藤原 仲文(ふじわら の なかふみ、延長元年(923年) - 正暦3年(992年)2月)は、平安時代中期の歌人・貴族。藤原式家、信濃守・藤原公葛の三男。官位は正五位下・上野介。三十六歌仙の一人。天暦年間に皇太子・憲平親王(のち冷泉天皇)の蔵人となり、康保4年(967年)憲平親王の践祚に伴って六位蔵人に任ぜられ、即位に際して従五位下・加賀権守に叙任される。その後、加賀守・伊賀守・上野介など、冷泉朝から円融朝にかけて地方官を歴任。この間、天禄4年(973年)従五位上、貞元2年(977年)正五位下に叙せられた。冷泉天皇に側近として仕える一方、摂関家の藤原頼忠・兼家・道兼にも出仕した。正暦3年(992年)2月卒去。享年70。最終官位は散位正五位下。歌人として清原元輔・大中臣能宣らの交流があった。『拾遺和歌集』以下の勅撰和歌集に8首が入集し、家集に『藤原仲文集』『金玉集』『秋風集』がある。『三十六人歌仙伝』による。『尊卑分脈』による。
出典:wikipedia
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