誌のインタビューで「この業界に入って早々に、ダウンタウンの面白さを目の当たりに受けた時の衝撃と同じモノを彼らから感じました」と絶賛。その翌年には、同じくレギュラーに抜擢していたチュートリアルも優勝している。ただ、チュートリアルの徳井義実は、同期のブラックマヨネーズが先にM-1チャンピオンになったことに関して、「M-1を先に獲られたことよりも、ブラマヨの面白さが全国にバレてしまった。一旦噴火したらどこまでも行くだろうな、と思った」と語っている。陣内智則もブラマヨの才能に早くから気付いており、自らがMCをつとめるイベントのレギュラーにブラマヨを抜擢し、売れるキッカケを作った。このことはブラマヨの2人も感謝しており、「陣内さんがいなければ今のブラックマヨネーズはなかった」と語っている。また陣内は、2005年のM-1決勝前に、ブラマヨからどのネタでいくのかを聞いており、「あのネタなら間違いなく優勝する」と確信。M-1決勝が行われた時間帯に陣内は移動中であり、結果を知らなかったが吉田に「優勝おめでとう」というメールを送った。ただし、自分が可愛がっていた後輩がブレイクしてしまったことに寂しさも感じているようで、「俺のブラマヨが遠くに行ってしまったと感じるのが嫌」という理由で、ブラマヨが出演しているテレビは観ないという。吉本興業の専門誌『マンスリーよしもと』の編集長を7年半務めた尾北有子が編集長を卒業する2007年12月号で、最後にやりたい企画として巻頭特集「ブラックマヨネーズA to Z なぜ あなたは彼らを愛さないのか?」を企画した。この企画でテリー伊藤は、「飼いならされた笑いに慣れてしまった人たちよ、ブラックマヨネーズを観ないでどおすんだよ!?」とコメントしている。ネタのスタイルや作り方を変えて一気に躍進した事もあって、フットボールアワーの2人は、M-1で急にブラマヨの漫才が面白くなっている事を目の当たりにして笑えない程ビックリしたと話している。個人での活動は吉田敬、小杉竜一を参照。
出典:wikipedia
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