LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

竹園正繼

竹園 正繼(たけぞの まさつぐ、1946年 - )は、日本の実業家。建築物の耐震補強材を開発・製造するテイエム技研株式会社の創業者であり、現在代表取締役社長。「テイエム」の冠名で競走馬を所有する馬主としても知られ、鹿児島県と北海道でテイエム牧場も経営するオーナーブリーダーである。名前は正継とも表記される。1946年生まれ。鹿児島県肝属郡垂水町(現・垂水市)の出身。高校卒業後に東京へ移った後、1979年に自身が開発した建築補強材の特許を取得し、単身でテイエム技研株式会社を設立。翌年に特許製品を売り出し、急速に売上げを伸ばした。これ以前から発明家として活動しており、水陸両用車を製作したときに「町の発明家」としてテレビ取材を受けた経験もある。豊田行二の小説『大いなる野望』は、その半生がモデルとなっている。1987年からは日本中央競馬会の馬主資格を取得、主な所有馬にJRA顕彰馬テイエムオペラオーなどがいる。青年時代から熱心な競馬ファンであったが、20代半ばからは事業に打ち込むため、一時競馬からは離れていた。馬主資格取得を思い立ったきっかけは、垂水での幼馴染みであり、花屋に就職していたはずの岩元市三が、1982年の東京優駿(日本ダービー)で勝利騎手としてテレビに映っているところを偶然目の当たりにしたことであった。このとき竹園は非常に驚くとともに「自分は馬主になって岩元と再会しよう」と決意し、5年後の1987年に資格を得た。社名でもある冠名「テイエム(TM)」は、自身の名前のイニシャル()である。当初は他人の勧めるままに馬を購入していたが、全く活躍しなかった。この状況を受けて考えを改め、自分の判断で所有馬を決める方針に転換し、岩元の師匠である布施正の牧場回りに随行しながら、布施に師事する形で相馬(馬の良し悪しを見極めること)の要点を学んでいった。竹園自身は1990年代半ばを過ぎた頃から馬を見る目に自信が付いてきたと語り、1997年にはテイエムメガトンがダービーグランプリに優勝し、GI競走を初制覇。1999年にはテイエムオペラオーが皐月賞に優勝し、クラシック競走を初制覇した。同馬は翌2000年には年間8戦全勝という成績を残し、最終的に7つのGI競走に勝利してJRA顕彰馬となった。以後も専ら中小牧場の生産馬から、GI競走3勝のテイエムオーシャン、2005年の最優秀2歳牝馬・テイエムプリキュアなどを見出しており、相馬に関する著書も出版(自費出版)している。騎手起用については成績上位に拘らず、管理調教師の意向に従っているため、騎乗機会の少ない新人・若手や、中堅のベテランといった騎手で重賞を勝つ例がしばしば見られる。ただし全く意見しないわけではなく、過去にはテイエムオペラオーが菊花賞で敗れた際には和田竜二の騎乗ミスに激怒し、管理していた岩元にベテランジョッキーに交代するよう要請したということがあった。この時は岩元が愛弟子である和田を育てたいという思いで竹園に懇願した結果、竹園は要求を取り下げ、オペラオーには最後まで和田が騎乗した。九州から大レースに勝利する馬を輩出することを大きな目標に、1999年に故郷・垂水市にテイエム牧場を創設している。北海道新冠郡新冠町に生産用支場、同沙流郡日高町に育成用支場がある。中央競馬において、生産頭数の少ない九州産馬は限定戦が組まれるなど主流の存在ではないが、テイエムチュラサンがアイビスサマーダッシュ、テイエムトッパズレが複数の障害重賞を制するなど、目立った成績を挙げている。また、生産馬の3分の1程度の父親はテイエムオペラオーやテイエムサンデーといった自身の所有馬であり、種牡馬としての成功機会を増やすことに努めている。2005年7月16日の小倉5R新馬戦(九州産馬限定)では、テイエムオペラオー産駒の3頭が1~3着を独占する記録を作った。※勝負服色は「桃、緑一本輪、袖黄縦縞」。括弧内は当該馬の優勝重賞競走。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。