『迷路荘の惨劇』(めいろそうのさんげき)は、横溝正史の長編推理小説。「金田一耕助シリーズ」の一つ。2014年3月までに2本のテレビドラマ作品がある。本作の原型は『オール讀物』1956年8月号に発表された短編作品『迷路荘の怪人』で、これに新たに長編作品として加筆・修正を施して、1975年5月に東京文芸社から刊行されたのが本作である。本作では『八つ墓村』『不死蝶』と同じように洞窟の中で事件が発生する。本作においては人工に掘らせた地下通路と洞窟が組み合わさっており、犯人がその地下通路を跳梁して殺人を行うところに特色がある。また、本作で扱われる20年前という過去の事件とそれに関連して起こる現在の新たな殺人事件という設定は、本作以前にも、19年前の殺人事件と現在の殺人事件を扱った『女王蜂』、23年前の殺人事件と現在の殺人事件を扱った『不死蝶』『悪魔の手毬唄』など、多数ある。明治時代の権臣・古館種人(ふるだてたねんど)伯爵が富士山の裾野に建てた別荘・名琅荘(めいろうそう)は、屋敷内のあちこちに「どんでん返し」や「抜け穴」などが仕掛けられていることから、地元の人々からは、別名「迷路荘」と呼ばれていた。種人伯亡き後、古館家を継いだ子息の一人(かずんど)は、放蕩を尽して東京の本宅や財産を失い、最後に残ったのが名琅荘であった。この名琅荘で、昭和5年の秋に世間を震撼させる事件が起きた。一人伯は、後妻の加奈子と彼女の遠縁にあたる尾形静馬の仲を疑い、2人に日本刀で斬りかかり加奈子を斬殺し、さらに静馬の左腕を一刀のもとに斬り落とすが、静馬に日本刀を奪われ返り討ちにされてしまう。逃亡した静馬の血の跡をたどると、名琅荘 の背後の崖にある「鬼の岩屋」と呼ばれる天然の洞窟に続いていた。この洞窟は相当に深く、また手負いの静馬は日本刀を持って逃げ込んだことから、誰もが恐れて静馬を追うものはなく、静馬はそのまま行方不明となった。一人伯の跡を子息の辰人(たつんど)が継いだが、古館伯爵家は戦後さらに財政が苦しくなり、名琅荘も銀行の抵当流れとなった。これを手に入れたのが新興財閥の篠崎慎吾で、さらに篠崎は莫大な代償を支払って辰人の妻・倭文子を妻に迎え入れた。篠崎は、名琅荘の複雑な構造を利用してホテルに改造し、開業準備を進めていた。その篠崎から事件が起きたという呼び出しを受けて、金田一耕助がホテル名琅荘にやって来たのは昭和25年10月18日のことであった。このとき、名琅荘には元の持主である古館辰人、辰人の母の弟・天坊邦武、加奈子の弟・柳町善衛がホテルのお披露目会のために招待されて集まっており、初代種人伯から古館伯爵家に仕える老女・糸や篠崎の先妻の娘の陽子も滞在していた。名琅荘で起きた事件とは、真野信也という左腕のない男が一昨日訪ねて来て案内された「ダリアの間」で消えてしまったというのだ。真野は篠崎の名刺を持参していたが、篠崎は覚えがないという。「ダリアの間」には地下通路に通ずる隠し扉があったが、その隠し扉を知っていたことや左腕がないことから、昭和5年の事件で行方不明になっている尾形静馬が何らかの意図を持って乗り込んできたのではないかと思われた。金田一がその話を聞いている最中、倉庫の中にある送迎用の馬車の座席の上で辰人の絞殺死体が発見された。辰人の左腕は体に縛られて、服の袖は左腕がない如くブラブラしていた。翌日、「ダリアの間」の隣の「ヒヤシンスの間」のバスルームで天坊邦武の死体が見つかる。部屋の鍵はマントルピースのお盆の上に乗せられており、密室殺人であった。さらに、女中のタマ子が昨夜から行方不明になっていた。タマ子捜索のため、警察と金田一らは地下通路と「鬼の岩屋」の二手に分かれて探索を行うと、女の悲鳴が聞こえ、金田一たちが駆けつけると地下通路で鼠に食い荒されていたタマ子の死体が発見された。さらに地下通路の出口である任天堂で、何者かに後頭部を金槌のようなもので強打されて瀕死の状態の陽子が発見された。陽子は「パパが…」と言い残して意識を失っていた。ここに至ってようやく金田一は一連の事件の真相に到達する。『横溝正史シリーズII・迷路荘の惨劇』は、TBS系列で1978年10月14日から10月28日まで毎週土曜日22:00 - 22:55に放送された。全3回。『金田一耕助ファイル 迷路荘の惨劇』は、テレビ東京系列・BSジャパン共同制作の2時間ドラマ「女と愛とミステリー」(毎週水曜日20:54 - 22:48)で2002年10月2日に放送された。この作品では舞台を静岡から京都に変更している。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。