米比相互防衛条約(べいひそうごぼうえいじょうやく)は、アメリカ合衆国とフィリピンの間で結ばれた相互防衛のための安全保障条約。1951年8月調印、有効期間は無期限となっている。ヨーロッパでソビエト連邦の影響力が増し、米ソ対立の冷戦構造が深まる中、1949年に共産主義の中華人民共和国が成立したことに伴い、アジア諸国が立て続けに共産化するのではといったドミノ理論が湧き起った。1950年に、朝鮮戦争の勃発により冷戦構造がいよいよ激化し、アメリカは、アジアにおいても共産主義の封じ込めを図る必要に迫られた1946年まで植民地支配下に置いていたフィリピンと、すでに1947年に米比軍事基地協定及び米比軍事援助協定を締結し、アメリカ軍が駐留していたが、正式に相互防衛条約を結ぶことで、西部太平洋における安全保障の一角を担わせることとした。なお、1954年から1977年にかけては、反共主義の集団防衛機構として東南アジア条約機構も設置されていた。この体制は、1989年の冷戦終結から1991年末のソ連崩壊によって見直しが図られる。緊張緩和による米軍兵力の削減と、1991年のピナトゥボ山大噴火によって基地が被災したこともあり、基地協定は期限延長されず、両政府間で在比米軍の撤退が決定した。まずクラーク空軍基地から撤収を始め、1992年にスービック海軍基地からも撤収し、フィリピンにおけるアメリカの軍事的な影響は著しく減少した。また、ビル・クリントン大統領が軍事費削減を政策としたため、1995年を最後に米比共同の軍事演習も取りやめとなった。ところが、この米軍撤収の直後から南シナ海で中国と東南アジア各国が領有を主張する南沙諸島(スプラトリー諸島)において、中国人民解放軍の活動が活発化し、フィリピンが領有権を主張する環礁(ミスチーフ礁)を占領して建造物を構築した。また、米軍・米政権内でも中国脅威論を唱えられ始め、1998年に「訪問米軍に関する地位協定」が締結され、1999年に共同軍事演習を再開した。2001年にアメリカ同時多発テロ事件が発生すると、同年1月に就任したグロリア・アロヨ比大統領はクラーク・スービック両基地の再使用を承認し、アメリカの対テロ戦争に協力した。また、2000年半ばからマニラなどで頻発していた爆弾テロをイスラム原理主義過激派「アブ・サヤフ」による犯行と見ていたアロヨは、軍による掃討作戦を行っていたが、米軍もこれに参加して陸軍特殊部隊などがミンダナオ島などで軍事活動を行っている。南沙諸島海域における中華人民共和国の人工島建設などに対抗して、米比両国は2016年3月、米軍がフィリピン国内の5基地を利用する協定を結んだ。パラワン島のアントニオ・バウティスタ空軍基地、ルソン島のバサ基地やフォート・マグサイサイ基地などが対象である。
出典:wikipedia
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