標準軌(ひょうじゅんき、Standard gauge)は、鉄道線路の軌間、すなわちレール頭頂部の内側の間隔が1435mm(4フィート8.5インチ)であるものを指す。ただし軌間の多少の差異は実用上あまり問題にならないため、レールウェイ・ガゼット・インターナショナルの統計では軌間1432mmから1445mmを標準軌としている。ヨーロッパ、北アメリカ、東アジアを中心に、世界で最も普及している軌間であり、20世紀末の時点では全世界の鉄道の約6割が標準軌である。標準軌より広い軌間を広軌、狭いものを狭軌と呼ぶ。標準軌の起源は、北東イングランドの炭鉱で用いられていた馬車軌道の軌間である。1814年にジョージ・スティーヴンソンがこの炭鉱鉄道のために蒸気機関車を製造した。スティーブンソンはその後他の炭鉱向けにも機関車を製造し、1823年にはロバート・スチーブンソン・アンド・カンパニーを設立したが、ここで製造された機関車も同じ軌間で設計されていた。スティーブンソンは、各地の鉄道で同じ軌間を使ったほうが機関車や諸設備の量産に都合がよく、また将来これらの鉄道が相互に接続された時にも便利であると考えていた。1825年にストックトン・アンド・ダーリントン鉄道で公共用の鉄道として初めて蒸気機関車が使われ、1830年には世界初の蒸気機関車による旅客用鉄道であるリバプール・アンド・マンチェスター鉄道が開業した。これらの鉄道でもスティーブンソンの機関車が用いられた。キリングワース炭鉱の軌道の間隔は、当時の北東イングランドで一般的だった馬車の車輪の間隔と一致している。馬車の車輪間隔は、他の車両のつけた轍に沿って走れるように地域ごとに統一される傾向がある。馬車軌道の車両は通常の馬車をそのまま流用したため、軌間もこれによって決まった。なおキリングワースの車輪間隔の起源をさらに古代ローマの馬車にまで遡ることができるとする説もある。標準軌が4フィート8.5インチという半端な値である理由は、以下の説が有力である。もともとは4フィート8インチだったものが、蒸気機関車の使用により速度が増したことで、曲線をスムーズに曲がれるよう踏面勾配をつけた車輪が発明された。このためには車輪がある程度左右に動けるようにしなければならないため、軌間を半インチ広げたというものである。この拡大が行われた時期については諸説あり、キリングワース炭鉱の時点ですでに4フィート8.5インチだったとするものから、ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道で半インチ加えられたとするもの、リバプール・アンド・マンチェスター鉄道のレインヒル・トライアル前の線路改良で拡大が行われたとするものまである。もっとも、軌間の半インチ(メートル法に直せば12.7mm)程度の差は実用上はあまり問題にならず、特に当時の炭鉱鉄道の工事や保線の精度からは誤差の範囲内であったともいえる。その他の説明として、小池滋は以下のような説を紹介している。この時代の炭鉱鉄道ではフランジのない一般道路用の馬車を走らせても脱線しないよう、外側に防護壁をつけたL字形レールを使っていたが、このレール外側の間隔をちょうど5フィートとしていた。フランジ付きの車輪を用いる鉄道車両では、レールの内側の間隔が重要となるが、それは外側の間隔から2本のレールの幅を除いたものであり、これが4フィート8.5インチという値になったという。リバプール・アンド・マンチェスター鉄道の成功の後、鉄道はイングランド各地で急速に普及した。こうした鉄道プロジェクトの多くにはジョージ・スティーブンソンや息子のロバート・スティーブンソンが関わっており、4フィート8.5インチの軌間が採用された。一方で、グレート・ウェスタン鉄道では、広軌のほうが優れているというイザムバード・キングダム・ブルネル技師長の主張により7フィート4分の1インチ(2140mm)という軌間を採用した。4フィート8.5インチ軌間の鉄道網と7フィート4分の1インチ軌間の鉄道網は1844年にグロスターで初めて接し、これにより異軌間で直通運転ができないことの不利益が顕在化した。4フィート8.5インチと7フィート4分の1インチのどちらの軌間がふさわしいかは、技術者のみならず社交界や議会を巻き込んだ大きな論戦となった。なおイースト・アングリア地方のも、技師長ジョン・ブレイスウェイトの見解により5フィート(1524mm)軌間を採用していたが、他社との直通のため1844年には全線を4フィート8.5インチに改軌した。1845年に王立委員会は、国防上の観点からも軌間の統一を法制化すべきと勧告した。また広軌のほうが蒸気機関車の性能がよいことは認めつつも、その差はわずかであり、4フィート8.5インチ軌間が7フィート4分の1インチ軌間より多数派であることを理由として、より好ましいとした。引き続き1846年に軌間法で、グレートブリテン島の新規路線は4フィート8.5インチの軌間で建設されるべしと定めた。ただしコーンウォール、デヴォン、ドーセット、サマセットの各州のみは例外とされた。グレート・ウェスタン鉄道の広軌路線は少しづつ標準軌に改軌され、ロンドンからエクセターまでの幹線は三線軌条化された。最終的には1892年に全線改軌が完了し、グレートブリテン島の軌間は標準軌で統一された。19世紀にはイギリス領の一部だったアイルランドでは、鉄道建設の初期の段階から4フィート8.5インチの他にも様々な広軌が用いられていたが、1846年の軌間法で5フィート3インチ(1600mm)が標準とされた。イギリスに少し遅れて鉄道を開業させた大陸ヨーロッパ諸国では、初期の鉄道に関してスティーブンソン親子らイギリス人技術者の指導を仰いだ例が多い。また蒸気機関車も、スティーブンソン社をはじめとするイギリス製のものを輸入するか、ライセンスを受けて製造した。こうした鉄道は1435mm軌間となった。ただし、一部の国や地域では、独自の観点から広軌を導入したところもある。オランダのとやバーデン大公国の邦有鉄道、スイスのチューリッヒ-バーデン間の鉄道は、最初広軌で建設された。しかし周辺の鉄道がみな1435mm軌間を採用したことから、直通運転の必要のため同じ軌間に改軌した。なおフランスにおいては、公式にはレールの中心の間隔を1500mmとする規格が採用されていた。このためレール内側の間隔(軌間)はレールの幅によって変わってしまうことになった。鉄道会社に出された建設許可では、レール内側の間隔は1440mmから1450mmとなっている。フランスの軌間は厳密にはドイツやベルギーなどとは少し異なったが、この程度の差であれば実用上は直通運転に支障はなかった。その後20世紀初頭になって正式に1435mm軌間に改められた。1886年にベルンで開催された鉄道規格統一会議において、ドイツ、フランス、イタリア、オーストリア=ハンガリー、スイスの各国は、今後建設される鉄道路線の軌間は1435mm以上1440mm以下(直線区間)とすることで合意した。一方で、スペインではブルネルの、ロシア帝国ではアメリカ人技術者の提言を元に、それぞれ広軌を採用した。両国があえて広軌を選んだ背景には、ナポレオン戦争の教訓を元に、他国に侵略された際に鉄道を利用されないようにするため故意に直通不可能な軌間にしたとする説もある。ポルトガルも隣国スペインと同様に広軌を採用した。ただし、ロシア帝国主権下のポーランド立憲王国でポーランド人により建設されたは1435mm軌間であった。その後もロシア・旧ソビエト連邦とイベリア半島の鉄道は標準軌に改軌されることはなく現代に至っている。ただしスペインの高速鉄道は、将来のフランスなど他国の高速鉄道との接続を考慮して、標準軌で建設された。アメリカ合衆国の初期の鉄道では、イギリス製機関車を用いた北東部を中心に、4フィート8.5インチ軌間が普及した。ただしイギリスの影響力はヨーロッパほど強くなく、ペンシルベニア州やオハイオ州では4フィート10インチ(1473mm)、南部諸州では5フィート(1524mm)の軌間が主流となった。ニューヨーク州と内陸を結ぶエリー鉄道などは6フィート(1829mm)という広い軌間を採用した。1860年の時点で、4フィート8.5インチ軌間の鉄道は全体の54%にすぎなかった。これが統一されるきっかけとなったのが、南北戦争と大陸横断鉄道の建設である。南北戦争では、軌間の異なる鉄道の間で乗り換えや貨物の積み替えが必要となることが、軍需輸送上の大きな問題点となった。大陸横断鉄道については、1862年にが制定された際には、エイブラハム・リンカーン大統領はその軌間について5フィートを想定していたようである。しかし1863年の法律では、大陸横断鉄道の軌間は4フィート8.5インチとすることが定められた。その他の鉄道も順次4フィート8.5インチの標準軌に改軌され、1886年にはアメリカ合衆国の主要鉄道は標準軌に統一された。カナダでは当初、イギリス植民地に多く見られる5フィート6インチ(1676mm)軌間が使われていた。しかしアメリカ合衆国との直通の必要から、1870年代に標準軌に改軌された。中国(清)で最初の本格的な鉄道は1881年に開業したである。これは炭鉱の石炭輸送用の短距離路線にすぎなかったが、イギリス人技術者の主張により1435mm軌間で建設された。これは将来北京と奉天(現瀋陽)を結ぶ京奉線の一部となることを見越したものであった。以後中国の鉄道網は、中国人によるものも外国資本によるものも含め、ほぼ標準軌で建設されてゆくことになる。ただし、ロシアの東清鉄道のみは、シベリア鉄道と同じ広軌であった。日露戦争で東清鉄道の南半分が日本の南満州鉄道となると、この部分は標準軌に改軌され、長春駅が境界駅となった。満州事変ののち、東清鉄道の後身である中東鉄道が満州国によって国有化され満州国有鉄道となると、1937年までに全線が標準軌に改軌された。中華人民共和国の成立後、中国の鉄道網は拡大を続けており、20世紀末の時点で標準軌鉄道の路線長はアメリカ合衆国に次ぎ世界第2位となっている。朝鮮半島での鉄道建設は、日韓併合以前から日本の主導で行われていたが、その軌間は日本本国とは異なり標準軌であった。1896年に朝鮮政府の定めた国内鉄道規則では、軌間は4フィート8インチ半とすることにされていた。その後1911年に鴨緑江橋梁が開通し、中国側の安奉線も狭軌から標準軌に改軌されたことで、中国の標準軌鉄道網との直通が可能になった。日本では、1872年(明治4 - 5年)の鉄道開業時に3フィート6インチ(1,067 mm)の狭軌を選択した。これを国際標準軌(当時の日本では「広軌」と呼んだ)へ改軌する提案が何度か行われた。最初は1887年(明治20年)の陸軍の建議があり、1909年(明治42年)以降は後藤新平、仙石貢らが改軌を主張した。軌間を巡る政策は内閣の交替のたびに二転三転したが、原敬内閣成立後の1919年(大正8年)に国鉄の改軌計画は放棄された。一方で、1899年(明治32年)の大師電気鉄道を皮切りとして、1900年代以降に建設された私鉄や公営の路面電車といった電気鉄道路線では国際標準軌を採用した例が多くある。1938年(昭和13年)に始まった弾丸列車計画では、広軌(1,435 mm)の新線を建設する予定であったが、一部のトンネルなどが着工されたのみで中止された。1950年代には、東海道本線の輸送力逼迫に対する対策として複々線化、狭軌別線、広軌(1,435 mm)別線の3案が比較された結果、広軌別線案が採用され、1964年(昭和39年)に東海道新幹線として開業した。その後の各新幹線も1,435 mm軌間で建設され、1,067 mm軌間の在来線との直通は不可能であった。このためJR東日本は1992年(平成4年)に奥羽本線、1997年(平成9年)に田沢湖線の一部を改軌し、車両限界を在来線に合わせた「ミニ新幹線」としてフル規格の東北新幹線と直通運転を行なっている。台湾で最初の鉄道は1891年の基隆 - 台北間の鉄道であり、軌間は3フィート6インチ(1067mm)だった。その後の日本統治時代、中華民国時代とも、鉄道は1067mmまたはそれ未満の狭軌が用いられ続けた。しかし2007年開業の台湾高速鉄道は標準軌が採用され、日本やスペインと同様、高速鉄道と在来線で軌間が異なることになった。イギリスの植民地だったオーストラリアでは、1901年の連邦成立まで後の各州がそれぞれ自治政府を有しており、鉄道政策もばらばらに行われていた。ニューサウスウェールズ植民地ではアイルランド出身の技術者により5フィート3インチ(1600mm)軌間が採用され、ビクトリア、南オーストラリア植民地もこれにならった。しかしニューサウスウェールズでは技術者がスコットランド出身者に交代した後に4フィート8.5インチ軌間に変更したため、隣の植民地と軌間が異なってしまった。遅れて鉄道を開業させたクイーンズランドや西オーストラリア、それに南オーストラリアの一部などでは、建設費の安い3フィート6インチ(1067mm)軌間を使ったため、オーストラリア大陸には3種類の軌間が混在することになった。1901年の連邦成立後、連邦政府は軌間を標準軌へ統一しようとしたが、その動きは遅かった。1917年にポートオーガスタとカルグーリーの間で開通した大陸横断鉄道は、両端で接続する鉄道が狭軌だったにも関わらず、標準軌で建設された。1950年代以降に主要路線の改軌(三線軌条化なども含む)が本格化した。シドニー - パース間が標準軌で直通可能になったのは1969年であり、1995年には5大都市(州都)がすべて標準軌鉄道で結ばれた。東アジアと西アジア・ヨーロッパの標準軌鉄道は直接には結ばれておらず、旧ソ連の1520mm軌間の鉄道を介する必要がある。しかしカザフスタンとトルクメニスタンで新たに標準軌鉄道を建設することにより、中国とイランの標準軌鉄道を接続する計画がある。またこれとは別に、キルギス、タジキスタン、アフガニスタン経由でも、中国とイランを標準軌で結ぶことも計画されている。標準軌を主な軌間として採用している国・地域は以下の通り。なお同国内でも一部の地方や軽便鉄道、都市部の地下鉄、路面電車などではこれと異なる軌間も用いられていることがある。路面電車や地下鉄などの都市鉄道でのみ標準軌が採用されている例。標準軌鉄道の存在する国・地域とその路線長、同国内での割合は以下の通り。ただし路線長や割合に関しては、どの路線を計上するかや距離の算出基準により異なるため、ここでは岡雅行・山田俊明による20世紀末時点でのもの(Railway Gazette Railway Directory 2001を元に補正、1432mmから1445mmを標準軌とする)とザ・ワールド・ファクトブックウェブ版によるものを掲載した。日本で標準軌を採用しているのは、新幹線、JR田沢湖線等在来線のミニ新幹線区間、近畿圏を中心とする大手私鉄、および東京(近郊を含む)の一部の大手私鉄、地下鉄等である。日本に現存する標準軌幅の営業用路線はすべて電化路線であり、日本が領有していた外地を除くと、過去を含めても営業用の路線として非電化だったのは琴平電鉄塩江線が唯一の例である。なお、昭和中期ごろまではこの1,435mm軌間を「広軌」と呼ぶのが一般的であり、公文書上でも1,435mm軌間を広軌と表現していたこともあった。理由は、在来線に多く使用されている1,067mm軌間が標準的でありそれより広いためである。しかし近年では国際的な広軌幅の呼称との混同を防ぐため、日本において1,435mm軌間を意味するためには本項目の「標準軌」の用語が基本的に使用される。この他、上掲社局の廃止路線にも該当例がある。ローカルな用法として、1435mm以外の軌間が大部分を占める国や地域では、それらのうち最も主流な軌間を「標準軌」と呼ぶことがあった。たとえば日本では、かつて旧国鉄の在来線の軌間である1067mmが「標準軌」と呼ばれ、新幹線などの1435mm軌間を「広軌」と呼んだことがあった。「標準軌」が1067mm軌間を指すか1435mm軌間を指すか分かりにくいため、1435mm軌間のことを「国際標準軌」(international standard gauge)と呼んで区別することもあった。各地の新幹線網が発達し、ある程度は国際標準軌が社会においても定着したため、この用法は現在の日本では廃れつつあり、単に「標準軌」といえばほぼ間違いなく1435mm軌間のことを指す。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。