神祇伯(じんぎはく)は、日本の律令官制における神祇官の長官。唐名は「大常伯」「大常卿」「大卜令」「祠部尚書」など。和訓は「かみ(かん)づかさのかみ」。定員は1名。官位相当は従四位下・勲四等。令制四等官の内、長官を伯と称するのは神祇官だけであるので、単に伯(はく)と見える場合はこの神祇伯を指す。神祇の祭祀を始め、祝部・神戸の名籍、大嘗・鎮魂(などの令制祭祀)と御巫・卜兆のことを掌った他、神祇官中の事務決裁を職務とした(職員令)。従四位下という相当位階は、二官の一方である太政官の長官たる太政大臣(正一位・従一位相当)と左大臣(正二位・従二位相当)より遥かに低く、さらにその下に置かれた八省の卿(正四位下相当)よりも低い。ただし、中世に白川家による世襲が固定化すると、「二・三位に至りて之を帯す」(『職原抄』)こともあった。神祇伯の起源に関しては未だ定説を見ないが、ほぼ確実な初例が持統天皇4年(690年)の中臣大嶋であることから、その前年に施行された飛鳥浄御原令には既に神祇官の規定が存在した可能性が高い。初期には祭祀氏族である中臣氏から多く任じられた後、藤原氏を始めとする諸氏も混在するに至り、太政官との兼官も多くみられた。貞観18年(876年)の棟貞王以降は皇親である諸王の任例が増加して、寛徳3年(1046年)に花山天皇の皇孫延信王が、また長寛3年(1165年)にその曾孫顕広王が任じられて以来、王の子孫である白川家がこれを単独で世襲し、やがて白川伯王家(伯家)と呼ばれるようになる。当初は嫡流のみが王号を称したが、業資王急逝の後にその弟源資宗が伯になる必要から王氏に復し、任伯と同時に王号を称する慣例が始まり、明治維新まで続いた。神祇伯を務めた人物の一覧。は神祇伯代を示す。
出典:wikipedia
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