花園中央公園(はなぞのちゅうおうこうえん)は、大阪府東大阪市に位置し、同市が所有・整備する都市公園(総合公園)である。東大阪市花園ラグビー場に近接する。計画面積は36.3haと広大であり、市民の憩いの場の公園として桜の広場、花菖蒲園などが整備されている他に、公園内に以下のような施設がある。そもそもは花園ラグビー場に近接した大阪外国語大学(現・大阪大学外国語学部)のグラウンドの敷地だったが、同校のグラウンドが箕面市に移転したため、その跡地を東大阪市が払い下げる形で整備されることになったものである。この花園中央公園の敷地内に、近鉄バファローズの本拠地として使われることを念頭に置いた野球場の建設計画が具体化されたことがあった。近鉄球団は1958年以後、名目上は自社運営の藤井寺球場と日本生命保険所有の日本生命球場のダブルホームスタジアム(野球協約に定める専用球場も2か所両方登録していた)を取り入れていたが、藤井寺にはナイター設備がなく、実質日生球場をメインとしていた。しかし、日生球場はナイター照明の照度が非常に低いことや施設上の問題からパシフィックプロ野球連盟が問題視していた。その為1973年に藤井寺球場を改修する際、ナイター設備を設置することを盛り込んだのだが、周辺住民がナイター開催が騒音につながるとして建設の差し止めを大阪地方裁判所に行ったため、ナイター開催が出来なくなった。この関係で日生球場の「間借り」状態が続いていた。そのような状況を東大阪市が踏まえ、この大阪外大のグラウンド跡地に整備する公園の建設に際し、野球場の建設を計画。それを近鉄球団の新しい本拠地にすることを提案した。具体的には以下のような理由が挙げられた。その事は1980年10月15日付け報知新聞(スポーツ報知)で大々的に取り上げられ、1982年完成、収容人員3万人以上、人工芝・ナイター照明塔などを設置する近代的な球場を作るという概況が発表された。だがその後、1983年に藤井寺球場のナイター照明塔の設置工事が再開されることになり(1984年竣工)、この花園球場の建設計画は結果的に幻となってしまった。また、この件に関しては西本幸雄元近鉄監督の述懐に、「佐伯勇オーナーに花園に近鉄で球場を造って、本拠地にしたらどうでしょうかと進言したところ、『いくらかかると思っているんだ』と断られた。」とも記されていた。近鉄が消滅した9年後にあたる2013年から、合併先のオリックスバファローズのファームチームが当球場で年1-2試合の主管試合を開催するようになった。オープン戦など1軍の開催実績はまだない。
出典:wikipedia
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