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さいたま市大宮公園サッカー場

さいたま市大宮公園サッカー場(さいたまし おおみやこうえん サッカーじょう)は、埼玉県さいたま市大宮区の大宮公園内にあるサッカー専用の球技場。同市所有。同市外郭団体財団法人さいたま市公園緑地協会が運営管理を行っている。なお、さいたま市大宮区に本社を置く民放FM局の株式会社エフエムナックファイブが命名権を取得しており、2007年5月14日から「NACK5スタジアム大宮」(ナックファイブスタジアムおおみや、略称「NACK」、「ナック」)の呼称を用いている(後述)。1960年4月9日、当時の大宮市に埼玉県営大宮公園サッカー場(さいたまけんえいおおみやこうえんサッカーじょう)として開場。日本初のサッカー専用球技場で、現存するものとしては国内最古といわれる。開場当初は、葦原の湿地に大量の土砂を入れた簡素なものだったため、ボールが場外へ飛び出してしまうと湿地へ取りに行ったという。転機が訪れたのは、1962年の11月に1964年東京オリンピックサッカー競技の会場の一つとして使用されることが決定したことだった。これに伴い、総工費1億9500万円(当時)を投じてスタンドを設置した。また1967年の埼玉国体のサッカー競技の会場にもなった。当初の改修目的はこの2つの大会に供することであった。1965年、1971年に日本で開催されたアジアユースの会場の一つとして使用されている。1971年には、鉄塔式の夜間照明施設が設置された。1970年に始まった全国中学校サッカー大会のメイン会場として、1981年の第12回大会まで使用された。1979年のワールドユース日本大会の会場の一つとして使用されることに伴って、アウェイ側のゴール裏のスコアボードを電光式(電球形式で、チーム名と得点掲示のみ)に改修した。また、ディエゴ・マラドーナが国際大会デビューをした場所としても知られている。1992年から1995年まではJリーグ・浦和レッドダイヤモンズの準ホームスタジアムとして使用された(特に1992年のナビスコカップと1994年2ndステージ、1995年1stステージはホームスタジアムの浦和市駒場競技場(現さいたま市駒場スタジアム)が改修中だったため、浦和のホームゲームの大半がここで開催された。この時は、座席増築などの改修は行わず、1995年に芝生と夜間照明の照度をJリーグ基準に合わせる改修を行った)。1996年以降は同じくJリーグ(1996年から1998年までは旧JFL)の大宮アルディージャ(旧NTT関東サッカー部)のメインスタジアムとなっている。また、全国高校サッカー選手権大会や天皇杯全日本サッカー選手権大会の開催会場ともなっている。2002年の2002 FIFAワールドカップでは、駒場スタジアムと共に埼玉スタジアム2002で試合を行う際の練習用グラウンドとして使用され、ブラジル代表が準決勝の前にここで練習をして、ロッカールームの壁にロナウジーニョをはじめとしたブラジル代表メンバーのサインが書き残されている。1990年代に入ると、施設の老朽化が顕著となり、埼玉県営大宮公園野球場の新築移転予定地だった大宮第二公園南側の用地に大宮公園サッカー場の新築移転案が持ち上がったが、程なく埼玉スタジアムの建設へと舵を切った。なお、この用地はその後、大宮第三公園として整備された。2000年秋、県は埼玉スタジアムの竣工によって同サッカー場の代替施設が確保できたとして、2004年の彩の国まごころ国体開催後に大宮公園サッカー場を撤去・解体する方針を一旦決定、大宮アルディージャは浦和と共に埼玉スタジアムを使用する方針であった。しかし、大宮地区からサッカーの競技施設がなくなる上、アルディージャが本来のホームスタジアムを失う恐れが生じたことから(大宮のクラブが浦和の施設を間借りすることに対し、サポーターの間では相当な抵抗感があったといわれる)、サポーターらが大宮公園サッカー場の大宮市への移管を求めて署名活動を行うなどした。幸い、大宮市は改修の上で引き続き市民施設として供用する意思があったため、2001年4月1日から施設の管理権を県から大宮市に移管。同年5月1日に大宮市が浦和市、与野市と新設合併して「さいたま市」となったのに伴い、さいたま市へ自動的に引き継がれた。2003年4月1日にさいたま市が政令指定都市への移行を記念して、同サッカー場の所有権も埼玉県からさいたま市に完全移管された事に伴い、現名称に改称した。 2006年春から2007年10月まで、全面的な改修工事が施されるため使用できなかった。(後述)2011年と2014年にJリーグベストピッチ賞を受賞。2012年12月24日、第26回大会から天皇杯決勝の前座試合として行なわれてきた全日本女子サッカー選手権大会決勝を独立し、皇后杯下賜後初の大会となった第34回大会の決勝が本スタジアムで行なわれた。翌2013年の第35回大会も決勝が行われた(なお2014年度第36回大会以降からは、当地での決勝は開催されていない)。 ※Jリーグ開催時は最寄駅~試合会場までシャトルバスを運行する会場が多いが、当サッカー場へのシャトルバス運行はない。 サッカー場すぐそばを走る産業道路に国際興業バス、東武バスウエストの2社の路線バスが走っており、「大宮サッカー場前」(国際興業バス)、「サッカー場前」(東武バスウエスト)停留所もあるが、本数が非常に少ないため、利用には適さない。改修前は公式に発表されていた収容可能人数は概要にある通り1万2,500人であるが、実際には立見席や消防条例などの関係もあり満員でも1万人前後だった。なお、旧大宮公園サッカー場時代の観客動員記録は、2005年11月23日の大宮アルディージャ対ガンバ大阪戦の1万623人であった。加えて現在のサッカー場は1964年の東京オリンピックの開催に合わせて整備されたため、部分的な改修工事は随時実施していたが、施設の老朽化も著しかった。また、J1のホームスタジアムとして利用する場合、芝生席を除いて1万5,000人以上収容するスタンドを設置することが義務付けられている。改修前はこの規定も満たしていなかったため、大宮アルディージャと施設を管理するさいたま市では当面の対応として以下の対策を採った。大宮公園のキャパシティについての参考として、以下に観客動員記録を挙げる。ただし、大宮アルディージャ主催試合については、2007年11月11日以降、全てのホームゲームにおいてゲート通過入場者数の数値に相当数の上乗せを行って公式入場者数としていたことが後に判明(08年のべ25,809人、09年同48,610人、10年同32,628人)、2007年以前については記録紛失を主張しているため、現状では正確な数値とは言えないものである点に留意する必要がある。浦和レッズは、1995年頃から、他クラブが観客動員を減らしていくのとは対照的に観客動員が大幅に増大していった。さいたま市は今回の全面建て替え改修を行うにあたり、大宮という地名をスタジアム名称に入れることや売却額5千万以上を条件とし命名権の募集をした。その結果4社から応募があり、2007年5月14日に地元埼玉県のFM局のエフエムナックファイブ(NACK 5)を売却先に決定した。契約期間は2008年度から2013年度の6年間、売却金額は1億8000万円(1年当たり3000万円)で、命名権による名称はナックファイブスタジアム大宮(通称としての表記は、NACK5スタジアム大宮 なお新聞やプログラムなどでは「NACK」と略される)となる。なお、NACK5では大宮アルディージャの応援番組を毎週放送、また年数試合大宮ホームゲームを中継しているが、こけら落としとなった同年11月11日の大分トリニータとのJ1第31節(1-2で大分に敗れる)では8時-18:10まで試合中継を含め、10時間にわたる記念特別番組を行った。その後、2012年3月にさいたま市は同年度からの命名権契約料をこれまでの年3000万円から2000万円に引き下げるとともに、命名権の契約期間を2015年度まで2年間延長(合計8年間)することになった。これはNACK 5側からの申し入れを受けて協議したもので、さいたま市も「震災などもあり、厳しい経済事情や命名権の販売を巡る厳しい環境を考えて契約金を減額した」としている。さらに契約切れ直後の2016年3月3日、2月29日にさかのぼって2021年2月28日までの新たな5年契約を更新した。この時の契約額は合計9000万円(年1800万円)また2013年からスタジアムそのものの命名権とは別で、ホームゴール裏のコーナーシートをアルディージャ主催試合に限りセブン-イレブン・ジャパンと命名権スポンサーを結び、メインスタンド側は「セブン-イレブンテーブルシート」、バックスタンド側は「セブン-イレブンカウンターシート」とそれぞれ命名されている。1試合当たり「テーブルシート」は1組4名×2セット、カウンターシートは1組2名×6セットの限定で、基本的にセブン-イレブンの全国店頭のマルチコピー機(プレイガイド機能付き)のみでの発売となっている。改修前の大宮公園サッカー場のホームゴール裏スタンド裏側には、11本の桜の樹木、またバックスタンド席中にも1本の桜が植えられていた。このため春季は満開の桜が開花してサッカーファンを和ませてくれていた。改修に当ってそれが撤去され別の場所に移植されたが、スペースの都合上全部を移設するわけには行かなかった。そこで残った桜の木は2007年の改修完成を記念して、11月11日の大分トリニータとのこけら落とし戦と12月1日の川崎フロンターレ戦で、改修前最後の2005年11月23日ガンバ大阪戦を観戦したファンに配られた「改修前観戦証明書」を持参し、なおかつ上述2試合のチケットをそれぞれ購入・持参したファンに対する記念品として「移植できなかった大宮公園の桜の木で作成したオリジナルストラップ」を製作しプレゼントした。なお、高橋陽一原作の漫画『キャプテン翼』でも当スタジアムが全国中学生サッカー大会のメイン会場(前述のように実際の大会でも1971年から1981年までの間当所を主会場とした)として実名で描かれており、決勝戦などが開催されている。作中での観客数は3万人となっているが、先述の通り当時も現在も収容人数は1万数千人であり、3万人を収容することは絶対に不可能である。なお、サブ会場としてスタンドなどが描かれているのは駒場スタジアムと大宮公園陸上競技場兼双輪場(大宮競輪場)で、こちらも実名である。また、2007年の改修が完成したことを受け、高橋のメッセージがさいたま市に寄せられ、さいたま市の市報に掲載された。 

出典:wikipedia

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