石川 ひとみ(いしかわ ひとみ、1959年9月20日 - )は、日本の歌手、女優。本名、山田ひとみ(旧姓石川)。愛称はひっちゃん。愛知県海部郡美和町(現:あま市)出身。子どもの頃はおてんばな女の子だった。幼稚園(七宝幼稚園)時代には近所の男の子と田んぼの中で大喧嘩し、泥だらけになって帰宅したこともあった。小学6年(正則小学校)時にはソフトボールに熱中し、エースで4番を務めた。スポーツ以外では幼稚園の頃からピアノを始め、小学6年時にはCBCテレビののど自慢番組『どんぐり音楽会』に出場している。中学生(美和中学校)時代は軟式テニス部に所属。。名古屋短期大学付属高等学校(現:桜花学園高等学校)卒業。高校2年時、フジテレビ系で放送されていたオーディション番組『君こそスターだ!』でチャンピオンとなる。同番組のオーディション1週目では岩崎宏美の「ドリーム」を歌ったが、歌詞を間違えたため思わず「ごめんなさい」と叫んでしまい、収録のVTRを止めたことがある。駅にあった東京音楽学院名古屋校の広告を見て同校に見学へ行ったが、その日は偶然入試の日だった。同校職員に「もしよければ受けていただいてもいい」と言われたため受験したところ、合格する。1978年5月25日、キャニオンレコードのNAVレーベルより「右向け右」でデビュー。同年、全国58大学で構成される全国ビューティ・オール学生協会から「'78マスコット・ガール」に選ばれるなど、デビュー当時からルックスと歌唱力が高く評価され、大学生を中心に絶大な支持を得る。そのためか男性誌を中心に水着姿でのグラビア撮影が多かったが、石川は水恐怖症だったので芸能界入りするまでは水着を1着も持っていなかった。なお石川は、自らの水恐怖症の原因として、生まれて6日後に襲来した伊勢湾台風の影響を示唆している。1981年には「まちぶせ」(三木聖子のカバー)がヒットする。「まちぶせ」は10枚目のシングルだったが、同曲がヒットしてもしなくても、石川自身は同曲の発売を最後に芸能界を引退するつもりだったという。「まちぶせ」がロングヒットを記録したため、次のシングル曲として予定されていた「にわか雨」の発売見通しが立たず、にわか雨の時期を過ぎてしまったということもあって発売見送りとなった。代わりに「まちぶせ」と同じく三木聖子のカバー曲である「三枚の写真」が発売された。この年、念願だった『NHK紅白歌合戦』に初出場を果たす。なお、「にわか雨」は2年後の1983年6月21日に16枚目のシングルとして発売された。1979年から1982年までNHKの人形劇『プリンプリン物語』で声優として主役のプリンセス・プリンプリンの声を担当し、同局の歌番組『レッツゴーヤング』では太川陽介と司会を務めるなど、歌手活動以外でも活躍した。1987年に慢性B型肝炎を発症し、退院後に渡辺プロダクションから契約を破棄されたため、しばらく芸能界を退いていたが、翌1988年に復帰する。1993年、ミュージシャンで作・編曲家の山田直毅と結婚した。その後、NHK『母と子のテレビタイム(日曜版)』に出演(ぬいぐるみのニャンちゅうと共演)するなど、ファミリー向け活動を展開している。映画『男はつらいよ』の寅さんの大ファンであり、友人である斉藤ゆう子と「柴又ツアー」と称して映画ロケ地の柴又界隈を廻ったことがある。1990年3月、新聞の取材を受けるために訪れていたホテルのラウンジで、寅さん役の渥美清と遭遇。色紙の持ち合わせがなかったため無地のレポート用紙にサインを書いてもらい、現在も額縁に入れて大切に保存しているという。この時、渥美からサイン入り写真との交換をリクエストされたため、偶然持っていた自身の写真をお返しとして渥美に渡した。その後は一五一会によるCDアルバムをリリースしているほか、エイズや肝炎に関する講演活動も取り組んでおり、闘病記には『いっしょに泳ごうよ』(集英社)がある。テイチクエンタテインメントのインペリアルレコードレーベルから発売。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。