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生命の木

「生命の木」(せいめいのき)は、諸星大二郎の漫画作品。処女連載シリーズである「妖怪ハンター」の一作。2005年、『奇談』として映画化された。生命の木は現在でも新作が発表されるなど人気のある「稗田礼二郎シリーズ」のうち、最初の連載作品である「妖怪ハンター」の一作ではあるが、連載雑誌だった『週刊少年ジャンプ』の本誌ではなく、1976年の増刊8月号に掲載され、後に単行本化された際に他の作品と共に収録された。このため初出時にはあまり知られておらず、単行本で初めて読んだファンも少なく無かった。そうでありながらシリーズ中で最も有名なエピソードとなっているのは、登場人物の一人で物語の最後に登場する善次の台詞が持つ圧倒的な迫力のためであろう。東北のある地方の隠れキリシタンの里が物語の舞台。「はなれ」と呼ばれる集落には、独自の創世記が伝わっている。それによると、太古、人間は楽園で暮らしていたが、禁断の果実を食べた咎で「でうす」の怒りを買い、楽園を追われたという。このうち「あだん」と「えわ」の夫婦は知恵の木の実を食べたが、もう一人の人物「じゅすへる」は生命の木の実を食べたという。このため「じゅすへる」とその子孫は神と同様に不死身となり、この事を憂えた神は「いんへるの」を開き、「じゅすへる」の子孫は生まれてから一定後に「いんへるの」に落され、「きりんと」が来る日まで尽きぬ苦しみを味わうのだという。若き考古学者である主人公は、そんな「はなれ」の里を地元のカトリック教会の神父と共に訪れようとしていた。神父の話では、この里も江戸時代に切支丹弾圧の嵐を受けたが、不思議なことに一人の殉教者も出ていないとのことだった。さて一同が村に着くと、何故か人の気配がない。一人だけ残っていた老人・重太に尋ねると、「いんへるの、いっただ……」と答えるばかりで要領を得ない。不思議がる主人公や神父の前に、妖怪ハンターこと稗田礼二郎が現れる。見つけ出された「けるびん」の骨を恐れる重太を前にして、稗田は村に残る創世記と、3日前にこの村で発生した殺人事件を結びつけ、村の伝承が現実になろうとしていると語る。実は、殺された善次という男は十字架上で磔にされていたのだ。スキャンダルを恐れた神父は密かに善次の死体を十字架から降ろし、十字架を処分していた。重太に導かれるように村の奥の洞窟にたどりついた一行の前に、「三じゅわん様」と呼ばれる奇妙な3人の男が現れる。彼らが「い、いんへるの」と震える指で指差す下では、数限りない、じゅすへるの子孫らが蠢いていた。一行は「いんへるの」を目の当たりにして確信した。一般に知られるキリスト教の聖書で語られる救世主キリストは、「あだん」と「えわ」の子孫だけ救うものだ。だからこそ、地の底の「いんへるの」に落された「じゅすへる」の子孫達を救う救世主が必要であると。と、重太が「ぜずさま!」と絶叫に近い声を上げる。そこに現れたのは、十字架にかけられ殺されたはずの善次だった。3日後に復活した救世主である善次は「いんへるの」でうごめく人々に、「みんな ぱらいそさ いくだ! おらといっしょに ぱらいそさ いくだ!!」と呼びかけるのだった。前述のように「じゅすへる」は知恵の木の実を食べていないため、その子孫は知的障害を持っているように見える。これらの状況を表現するために使用されていた用語のいくつかは現在ではマスメディアの自主規制対象となっているため、現在入手できる版では台詞の置き換えがなされており、初出時とは微妙に印象が異なるものとなっている。「三じゅわんさまは聖ヨハネのことで、三人の意じゃない」という台詞に対する、「聖書には洗礼者ヨハネ、使徒ヨハネ、黙示録書記ヨハネの三人がいる」という注釈は、環望のマンガ、『フリークス・ドミ』(双葉社刊)においても用いられている。作中での一部特殊な用語は、執筆の参考とされた隠れキリシタン書『天地始之事』によるものである。

出典:wikipedia

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