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カムコーダ

カムコーダは、ビデオカメラの一種で、撮影部(ビデオカメラ)と録画部(ビデオデッキ)を一体化したもの。ビデオ映像の撮影用カメラとしては主流の様式となっており、一般には単に「ビデオカメラ」というと、大半の場合カムコーダをさす。 カムコーダ(Camcorder)はvideo CAMeraと(当初は)videocassette reCORDERを合わせた造語である。ムービーカメラ(又は、ビデオムービー)ともいわれている。カムコーダは、VTR一体型ビデオカメラであり、単独でビデオの撮影録画が可能なカメラ機材である。「電源がないところでも撮影ができる(バッテリーで駆動できる)」「持ち運びが可能」といった特性を持ち、民生用・放送業務用の両面で活用されている。カムコーダは、1980年にまず民生用機(試作品)が登場し、1982年に放送業務用機が登場した。また、1983年になり民生用でも一体型カメラが発売され、特に1985年頃から急速に小型化が進み、1980年代末期からは、片手で持って撮影・録画ができるカムコーダが一般化した。用途(民生用・業務用・放送用)、録画媒体の形式(テープの種類やそれ以外の記憶媒体)によって、さまざまなものが存在する。ビデオが一般化する前の時代、映像はもっぱらフィルムによって撮影・上映されていた。テレビ放送がはじまったあともしばらくは、ビデオ信号を電気的に記録する方法がなかったため、録画番組やニュースの映像は、フィルムによって撮影され、放送されていた。しかし、フィルム方式は、「現像などに時間がかかり速報性に劣る」「単位時間あたりのコストが高い」などの欠点があったため、テレビ放送に使われるビデオ信号をそのまま電気的に記録する方法が考案された。1956年に最初の2インチVTRが登場し、その後幾度かのフォーマットの変遷を経て、小型化が進められていった。ビデオ機材の小型化が進められるにつれ、ニュース素材やロケーション撮影でも、フィルムを使った撮影ではなく、直接にビデオ信号として録画したいというニーズが出てきた。また、民生用としても「自分でテレビ番組を作りたい」といったニーズも出てきた。当初の様式は、一体型のカムコーダ形式のものではなく、カメラヘッド(撮影部)とビデオデッキ(録画部)が分離しており、その2つの機械をケーブルで接続して使用するというものだった。民生用としては、1966年にSONYがモノクロ録画が可能な機材を発表(カメラ=DVC-2400、デッキ=DV-2400 ユーザによるアーカイブ:下段)、1969年には同じくSONYがカラー録画が可能な機材を発表している(カメラ=AVC-3500、デッキ=AV-3500 ユーザによるアーカイブ:11番目)。しかしながらこの時代に一般市民が動画記録を撮影するならば、第一の選択肢は8mmフィルムであり、ビデオが使われることはめったになかった。ただし個人でもテレビ局の真似事ができるというメリットに着目したマイケル・シャンバーグが「ゲリラ・テレビジョン」(中谷芙二子・訳、1974年、美術出版社)というコンセプトを発表し、日本でも小林はくどうらビデオ作家、ビデオ・アートの誕生を促す契機となった。また、放送用・業務用としては、1976年にU規格(Uマチック)のポータブルビデオデッキが登場し(BVUシリーズ)、ビデオカメラと組み合わせてニュース取材などに使われ始めた。もともとU規格は民生用の規格だったが、民生用規格としてはややオーバースペックであり、ベータマックス・VHSの登場によって立場を失いつつあった。そこにアメリカ合衆国のテレビ局から「取材用に使えないか」という打診があり、取材目的の放送用・業務用機という新境地を見出すことになったものであり、これがENGのさきがけとなった。同時期に1インチVTRのポータブル機も登場したが(国立科学博物館資料)、これはオープンリールであり神経質なマシンだったことや大きく重かったことからあまり使われることがなかった。放送業務用の機材は、ビデオカメラ・ビデオデッキともに大きく重いものであったため、カメラマンがビデオカメラを、ビデオエンジニアがビデオデッキを、それぞれ担いで、2人一組で撮影を行うというスタイルであった。本格的な家庭用ビデオ規格として、1975年にSONYが主導するベータマックスが、1976年に日本ビクターが主導するVHSが、発表された。これに伴い、1970年代後半には、それぞれのラインナップに、ビデオカメラとポータブルビデオデッキが付け加えられた(たとえばVHSに関しては、1978年に日本ビクターからポータブルビデオデッキHR-4100が発売されている。HR-4100メーカーカタログ(VHS公式サイトのアーカイヴ・本サイトは閉鎖))。これらはいずれも一体型ではなく、ビデオカメラとビデオデッキが独立しており、その間をケーブルでつないで使うというものであった。ただし業務用・放送用機材ほどには重くはなく、ひとりで両方を持ち運び撮影することもなんとか可能なサイズにおさめられていた。また、この頃の高級な据置型ビデオデッキには、カメラ端子があり、ビデオカメラを用意することで家庭内でのビデオ撮影録画ができるような機能を持つものもあった。ビデオカメラとビデオデッキが独立しており、2つの荷物を抱えて動かなければ撮影ができないというのは不便であったため、それをひとつにまとめた「一体型」のものが考案された。それがカムコーダである。1980年に、日本ビクター(VHS)・日立製作所から民生用カムコーダの試作品が発表された。翌1981年には松下電器(Mフォーマット)もカムコーダの試作品を発表している。ただしいずれも市販はされなかった。1982年に、放送用規格のベータカムが発表された(BVW-1 国立科学博物館資料)。スタイルは肩乗せ式でENGカメラと呼ばれるようになる。このあとしばらく、カムコーダは「肩乗せ式」が主流のまま経過することになる。肩乗せ式のスタイルが採用された理由は、当時はそれ以上の小型化ができなかったというものであったが、撮影された映像の安定性(ブレの低減)などの副次的なメリットももたらし、カムコーダのひとつの典型を形作ることになる。ベータカムは、当初は基本的に放送用のカムコーダ規格として開発されたものであった。それまでは「ビデオデッキはビデオエンジニアが持つもの」とされてきたのに対し、ベータカムのカムコーダは「ビデオデッキもカメラマンが持つもの」とされ、重量もかさんだことから、当初カメラマンには歓迎されなかった。しかしカメラマンとビデオエンジニアがケーブルでつながれているという制約がなくなり、現場の取材のフットワークの改善には劇的な効果をもたらしたことから、瞬く間にベータカムはENG取材の主力機にのしあがった。ベータカムフォーマットは、1987年にハイバンド化により画質を改善したベータカムSPへ、更に1993年にはデジタルベータカムへと発展し、ハイビジョンが一般化するまで最前線で活躍した。1983年には、SONYがベータマックス規格を採用した「ベータムービー」(BMC-100)を投入した(民生用としては世界初のカムコーダー)。放送用・業務用機の「ベータカム」のイメージを髣髴とさせるものであった。ベータムービーは録画専用機で本体での再生ができなかったため、ベータマックスデッキの所有が必須で、ベータマックスの売り上げ向上にも寄与した。前後するが1982年には、VHSのサブ規格であるVHS-Cが発表された。これは、テープフォーマットそのものはVHSを流用し、録画時間を20分(当初)まで短縮することでカセットのサイズを小さくしたもので、撮影目的をメインとして考えられたものである。1982年にはVHS-C規格を採用したポータブルビデオシステム「CITY JACK」HR-C3(メーカーカタログ(VHS公式サイトのアーカイヴ・本サイトは閉鎖))が登場し、ビデオカメラとビデオデッキの両方を持って撮影するというスタイルの改善がはかられている。小型のビデオテープであるVHS-Cの採用によってビデオデッキ部がかなり小型化された。この商品は、カメラヘッドとデッキを一体化して使うこともできた。1984年1月には、このVHS-C規格を採用した初のカムコーダGR-C1が、日本ビクターから発表された(メーカーカタログ(VHS公式サイトのアーカイヴ・本サイトは閉鎖))。このカメラは、なんとか片手でも持てるサイズとなっていた。1984年には、家電業界の統一規格として作られた8ミリビデオが登場した。これは、VHSやベータマックスとは全く異なる、劇的に小さなカセットテープを使用し、かつ録画時間も家庭用として十分な90分(当初)を確保したものであった。1985年1月、SONYより8ミリビデオ規格を採用したカムコーダが発売された(CCD-V8 国立科学博物館資料)。これもまた肩乗せ式のものではあったが、重量は2キログラムを切った。VHS-Cおよび8ミリビデオの登場により、ようやくカムコーダは一般の家庭にもはいりこめる小型化を達成したといえる。更に同年9月、SONYより8ミリビデオ規格を採用したカムコーダ・ハンディカムの1号機が発売された(CCD-M8)。これは再生機能や電子ビューファインダーを省略するなど大胆に機構を簡略化することで小型化し片手持ちを実現したもので、販売的には失敗に終わっているが、カムコーダの新しい姿を提案するものとなった。ハンディカムの流れを受けて、1980年代後半には更にカムコーダの小型化が進み、肩乗せスタイルがすたれて片手持ちスタイルが主流になるという変遷が起きた。小型化は徐々に進められ、ビクターのVHS-C一体型カムコーダGR-C7(1986年)では「ボーヤハント」というキャッチコピーで気軽に家庭内で撮影することを強く提案していた(メーカーカタログ(VHS公式サイトのアーカイヴ・本サイトは閉鎖))。この流れの中でもっとも成功したのは、1989年に発売されたSONYのカムコーダ「CCD-TR55」であろう。これは「パスポートサイズ」というキャッチコピーをつけ、片手で軽々と保持してビデオを撮影できるということを訴求した。カムコーダはそれまでにもまして身近なものとして普及することになった。ただしメリットだけではなく、欠点も顕在化することになった。「重く大きい肩乗せ式」から「軽く小さい片手持ち式」になるに従って、体力のない者でも使えるようになった結果として手ブレが生じやすくなり、撮影された映像が見苦しいものとなりやすいという問題も生じた。ある程度以上マニアックな撮影者から一般市民にマーケットが広がったために三脚を使う者が極端に減ったこと、手持ち撮影でズームアップを多用する者が増加したことも、この傾向を加速したと言えよう。その後、手振れを軽減する機能の搭載が進められた。1992年シャープから液晶ビューカムが発売される。以降、ファインダーではなく液晶を見ながら撮影する方式が主流になっていく。1995年にデジタルビデオ記録方式DV規格が制定された。これらは発売当初はかなりの高価格であったためすぐには普及しなかったが、2000年代以降本体やテープの低価格化が急速に進み、ビデオデッキ部はデジタルのものが大半を占めるに至っている。家庭用ハイビジョンカメラの登場した現在でも、スタンダードカメラ、ハンディカメラ、ENGカメラという放送用カメラの構成や性能は変わっていない。しかし業務用ビデオ機材では、以前は業務用と民生用では明らかに画質が異なり、また価格も段違いとなっていたものの、1995年9月、Sonyの世界初DV規格によるデジタルカムコーダDCR-VX1000(、)からこの流れは変わり、ハイエンドの民生機とローエンドの業務用機の区別があいまいになってきた。この機種は、録画部にDV規格を採用するとともに、撮影部に業務用と同じ3CCDを採用することで、劇的な画質の向上をもたらした。同機や、その後継機種DCR-VX2000は、業務用の領域にも食い込んで使われている。その後のカムコーダは、いくつかの方向に分化しつつ発展を続けている。2000年に日立から8cmDVDに記録する「DZ―MV100」が登場し各メーカーも追随して発売したがDVD規格の乱立や録画時間の短さなどからDV規格を凌ぐほど普及はしなかった。日立は2007年に8cmBDにHD記録する[ブルーレイ]カムコーダも発売している。2000年代後半には旧来のビデオ方式である標準画質から新世代のビデオ方式であるHD(ハイビジョン)への移行が進んだ。DVテープを用いるHDV規格が作られ、民生用機のハイビジョン・カムコーダは、2003年に日本ビクターから720p規格(1280×720画素)の「GR-HD1」が登場、翌2004年にはSONYより1080i規格(1440×1080画素)の「HDR-FX1」が登場した。これらは片手持ちで撮影するにはちょっと大きすぎるものではあったが、2005年に容易に片手持ちが可能なサイズの「HDR-HC1」が登場した。2006年にはH.264方式で記録する、AVCHD規格を策定。HDV規格のMPEG-2より少ないデータ容量でHD映像を記録ができ、同時にHDDやメモリーカードに記録する事が可能となり、記録規格や記録媒体は多様化していった。本体の小型化によりGoPro(ウェアブルディバイス)など、一部の目的に特化した製品や、3D動画や4K解像度撮影ができる家庭用カムコーダ等も登場した。その一方で、デジタルカメラ(静止画撮影目的のスチールカメラ)やスマートフォン等の携帯端末でも急速な画質の向上によりHD動画撮影が可能となりカムコーダとほぼ遜色なく使えるようになってきている為、従来の動画撮影専用のカムコーダの出荷数は急激に減少している。

出典:wikipedia

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