モリオリ人はニュージーランドの東に位置する列島、チャタム諸島(では"Rekohu")の先住民である。モリオリ人は太平洋のポリネシア人とは異なる文化を有している。だが、かつては赤道付近のポリネシアの島々から直接チャタム諸島に移住してきたと考えられていた。現在ではニュージーランドの南島南部から1500年ごろに移住してきたマオリが起源であるという考えが主流となっている。この説の根拠としては、モリオリ語が南島のナイ・タフ部族の話すマオリの方言と類似していること、等が上げられる。チャタム諸島の環境は寒く過酷であり、かろうじて移住者を養えるほどのものでしかなかった。チャタムの環境はポリネシアで知られている農業には不適切であり、モリオリ人は狩猟採集社会を採用した。小さく不安定な人口のため、モリオリ人は平和主義文化を採用し争いごとを厳しく避け、代わりに儀式的な戦いと調停を行うようになった。1835年、ニュージーランド北島タラナキ地方のや族のマオリ達が、ヨーロッパ人の船を乗っ取り、銃や棍棒、トマホークなどで武装してチャタムに現れた。平和主義者のモリオリ人は戦いを拒否したが、やってきたマオリは軍事力で争いごとを解決する事を常套手段としていたため簡単に征服された。侵略してきたマオリは女子供であろうと見境なく虐殺し、食人も行った。生存者も奴隷化されモリオリ人同士の結婚も禁止された。また侵略者達はモリオリ語の使用を禁じ、モリオリ人の聖地に対し彼ら自身に排泄を行わせてこれらを汚すように強制した。一般にはマオリの侵略者がモリオリ人を全滅させたと考えられているが、誤りである。だが最後の純血のモリオリ人が1933年に亡くなり、今日では1000人ほどのモリオリ人の子孫が生存するのみである。1843年、ドイツのモラヴィア兄弟団の男性宣教師の一団が到着した。三年後にモリオリ人の女性が入信のための使いに出された際に数件の結婚が成立し、今日生きるモリオリ人人口の一部はその宣教師達の家系に遡るものである。近年、モリオリ人の文化・アイデンティティーが高まっており、何人かのモリオリ人の子孫はニュージーランド政府ワイタンギ審判所に対し権利を主張、1840年からのマオリ人による土地収奪に対する保障を要求している。
出典:wikipedia
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