五十円硬貨(ごじゅうえんこうか)とは、日本国政府発行の貨幣。五十円玉(ごじゅうえんだま)とも呼ばれる。額面50円の硬貨である。現在製造発行されている五十円硬貨は白銅製で中央に穴が空いている。表面には「日本国」と「五十円」及び菊の図案が、裏面には「50」と製造年がデザインされている。側面にはギザギザが付いており、そのギザ数は120である。なお、この「表」と「裏」は造幣局での便宜的な呼称であり、明治時代の硬貨とは違って法律上表・裏の規定はない。1987年の昭和62年銘のものは通常発行がなく、造幣局が販売した貨幣セット(ミントセット)に含まれているのみであり、発行枚数は77万5000枚である。収集家の間では昭和62年ミントセットとして5000円程度で取引されている。なお、年銘別貨幣製造枚数(造幣局資料)によると、2010年の平成22年銘は昭和62年銘と同様に貨幣セット用51万枚のみの製造に留まっている。さらに2011年(平成23年)もミントセット用の45万6千枚のみの製造にとどまり、一般流通用については4年連続で製造されなかった。ちなみに、2011年から2013年にかけては一円硬貨・五円硬貨も五十円硬貨と同様、ミントセット分のみの製造となっている。1955年(昭和30年)発行の五十円ニッケル貨(無孔)は前年の1954年(昭和29年)に一円硬貨と同じくデザインが一般公募された。40日間の公募期間に3041点の応募があり、表面は林由男(東京)、裏面は山野内孝夫(東京)のデザインが採用された。しかしこの五十円ニッケル貨(無孔)は当時の百円銀貨(鳳凰百円銀貨)とよく似ていて紛らわしいという問題点があった。共に白色でギザがあり、サイズも近かったためである。この問題点を解決すべく検討された結果、50円ニッケル貨はギザを除くとともに穴あきのデザインに変更されることになった。そのデザインは再び公募され、表面は小泉二三男(東京)、裏面が大熊喜英(東京)のものが採用された。こうして昭和34年1月5日から五十円ニッケル貨(有孔)が発行された。1950年(昭和25年)に発行されるはずだったが、同年に起こった朝鮮戦争により、ニッケル価格が高騰したため、試作段階に終わり、10円洋銀貨と同じく未発行硬貨となった。
出典:wikipedia
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