加須市(かぞし)は、埼玉県の北東部に位置する市である。旧・武蔵国埼玉郡。東京都市圏(東京通勤圏)でありながら市内の工業団地などの産業・雇用で周辺の羽生市や旧・栗橋町などからの労働人口流入もあり加須都市圏を形成している。埼玉県内でも有数の米どころで中でも北川辺地域は県内一の米どころである。隣の久喜市と共に埼玉県北東部の中心的な都市である。2010年3月に旧加須市・北埼玉郡騎西町・大利根町・北川辺町が新設合併して誕生した。埼玉県の市町村では唯一、北関東3県である群馬県・栃木県・茨城県と接する。こいのぼりの生産数が日本一であり、加須うどんの街でもある。武州囃子の流れを汲む『武州加須囃子』がある。読み方は主に尻上がりのアクセントだが、駅のアナウンスなどでは熊谷市や羽生市、久喜市と同様、尻下がりのアクセントで読まれる事がある。埼玉県の北東部に位置する。加須・大利根地域と北川辺地域の間に利根川が流れ、市の北東部に渡良瀬川と渡良瀬遊水地がある。地形としては概ね低地に属し平坦であるが、市域の海抜は15メートル以上あり、一部は台地状(沖積台地)になっている部分もある(カスリーン台風では利根川の旧河道(会の川)の自然堤防上に発達した加須市街地、羽生市街地は浸水を免れた。)。市を東西に東武鉄道伊勢崎線および国道125号・加須羽生バイパスが横断している。南北に東北自動車道が貫いており、加須インターチェンジがある。また、南西部の騎西地域に国道122号・同騎西菖蒲バイパスが通り、北東部の北川辺地域に国道354号が茨城県古河市と群馬県邑楽郡板倉町をつなぐ。東武日光線が渡良瀬遊水地付近を通り、その付近に駅が2つある。遊水地付近は県境が非常に入り組んでおり、次々と4つの県名が変わる埼玉県道9号佐野古河線が通っている。埼玉県から直接栃木県へ入る事のできる道路は、この県道と堤防下を走る市道だけである。古くは「加増(かそ)」と読み、新田として石高を加増されたことに因む地名が元禄時代に「加須」へ改められた説がある。そのほか、利根川本流の「河洲(かす)」が転じたという説や、光明寺の開基を行った人物である「加須内蔵丞長高」の姓「加須」に因んだとする説がある。下記の情報より新・加須市と旧・加須市の情報が交錯しているため、合併前の旧3町の情報については「騎西町」・「北川辺町」・「大利根町」を参照されたい。旧加須市は、新市名を加須市(新設合併)として隣接する北埼玉郡騎西町との合併を目指していた。しかし、2004年8月22日の住民投票の結果、旧加須市が反対多数で合併は撤回となった。2008年9月3日に旧加須市の当時の市長である大橋良一が、北埼玉郡騎西町・北埼玉郡大利根町・北埼玉郡北川辺町に対して1市3町の合併を提案したことが明らかになった。3町は前向きな姿勢を示し、1市3町全ての議会で合併推進決議が採択され、同年11月17日に法定協議会が設置されることになった。また隣接し、同じ地域に属している羽生市が、市名・市役所の場所には拘らず編入合併でも構わない姿勢で参加の意向を示した。羽生市の協議会への参加は見送られたが、羽生市を含む2市3町の5首長による会談の場は設けられることになった。1市3町による合併(新設合併)は2010年3月23日に行われ、同日を以て新市制による加須市となった。他に、2008年4月、埼玉県立不動岡誠和高等学校と埼玉県立騎西高等学校が統合し、開校した埼玉県立誠和福祉高等学校が羽生市との市境上にある。学校所在地は羽生市。市外局番は旧北川辺町域を除く区域が「0480」(久喜MA)。旧北川辺町域のみ「0280」(古河MA)。郵便番号は旧加須市域が「347-00xx」、旧騎西町域が「347-01xx」、旧北川辺町域が「349-12xx」、旧大利根町域が「349-11xx」である。これ以外にも、JR東日本東北本線(宇都宮線)が同市の東側を掠めているが駅は無い。タクシーの営業区域は県北交通圏で、熊谷市・深谷市・本庄市・行田市・羽生市などと同じである。
出典:wikipedia
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